KINGのプロレス観戦記&諸々 -16ページ目
1963年12月15日力道山先生がお亡くなりになられましたその、20年後沖識名さんもお亡くなりになられました力道山先生なくして日本のプロレスはなかったと言っても過言ではないでしょうそして、その力道山先生にプロレスとはなんぞや?を教えた1人が沖識名さん力道山先生が立ち上げた日本プロレスにレフェリーとして来日し、多くの試合を裁きました来年は東京オリンピック1964年の東京オリンピックには、力道山先生は多大なる協力体制を整えるはずでしたまた、力道山先生がその後もご存命だったら、日朝関係も変わっていたかも知れませんね力道山先生の凄い所は数知れず1つ、私が思うのは、プロレスラーとしてのキャリアは僅か12年余りでしたが、その間に、日本選手権、オールアジア選手権、インターナショナル選手権、WWA世界ヘビー級選手権と、シングル選手権を制覇している所ですよね叶わぬ夢ではありますが、力道山先生の試合を生観戦したかったなあ ケンドー・ナガサキ選手がご逝去なされました突然の訃報にビックリしておりますナガサキ選手は、本名の桜田一男の他にミスター・サクラダドリーム・マシーンドラゴン・マスターランボー・サクラダチャン・チュンと、多くのリングネームを持っております大相撲力士を経て、1971年に日本プロレスに入門大相撲廃業から僅か3ヶ月程でデビュー日本プロレスには73年の崩壊まで在籍し、崩壊前の大城大五郎戦は所謂セメントマッチだったと言われております前年に旗揚げしていた新日本プロレスに移籍する事が決まっていた大城選手を日本プロレスに残留する桜田選手が潰したと言われておりますね日本プロレス崩壊後は、全日本プロレスに移籍76年には、天龍源一郎選手と共にアメリカ遠征これは、まだ髷を結ったままだった天龍選手の髪結いとして同行しましたが、僅かな期間で別行動を取り、ミスター・サクラダの名前でアメリカのみならず、カナダやプエルトリコでも活躍しました78年10月に一時帰国し、国際プロレスの日本リーグ争覇戦に出場これは、当時カルガリー地区と国際プロレスが提携していた関係からの参戦でしたその後、カルガリーに戻り、79年には同地区認定のインターナショナルタッグ選手権をミスター・ヒト選手とのタッグチームで獲得しておりますその後も、ヒト選手とのタッグでフロリダやテキサス州ダラスを転戦ヒト選手とのタッグを解消後もダラスに残り、チャン・チュンというマスクマンに変身ザ・グレート・カブキ選手とタッグチームを編成し、81年ケビン・フォン・エリック&デヴィット・フォン・エリック組から、同地区認定のNWA世界タッグ選手権を獲得82年には、全日本プロレスに帰国し、チャン・チュンと同じマスクでドリーム・マシーンと名乗っておりますその後、再渡米し、フロリダ地区でケンドー・ナガサキに変身落武者のようヘアスタイルとペイントをしたスタイルに変身しました84年、マイク・ロトンド世界を破り、NWAフロリダヘビー級選手権を獲得翌年、全日本プロレスを退団し、新日本プロレスの後藤達俊選手とタッグを組み、10月には新日本プロレスに参戦新日本プロレスでは、ランボー・サクラダを名乗り、素顔で試合を行いましたが、年末にはケンドー・ナガサキに戻り、ミスター・ポーゴ選手とのタッグでIWGPタッグリーグ戦に出場しましたポーゴ選手とのタッグでは、プエルトリコのWWCにも参戦しておりますWCW参戦時は、ドラゴン・マスターを名乗り、テリー・ファンク選手やグレート・ムタ選手らとユニットを組み活躍その後、帰国し、旗揚げ間もないFMWに参戦1990年SWSに旗揚げシリーズから参戦設立時の主要人物とも言われておりますSWS崩壊後は、SWS内の、道場・檄とパライストラの合同でNOWを旗揚げ代表取締役に収まります1994年には、グレート小鹿選手と大日本プロレスを旗揚げ小鹿選手との意見の相違もあり退団その後はフリーとして、SPWFやIWA