志村けんさんが亡くなられました。
追悼番組を見ましたが、未だ実感がわきません。
ケンちゃんラーメンをご存じですか?
シールが入っていて、スクラッチくじがついており、
確か同じ顔が3つそろうと当たりだったと思います。
画像をお借りしましたが、この左側のペンが当たったことを思い出しました。
当たりが出た時の記憶が残っています。
祖父母の家で、ケンちゃんラーメンを開けたんですね。
小さなシールのスクラッチを削ると、同じ顔が3つ。
こういう類のもので当たったことがなかったので、
当たりが出たことが信じられず、「出た!当たった!」と叫びました。
親父や母に、3つの絵が揃ったこと、これで飛び出すペンがもらえることを熱く説明しました(笑)
しかし、隣にいた酔っ払っている親父の反応は期待していたほどのものではなく、
母もニコニコ笑って「へえー、よかったやん」といった程度でした。
どうして大人はもっと喜ばないのか。
あのケンちゃんラーメンの当たりが出たんだぞ。
テレビで流れているCMのあのペンが手に入るんだぞ。
小さかった私は不思議に思いながら、どのペンが届くのかを楽しみに待ちました。
そこで送られてきたのが、先ほどの悪ガキケンちゃんの飛び出すペンでした。
CMでは、志村けんがこのペンのボタンを押して何かを言うシーンがあり、
実際にペンを持って弟と何度も繰り返し真似をした記憶があります。
追悼番組では、バスケットボールとスイカを間違えてドルブル、スイカは地面に落ちてぐっちゃぐちゃ、というシーンがありました。
今だったらきっと「食べ物を粗末にするな」という苦情が来るでしょう。
そういう時代だったんですね。
「志村けんのだいじょうぶだあ」では、ぱいのぱいの体操?がありましたよね。
今からすると、よくこんなの放送できたな、と思いますね。
「バカ殿」の人間すごろくでは、トップレスの女性と一緒に入浴。
こういうお色気シーンが多かったから、大人はあまり良く思っていなかったのかもしれません。
追悼番組を見ていると、当時のことがどんどん思い出されてくるんですね。
家の冷蔵庫の裏に、ヤモリが出て、家じゅう大騒ぎ。
その様子をビデオに撮りながら「これ、カトちゃんケンちゃん面白テレビの面白ビデオに出せるで!」と大騒ぎする幼い私。
先ほどのケンちゃんラーメンの当たりが出た場面には、
若かった両親がいて、小さい弟が一緒に笑ってて、
何よりいつも私をほめてくれる、私の味方になってくれる大好きだった祖父母がいました。
小さな部屋で、テーブルをみんなで囲んで、ご飯を食べていたあの時。
お酒を飲んで上機嫌な親父と祖父。
大笑いしているみんなの顔。
その祖父母の家も、先日売却されました。
あの頃は当たり前だった風景は、もう二度と再現できません。
祖父母は亡くなり、あの家もなくなりました。
実際に家は建っているのですが、違う人が住むことになったあの家は、
もはや祖父母の家ではなくなりました。
決して裕福ではなかったけれど、
家族がいて、
祖父母がいた。
学校で嫌なことがあっても、
家族がいればなんとかなる気がした。
「大したもんだ」と祖父から褒められると、心の底から嬉しかった。
ニコニコ笑う祖母を見るだけで、幸せだった。
大人になることで手に入ったものも多いけれど
もう二度と見ることはできない景色がある
もう二度と会えない人がいる。
大人になるって、こういうことだったのだろうか。
人生って何なのだろう。
そんなことを、思います。
コロナにかかると、家族でも会えず、
亡くなればそのまま火葬されるということも、
志村さんの死で知りました。
ひっそりと命を閉じた志村けんさん。
志村けんさんの笑いのそばには、
私たち兄弟の、家族の、笑い声がありました。
志村けんさんは、単に私たちを笑わせてくれる人ではなく、
僕らのヒーローでした。
ご冥福をお祈りします。