ユニフォームを集めるきっかけになった、一番思い入れのあるユニです。

 

1993年 Jリーグ開幕。

当時サッカーなど全く興味のなかった(ダイエーホークスの応援に夢中だった)小6の私の目に映る映像からは、

強烈なチアホーンの音とカズ。

家族でテレビ中継を見ながら、

カズのまたぎフェイントからの抜き去りを「すげーな」などと話していたのを思い出します。

そこからサッカーに興味をもちました。

 

アメリカW杯最終予選、日本対イラク戦を見るために、

帰って来てから夕寝。

夜中に起きてテレビ観戦。

ドーハの悲劇と呼ばれるあの試合後、

中継スタジオにカメラが戻ると、

誰も何も話せず、シーンとしていたのが印象的でした。

いつかこのドーハのユニフォームを手に入れたいなあ。

 

サッカーに興味はありつつも、

サッカー部はヤンキーのような気の強い人の集まり。

もっぱら観戦専門でした。

 

そして4年後、ジョホールバルの歓喜。

しかし、フランスのピッチにカズの姿はありませんでした。

当時高校生だった私は、『たった一人のワールドカップ』を

ずっとカバンに入れていて、バイブルのようにしていました。

 

時は流れ、クロアチア・ザグレブから加茂監督率いる京都パープルサンガで日本復帰。

大学生だった私は、あこがれのカズ選手に会いに、東城陽の練習場へ行きました。

一回目は着いた時間が遅く、車で帰るカズ選手を写真に収めるのが精一杯。

二回目で、ついにサインをもらうことができました。

嬉しかったですね。思わず震えました。

つるしながら書いてもらったので、KAZUの「U」の文字がありません(涙)

当時、神戸三宮にあったワールドスポーツプラザで、マーキング。

 

カズは京都から神戸へ。

今度こそ、きれいなサインをもらおうといぶきの森へ。

練習終わり、カズ選手はなかなか外に出てきません。

やっと出てきたその時、思わず

「カズさん!サインお願いします!」と大声で言ってしまいました。

こちらを一瞥して、隣のクラブハウスの窓越しに誰かと話すカズ選手。

あ、だめか・・・と思った瞬間、こちらに向かって走り出すカズ選手。

話が終わった後、なんとカズはこちらに走って来てくれました。

そしてサイン。

嬉しかったです。

カズ選手のファンサービスは一流だとよくニュースになりますが、

あの時もまさか駆け足でこちらに来てくれるとは・・・。

心からしびれました。

 

今年で51歳。

横浜FCは昇格プレーオフに進み、

12年ぶりのJ1へあと一歩のところまできています。

 

マーキングに経年劣化はありますが、

一番思い出深く、

一番大切なユニフォームです。