現在、世界中でISとやらのテロ事件が多発しております。
不特定多数の、なんの罪もなき人々が
極一部の身勝手な思想とやらの為に、その犠牲になっています。

神なるものが居られるのならば、この現状を見てなんと思われるのでしょうか。

そんな中、

2016年7月26日    神奈川県相模原市にて
戦後最悪とも言われる事件が起きました。

事件は世界中に衝撃を与える程の、残虐性をもち、27日現在、各国、各メディアから膨大な意見が飛び交っております。

植松 聖による凶行は、けして許されるものではなく、法律や倫理などを抜きにしても絶対に〝悪〟である事は揺るがない事実であります。

亡くなられた方々に心から御冥福をお祈りするとともに、御遺族様に対し深い哀悼の意を表します。




これより下に記載する内容は、
不適切な表現が含まれ、
関係者やその他大勢の方々に不快な思いや、怒り、哀しみを抱かせてせてしまう恐れがあります。









さっそくですが、

私個人的には、少し気持ちがわかる・・・・
いや、適切な表現ではないな。
なんと言うか、
一理あるなと思う所があるのです。
それが在るが故に、報道を見ていると
記者や各専門家の一方的な発言に
いちいち反応してしまいます。




私自身、幼少の頃から少し人と違った性格をしていまして、現在でも偏見の目を感じる事が多くあります。
そんなマイノリティ側の生活を長くしてきているので、差別や区別は嫌いですし、特に多数による少数への弾圧は許せません。
たまたまなのですが、幼少期よりボーイスカウトを始め、20年以上のボランティアや慈善活動に触れる機会がありました。

先天・後天にかかわらず
身体・精神にかかわらず
障害者を見て「かわいそう」と思う人の方が、かわいそうな心の持ち主ではないかと思っています。
差別とは読んで字の如く、
マジョリティとの差をくらべる行為であって、そもそも偏見を受ける側の私にとっては
比べたところで似たようなものなんです。

そんな私ですが、
「この人、死んだ方が良いのでわないか?」
と、思ってしまう事があります。

悪を滅するための死ではなく
最善の手段が死であるのなら、それは良いのではないのかなぁと思うんです。

わかりやすく言うと
生まれつき五感がなく、精神や思考などもないが、いたって健康な人が生まれたとする。
健康である以上、死ぬ事はないが、生きる為には多大な支援が欠かせない。
本人は生きている自覚もないし、そもそも生死の概念すらなく、無である。

例えば上記のような人がいたとして、
生きている意味や価値はあるのか?
いや、不適切な表現だな。
意味や価値などは、どうでもよくて
ただ単に

「生きていた方が良いのか?」

と、疑問に思います。

「殺してくれ」とも言えず
「死にたい」と言う概念すらなく
もちろん
「生きたい」わけでもない。

植松 聖は誤った思想・行動であることは事実ですが、その裏に
怒りや悲しみと同時に、
少なからず安堵した親族がいる事も事実だと思います。

植松の衆議院議長に宛てた手紙は
ネット等で全文を閲覧する事ができるので、
詳細は省きますが

仮に植松を肯定的な目でみると
下記の様に置き換えることができます。


私は470人の障害者を殺すことができます。
常軌を逸した発言なのは理解しています。
理解している上で、私は保護者の方々や施設の職員などの疲れきった表情や生気の欠けた瞳を見ていられない。
今後の高齢化社会と併せ、このままでは日本情勢が破綻してしまう事は目に見えている。
そうなる前に、なにか手を打たねばならず手紙を書かせて頂きました。

また、障害者当人にしても、動物の様な待遇を余儀なくされている事実があります。
車椅子やベッドに一生繋がれ、監視下の元、自由な行動も許されず、とても人権が守られているとは思えません。
更に実の親や身内でさえその事実を見て見ぬフリをし、絶縁や放棄などが普通に行われています。

この現状を踏まえた上で、
1.本人の現状や将来性
2.近親者の承諾
3.公的機関の許可
などを満たした障害者に限っては、安楽死や尊厳死を実行しても良いのではないでしょうか?その方が当人や保護者の幸せに繋がるのではないでしょうか?
事実、脳死判定後の尊厳死や、植物状態の延命治療の放棄などは黙認、認められています。

