2年程 前に私自身が書いたブログ記事です
付け加えて幾らか書いておきましょう
① アダムとエバは善悪の知識の木の実を食べた時、許されませんでした。人間の視点からすれば[かわいそうに 許してあげればいいのに。神様は狭量だ]と思うかもしれませんが、実際に彼らアダムとエバは実を食べたことを許されませんでした。神が狭量かどうかを今 討論するわけではなく、事実として完全な善悪の宇宙的な基準を持っておられる聖書の真の神がただ許すということができなかったわけです。
②イエスは神の独り子という立場でしたが贖いとして地上に来られ、人間に罪人として裁かれて杭にかけられて死ななければなりませんでした。ここでも人間の視点からすれば 「神はなぜそんな残酷なことをするのか…かわいいイエスが死ぬのを許すなんて」と思うかもしれません。しかしやはりこのことも完全な善悪の宇宙的な基準を持っておられる神が 行わざるを得ないと決定されたことでした。イエスが杭で息を引き取られたとき 天幕の布が裂けたことから 父である神が非常な苦しみ悲しみを感じられたことがわかります。それでも真の神が避けて通ろうとはされなかったことです。
この2つの聖書の記述から考察すると、宇宙的な基準を持っておられる真の神にとって何か故意の罪や悪がなされた時に ただ許すという選択肢は 無い のです。
邪悪なエホバの証人の幹部たちよ
お前たちの悪が、ただ一回の死によって贖われるとでも思うのか
善悪の宇宙的で完全な基準をお持ちの神がそうはされない
死んでからがお前たちの悪の精算の時
イエスの富んだ人とラザロの例え話の様に…死んでから 飢え渇き続けてもらおう
生きている間であれば、死に逃げれるかもしれないが…死んでからはもう死には逃げれない
精算を果たすまで、確実に苦しんで頂こう。
善を行う神の民を苦しませ あるいは拷問した者は、真の神が死んでからその者に死によって終わることのない拷問を返されるように!!!
たとえ疲れても 辞めることも寝ることもできない状態で虚しい仕事を3000年くらい行ってもらうのも悪くない…🤔
邪悪な者の精算
それを思う時、今から笑いが込み上げてくる
義なる者よ!
大いに笑おうではなかか!!!
私 が聖書の真の神の前で語った言葉
真の神 ヤハがまさしくそのようになさり、重ねてそのようになさるように!
アーメン アーメン
🕊エシュア 🦁