JAPANなどに参戦しております2009年にはレスラー生活に終止符を打ち(正式な引退はしていない)、飲食業に専念しております私自身は新日本プロレス参戦時の印象が強いですねタイトル歴スタンピード北米ヘビー級選手権スタンピードインターナショナルタッグ選手権:3回(パートナーは、ミスター・ヒト選手×2回、Kasavudu選手×1回)NWAフロリダタッグ選手権(パートナーは、ミスター・ヒト選手)NWAフロリダヘビー級選手権NWAアメリカンタッグ選手権(パートナーは、ミスター・ヒト選手)NWA世界タッグ選手権(テキサス版)(パートナーは、ザ・グレート・カブキ選手)AWA南部ヘビー級選手権NWAパシフィックノースウエストタッグ選手権(パートナーは、エド・ウィスコスキー選手)WWC世界タッグ選手権:4回(パートナーは、ミスター・ポーゴ選手)意外にも日本ではタイトルに恵まれませんでしたねペースメーカーの故障により死去享年71歳謹んで御悔やみ申し上げます 3年経ちましたまだ、仕舞い場所がありません48歳早すぎます レネ・グレイ選手が5月25日にご逝去なされておりましたグレイ選手と言えば、1981年新日本プロレスで行われた『第2回MSGタッグリーグ戦』に於いての、アンドレ・ザ・ジャイアント選手とのタッグで優勝したシーンが印象に残っております正直、アンドレ選手のパートナーとしては役不足の印象を持ちましたが、フランス語が話せるグレイ選手をパートナーに選び、また当時のWWFでのグレイ選手の活躍を評価しての事だったようですね決勝は、アントニオ猪木&藤波辰巳組当時の新日本プロレスの最強タッグチームを破っての優勝は評価に値しますねまた、日本に縁があると言えば、WWWFでカール・ゴッチ選手と組んでのWWWF世界タッグチャンピオンに輝いたことプロレスラーとしてのキャリアをスタートさせたのは、カナダ・ケベック州で、1956年デビュー戦の相手には、なんとモーリス(マッドドッグ)バション選手が予定させていたと!バション選手が会場に現れず、ジェラルド・デュガスというフランス系カナダ人選手に変更になったようですデビューから数年は、フルタイムでの活躍はなかったようですねグレイ選手がフルタイムで活躍するようになっのは、60年代に入ってからのようで、バーン・ガニア選手&ウォーリー・ガルボ氏のAWAだったようですね10年程AWAでキャリアを積み、その間にオクラホマなどに遠征したようではありますが、基本的には他の地域での活躍は殆んどないと言ってよいですそれには、理由があり、グレイ選手は当時フランス語しか話せない為に、フランス語圏での活躍に限定していようです71年になり、ビンス・マクマホン(Sr)氏のWWWFに移転そこで、早くも世界タッグチャンピオンを積み獲得しますその後も、WWWF→WWFで活躍し、前述にありますように、81年にはアンドレ・ザ・ジャイアント選手のパートナーとして新日本プロレスに来日(初来日はAWAルートで1972年国際プロレスに来日、その時のリングネームは英語読みでレーン・ゴルト)この、アンドレ選手のパートナーに起用されたのも、アンドレ選手がフランス語を話せるグレイ選手を起用したようであります選手としてのキャリアは、1987年のバトルロイヤルが最後の試合その後もWWFに残り、1997年までロード・エージェントとして活動していました獲得タイトルWWWF世界タッグ選手権(パートナーはカール・ゴッチ選手)WWA世界タッグ選手権(インディアナポリス版)2回(パートナーはドン・ファーゴ選手、ザリノフ・ルブーフ選手)NWAパシフィックノースウエストタッグ選手権2回(パートナーはペッパー・マーティン選手、シャグ・トーマス選手)NWA南部ヘビー級選手権(フロリダ版)3回NWAジョージアタッグ選手権1回(パートナーはオレイ・アンダーソン選手)2019年5月25日没享年86歳謹んで御悔やみ申し上げます 2代目ラ・パルカ選手がご逝去なされましたパルカ選手は、昨年10月の試合後で、場外へのトペ・スイシーダを失敗し、そのまま緊急搬送されましたそのケガが回復せずこの世を去ったとのことタイトル歴パシフィックコーストヘビー級選手権メキシコナショナルクルーザー級選手権LAWライトヘビー級選手権メキシコナショナルタッグチーム選手権享年54歳(56歳との報道もあり)謹んで御悔やみ申し上げます