KINGのプロレス観戦記&諸々

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オーヴィル・ブラウンのベルト(MIDーWESTの部分をNATIONALに、ASSOCIATIONの部分をALLIANCEに変更したと思われます、HEAVYも変えた形跡あり?1936記載)



MWA世界ヘビー級選手権のベルト(1931記載、ベルト外周の輝石がブラウンベルトとは違う)



MWA世界ライトヘビー級選手権のベルト(1931記載、外周に輝石なし)



MWA世界ジュニアヘビー級選手権のベルト(1943記載、外周の輝石はヘビー級と同等?)



MWA世界ウェルター級選手権のベルト(1931記載、外周の輝石はヘビー級の同等?)


MWA世界ウェルター級選手権のベルト(1936記載、外周は輝石?刻印?)
真ん中の画像の選手は、初代WWWA世界シングルチャンピオン、ミルドレッド・バーク選手




WWWA世界シングル選手権(所謂、全日本女子プロレスの赤いベルトのルーツ)


第2代WWWA世界シングルチャンピオン、マリー・バクノン選手もこのベルトを使用したと思われます


日本に定着した後のWWWA世界シングル選手権のベルト
なんとなくデザインは踏襲してますね




京愛子選手からジャガー横田選手までがこのベルト(現在ジャガー横田選手所有)



現行のNWA女子世界選手権のベルト
MWAのデザインを忠実に再現してますね
1948という数字はNWA発足年ですね



MWAは専門外であり、カンザス版とオハイオ版の関係性など、また各階級の歴代チャンピオンなどは分かりません


因みに、カンザス版MWAのヘビー級の歴代チャンピオンは

ボビー・ブランズ選手(1940年1月)
オーヴィル・ブラウン選手(1940年6月13日)
リー・ワイコフ選手(1941年4月17日)
オーヴィル・ブラウン選手(1941年10月16日)
トム・ザハリアス選手(1942年3月)
オーヴィル・ブラウン選手(1942年6月25日)
エド“ストラングラー ”ルイス選手(1942年11月26日)
リー・ワイコフ選手(1943年1月14日)
オーヴィル・ブラウン選手(1943年2月18日)
デイヴ・レビン選手(1944年5月4日)
リー・ワイコフ選手(1944年6月29日)
オーヴィル・ブラウン選手(1944年8月16日)
ボビー・ブランズ選手(1946年6月20日)
オーヴィル・ブラウン選手(1946年8月8日)
ヴィック・クリスティー選手(1947年3月14日)
ロイ・グラハム選手(1947年3月29日)
オーヴィル・ブラウン選手(1947年4月10日)
タグ・カールソン選手(1947年12月19日)
オーヴィル・ブラウン選手(1947年12月26日)
オーヴィル・ブラウン選手(1948年5月4日)
1948年7月NWA世界ヘビー級チャンピオンに認定

上記したように、カンザス版とオハイオ版のMWAの関係性は分かりませんが、カンザス版の記録は1940年からしかありません
ところがオハイオ版は1931年から始まります
初代チャンピオンはジョン・ペセック選手
2枚目のベルトの真ん中の選手がペセック選手ですかね?
そうなると、これらのベルトはカンザス版じゃなくてオハイオ版?
それとも共通デザイン?共用?流用?

と、不明点が多いですが、私には分かりません(笑)





パックス氏から進呈されたベルト(当初はオハイオ版MWA&ボストン版AWA)

ALLIANCEベルト

国際プロレス&UWFインターナショナルに持ち込まれたテーズベルト

力道山インターナショナル選手権ベルト

ロイ・ダン(ウィチタ版ALLIANCE)ベルト

エベレット・マーシャルベルト(オハイオ版MWA?ASSOCIATION?)





ブロンコ・ナグルスキー?ベルト(NWA?)

暫くブログ休止します
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オルガ・マルティネス(Olga Martinez)選手がご逝去なされました

マルティネス選手は60年代にサウスカロライナやコロンビアなどで活躍なさいました


新日本プロレスに2度来日したドン・セラノ選手とご結婚なさり、引退後はテキサス州ヒューストンにてヘアースタイリストをなさっていたようです



亡くなる1週間前位から体調を崩されていたようですね


謹んで御悔やみ申し上げます
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シャド・ガスパード(Shad Gaspard)選手がご逝去なされました


数日前、心配なニュースが流れました
ガスパード選手が息子と共にカルフォルニア州ヴェニスビーチにて強烈な離岸流によって沖へと流され行方不明となったと
懸命な捜索にも関わらず20日遺体となって浜に漂着したと
沿岸警備隊によるとガスパード選手はレスキューに息子を先に頼むと言った後に波に飲まれ姿を消してしまったと


残念でなりません




ガスパード選手は2011年2月にIGFに来日参戦しております
アメリカでは、WWE、WWE傘下のOVWやFCWなどで活躍し、WWEとの契約が切れた後はインディー団体で活動しておりました





タイトル歴

NWAワイルドサイドタッグ選手権(パートナーはJTG選手)

FEWタッグ選手権(パートナーはJTG選手)

OVWサザンタッグ選手権(パートナーはザ・ネイバーフーディー選手、JTG選手)

SWFタッグ選手権(パートナーはJTG選手)

VIPタッグ選手権(パートナーはJTG選手)

WWAタッグ選手権(パートナーはJTG選手)





享年39歳
謹んで御悔やみ申し上げます

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今月9日ご逝去なされたリトル・リチャードさんの葬儀が20日執り行われるようです

記事によりますと、アラバマ州ハンツビルにある歴史的な黒人大学であるオークウッド大学に埋葬されると発表

オークウッド・メモリアル・ガーデンズ墓地のディレクター、ジェラルド・キブルによると、5月20日に密葬が行われる予定で一般公開はされない
同墓地はセブンスデー・アドベンティスト派であるオークウッド大学が所有している
と、あります




リトル・リチャードさんを喪った事は私にとって本当に大きな大きな悲しみであります

改めまして
謹んで御悔やみ申し上げますと共に謹んで哀悼の誠を捧げます
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AAAやWWFでも活躍なさいましたディスカバリー(Discovery)選手がご逝去なされました


ディスカバリー選手はAAAでロス・カデテス・デル・エスパシオ(Los Cadetes Del Espacio)というユニットで活躍しました



死因は癌とのこと


謹んで御悔やみ申し上げます