することのない人…と聞くと どの様なイメージだろうか?
プータロー、ニート、暇人、グータラ…そういうマイナスのイメージが強い悪口のように聞こえる。
しかし聖書中で用いられる場合、一概にそうとも言えないことが分かる
・逃亡中のエフタ
裁き人11:3
(*参照聖句ーサムエル第一22:2)
「そして、することのない男たちがエフタの元に集まって、彼と共に(戦いに)出て行くのであった」。
エフタは裁き人としてエホバ神に選ばれ 用いられた人。
エフタは戦いに勝利したが、彼と共に戦って勝利をおさめたのは、当時することのない男たちと呼ばれるような人々だった。
それでも、その人々はエフタと共に戦う忠節で有能な戦士だった。
・逃亡中のダビデ
サムエル第一22:2
「そして、困窮している者、債権者のいる者、魂の苦しむ者は皆、彼(ダビデ)の元に集まるようになり、彼(ダビデ)はそれらの者の長となった。およそ400人の者が彼と共にいるようになった」。
前に書いた最強戦士 [ヨシェブ バシェベト]も逃亡中のダビデに随行して共に戦っている。
※サムエル第二23:16参照
現代においても同じようなことが起きている。
エホバの証人の中で[することの ある 男たち]は長老や僕
彼らは私と共にはいないし、ほとんどは私を知らない
彼らはまっしぐらに滅びに突き進む
エホバの証人の偽善を知り、エホバの証人の組織内で…
することのない人々がここで私を知り 私と共にいる。
エホバの証人の偽善を知った、エホバの証人の組織内で…
することのない多くの子どもや若者が
私と共にGame Center で戦ってくれた。
私と共にエホバに救い出されるのは
そのような者たち