アンディ・ロビン選手がご逝去なされました詳しい経歴は分かりませんが、スコットランドではかなり著名な選手として、名を馳せております一時、フランク・タニー氏の誘いで、カナダ・トロントでも活躍したようでありますこの際に、デトロイトにも遠征したようですこの、カナダ時代には、レスリングベアとの対戦で人気を獲得したようですね2年半のカナダ生活から、スコットランドに戻り、ジョイントプロモーションの英国連邦ミドル級チャンピオンにもなっております来日経験が無いため、試合スタイルも詳しくは分かりません享年84歳謹んで御悔やみ申し上げます 1月センダイガールズワールドチャンピオンシップ挑戦vs橋本千紘戦(惜敗)2月W.W.W.D世界シングル選手権挑戦vsアジャ・コング戦敗退W.W.W.D世界シングル選手権挑戦者決定リーグ戦vs橋本千紘戦(引き分け)じゅん散歩出演W.W.W.D世界シングル選手権挑戦者決定リーグ戦vs佐藤綾子戦勝利TRUE HEART表紙3月地元凱旋興行超満員W.W.W.D世界シングル選手権挑戦者決定リーグ戦vs京子戦勝利(挑戦権獲得)4月Sareee&橋本千紘&彩羽匠組結成vs里村明衣子戦勝利vsDASH・チサコ戦勝利5月W.W.W.D世界シングル選手権挑戦vsアジャ・コング戦(勝利!タイトル奪還)6月vs彩羽匠戦(引き分け)Sareee&橋本千紘&彩羽匠vs世志琥&門倉凛&伊藤薫戦(勝利)W.W.W.D世界シングル選手権&センダイガールズワールドチャンピオンシップダブルタイトルマッチvs橋本千紘戦(勝利!W.W.W.D世界シングル選手権防衛&センダイガールズワールドチャンピオンシップ獲得2冠チャンピオン)vsジュリア戦(勝利)7月H・H・H選手と会談センダイガールズワールドチャンピオンシップ防衛戦vsDASH・チサコ戦(防衛)Sareee&笹村あやめvs橋本千紘&里村明衣子戦(勝利)8月W.W.W.D世界タッグ選手権挑戦Sareee&彩羽匠vs渡辺智子&伊藤薫戦(レフェリーストップ負け)9月vs藤本つかさ戦(敗退)凱旋興行超満員Sareee&梅咲遥vs藤本つかさ&鈴季すず戦(完勝)10月vs藤本つかさ戦(完勝)センダイガールズワールドチャンピオンシップ防衛戦vs橋本千紘戦(敗退)12月初の自主興行開催(超満員札止め)Sareee&朱里vs岩谷麻優&彩羽匠戦岩谷選手と初対戦2019年これほどの活躍と話題を提供した女子選手他におりますか?2019年東京スポーツ新聞社制定女子プロレス大賞はSareee選手以外考えられませんと、私は思います ゴンゴンこと、小倉由美選手1989年12月9日後楽園ホールにて、ブル中野選手との試合(5分間のエキシビションマッチ)で引退5分ジャスト、ジャーマン・スープレックス・ホールドで有終の美を飾りましたこの試合、生観戦しております長与千種選手の引退でも、ライオネス飛鳥選手の引退でも動かなかった私ですが、ゴンゴンの引退は行かなきゃならんのです大好きな大好きな大好きなゴンゴンの引退は本当に寂しかったなあが、翌年3月18日同じ後楽園ホールにハイパーキャットなるマスクウーマンが突如登場!体型も動きもゴンゴンに似ているような(笑)ハイパーキャット選手は1年位でいつの間にかフェードアウトしていきましたその後も、幾度かOGとして試合したり、セレモニーイベント等に顔を見せてくれたりしていて、ファンとしては嬉しい限りです近々、お会いしに行こうっと※何故かWikipediaでは引退の日とハイパーキャット選手のデビュー戦の日が間違ってるんだよなあ 1963年力道山先生が村田勝志に刺された日1980年ジョン・レノンが糾弾に倒れた日川田利明選手お誕生日おめでとうございます長与千種選手お誕生日おめでとうございますさま~ず大竹さんお誕生日おめでとうございます1941年(日本時間)12月8日帝国海軍はアメリカハワイの軍事基地を攻撃所謂、真珠湾攻撃の日でありますなぜ、日本はアメリカに先制攻撃を加えたのか?なぜ、日本は連合国側と戦争したのか?あの戦争は何だったのか?その辺りを、そろそろ統括し、あの戦争とは何だったのかを明確にした方が良いと思うんですよねそして、本日巣鴨にありますプロレスショップ闘道館さんで、力道山先生の奥様、田中敬子さんと新間寿氏によるトークショーが行われますお時間ある方は是非! 
