善人 と 言っても
漠然としていますが
こうして 生きている間に
少しでも 他の人のためになることを、
善意をもって 行おうとしている人
行いたいと 思っている人
この記事では
ざっくり そうとらえてもらえたら
良いと 思います![]()
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例えば…
世の中の犯罪を無くすために
自分も貢献したいと思って
👮🏻♂️ 警察になって
残念ながら 殉職された方 とか
線路に 落ちた人を
とっさに助けようとして
自身の命を 落とされてしまった 方など
彼らは
[ 天国に行ける !]
[ 楽園 に行ける !]
[ 良いものに生まれ変われる !]
というような
死後のことについて絶対的な確信があったから
良い生き方をしたのでしょうか![]()
そういう方も 中にはおられるかもしれません。
だけど 大抵
そういう方たちは
死後の 神様からの 見返り など
ほとんど あてにせず
ただ
他の人の 為にも良い 生き方を したいと思って
この世界を 生きた 立派な 方たちだと 思います。
見返りなんか
気にしないで
生きた善人たちにとって
死後のことを 恐れる 必要が あるでしょうか![]()
絶対的な規準の ない中で 小さな 失敗などは あったかもしれませんが…
自分自身の命に関しては
「 何も 思い残すことはない 」
と いう思いで この世を 去ることができる人
そういう人にとっては
楽園での 復活に なるか
天国に行くか
生まれ変わるか (この記事ではそう言っておくのですが…)
究極
あとは 神様に お任せ
神様がおられるなら
良い ようにしてくださる だろうな…
それで 良いと思うんですよね
私も
たとえ 将来 王として 目立たないまま
今 ポックリ いっても…
あるいは 組織のまわし者に 暗殺 されても
何も
思い残すことは ありません。
自信を持って
その時その時を 正しく生きたと 言えますから![]()
聖書中の 模範的な 善人 たちも
復活や楽園がある “から”
エホバ神に 使え 善人として生きた たわけでは 無い。
た 訳 では無い た 一個多かった
ま、そんな利己的な奴は たわけ だな
聖書の真の神と 共に生きた。
死んだ 後は 全て 神に お任せ
善人にとっては 究極 それで いい。
エホバの証人 信者 の 思考のズレ
基本的に 最終的な見返りを求めるような考え方
そこが 違うんだろうなと 感じる
👑🦁エシュア🌸