私は心配性な子供だったので、

つまらないことを心配していたのを時々思い出します。

 

1つは毎朝のように納豆を売りに来ていたおじいさんのこと。

木を薄くスライスした経木(きょうぎ)に包んだ納豆を1つ、

週に二、三回はわが家で買っていたと思います。

手渡ししてくれるときに、経木の上にポンとカラシを乗せてくれて、

値段は忘れましたが、10円玉が1つか2つだったような気がします。

 

 

経木に入った納豆

 

子供心に納豆1つの値段は自分の小遣いよりも

少ないと思っていましたので、

このおじいさんはこの納豆いくつ売ればいいのかな、

100個売っても暮らしていけないのではないかなどと案じていました。

 

それでもいつも元気に来てくれていたので、

頭の中で「この人は息子さんと一緒に暮らしていて、

その息子さんが稼いでくれて、

おじいさんは小遣い稼ぎにやっているんだ。」

などと無理やり納得していたものです。

実際は聞いたこともないのでよくわかりません。

 

 

花札

 

また1つは我が家ではお正月だけ花札を出して遊んでいましたが、

覚えている限り1つのセットを何年もずっと使っていました。

ここでまた気がかりだったのは、

一つの花札セットを一つの家庭が何年も使っていたのでは、

この会社はたくさん売り上げられないのでは。

絵柄もトランプのようにハイカラではなく、

なんとなく古っぽくて余計に「大丈夫か」

という気持ちになっていました。

 

よく覚えているのは札の一枚に「任天堂」と言う名前があって、

この会社も大変だなと思っていました。

 

そこでまた子供心に思いめぐらせた考えは、

我が家では何年も1つのセットを使っているが、

映画などでは、博徒が花札を使っているシーンがあり、

きっとああいう人たちがたくさん買ってくれるので、

この会社は大丈夫なんだ、と。

 

それがファミリーコンピュータを売り出し、

あっという間に有名な企業「Nintendo」になったのを見て、

余計な心配だったなと苦笑いしたのを覚えています。

 

 

 

 

同じようにカミソリのメーカーのことも気になっていました。

父親は両刃タイプの安全カミソリを使っていましたが、

刃を交換するところを見たことがありませんでした。

なのでずっと1枚のカミソリの刃を使っているものだと、

勝手に勘違いをして、何枚も売れないようなものを作って、

この会社はやっていけるのかと気にしていました。

 

ところが実際、自分がヒゲを剃り始めると、

カミソリは意外とすぐ切れなくなるもので、

2枚刃、3枚刃、5枚刃と刃の数も値段も増し、

替刃は思いのほか高くつくものだと認識するようになりました。

なのでこれまた余計なお世話の物案じでした。

 

 



 

あれこれ人のことを心配していましたが、

よく考えてみると、1番心配されるべきは自分自身ではないかと

納豆売りのおじいさんと同じくらいの歳になった今感じているところです。