国の為、保護者の為、そして重複障害者本人の為にも安楽死を認めてあげられる世界が私の理想です。
現行法では難しいと思います。世論の目もあるでしょう。しかし、誰かがこの現状を打破しなくてはいけないのです。

国が破綻してしまい戦争にでもなれば、それこそ多くの悲しみが生まれます。安楽死を許可制にして頂ければ、良い事ではないにしろ最低限の悲しみでおさまります。

議長や総理には辛い決断だとは思いますが、未来の日本国の為に宜しくお願い致します。
議論の契機としてまず私が行動を実行致しますので後援をお願い致します。

私も辛いのです。なにも大量殺人を犯したい訳ではありません。しかし全人類が心の隅に隠した想いを代弁、代行しているだけなのです・・・・




まぁ、こんな感じですかね?
この後は、逮捕後の心神喪失を狙ってなのかくだらない感じなので省きますが・・・・

常識的かどうかは置いといて、植松なりの正義を感じる事ができると思います。
そして、植松が言っている事が完全に間違いでもないんです。

誰でも1度くらいは思った事ありませんか?
「あの人の家族は大変だなぁ」「自分でなくて良かったなぁ」と・・・・
そして、障害者を見て見ぬフリをし、自分には関係のない事だと割り切っていませんか?
それでは、植松とたいして変わりないと思うんです。

クラスでイジメがあれば、加害者と被害者、そしてその事実を知っている傍観者までが関係者です。
なにもしない人よりは、イジメっ子を殴りつけて怪我をさせてしまうくらいの方が個人的には共感できます。




さて、そんなこんなで事件から1ヶ月が経ちました。長文なので長くなったというのもあるけど、私なりにこの事件を静観していました。
正確には、〝報道の仕方〟を見たかったんです。
昔から「臭い物には蓋を」文化の根付いている日本での報道は、酷いものでした。

報道が酷いと言うか、報道などほとんどされていませんでした。
都知事選?新内閣??それにしても報道は極最小限であったと思います。そうこうしているあいだに、すっかりオリンピックモード突入してしまいましたからね。

そして、たった1ヶ月なのにほとんどの人は事件の存在を忘れています。
毎日どこかで、戦争や殺人やありとあらゆる犯罪が起こっていますが、結局テレビの中の話しなので、関係者以外にはリアル感が沸かないのですね・・・・

あなたは明日、生きてますか?
1時間以内に死なないと断言できますか?
今現在、あなたの家族は確実に生きていますか?


アメーバを始めてすぐにこの事件が起きたので書き始めましたが、私自身、事件に対しての感情が風化してしまっています。

が、やはり植松を完全に否定することができません。
いや、重複障害者と言っても本事件の被害者は感情がありコミュニケーションなどがとれているので、そこは完全に否定しますが、
本当に重度の障害や末期の病気など、はたして無理矢理に生かす事が正しいとは思えません。

結局は、本人以外の人間が勝手に「本人の為」だと主張しているだけであって、本人の意思など本人にしかわからないんです。
「生きてさえいてくれればいい」と言うのも、
観護側のエゴではないでしょうか・・・・

抗癌治療の末、激痛や苦痛を何年も浴び、精神さえも病み、家族の顔すら忘れ訳のわからない苦痛の中、死に至る・・・・

意識のあるうちに、きちんとお別れをして、皆に見守られながら安らかに眠りにつくことは何故否定的なのか・・・・

どちらが正解と言うのではありませんが、選択肢としては偏りがあり過ぎるのではないでしょうか。
倫理や道徳もわかりますが、それはあくまでも大衆感なんです。個を尊重するのに周りは関係ないと思います。

形あるものいつかは崩れる・・・・
生あるものは必ず死に至る・・・・

生を奪うと言う考え方ではなく、死を受けいれてあげるのも、優しさなのかなぁと・・・・






なんかね、言いたい事が全然うまく書けません。書けないから、伝わりもしないと思います。
でも、それでいいんです。
だって私の考え方は私にしかわからないし、あなたにはあなたの考え方があるでしょう?
そしてそれも、時間と共に変化していくものだし・・・・


決めていた1ヶ月になったので、変な感じで申し訳ありませんが、1度締めさせていただきます。