昨日12月12日は満月でした。

雲の切れ間に大きな丸い月が見えました。

 

道路の真ん中に立ち止まって月を見上げるのは

さすがに不自然なので、

長めの信号で立ち止まった時に改めてお月見です。

 

快適な気温の中で見る中秋の名月と違って、

冷たい空気の中で見る満月は、

冴え冴えとした表情をしているように思えます。

 特に昨日は雲があり、雲の切れ間からくっきりとした輪郭が見ましたので、

余計に冷ややかに感じられました。

 

こういう月を見ていると、

英悟のlunaticという言葉を思い出します。

狂気の、とか精神医異常をきたしている、などの意味です。

 

満月や新月の夜は凶悪事件や交通事故が多いと指摘した

「月の魔力」という本をだいぶ昔に読みました。

あれは確かアメリカの統計が元にだったように記憶していますが、

日本でも同じような傾向があるのでしょうか。

 

交通事故や犯罪の統計などは自由にダウンロードして

分析できるらしいので、

どなたがきっと研究されているのでしょう。

 

それでも今日は満月(又は新月)ですから運転や、

行動に注意しましょうというアナウンスは聞いたことがないので、

月の魔力はほとんど誤差の範囲なのかもしれません。

 

それとも、オオカミ男体質のようなものがあって、

敏感な人だけが、

月の満ち欠けから何らかの影響をうけるのでしょうか。

 

月に関しては、もっとはっきり確認できるものに

「月の錯視」と呼ばれるものがあります。

これは、地平線近くの月は天頂近くにある時よりも

,4割増しに大きく見える現象のことです。

童謡にあるように『盆のよう』に見えることを言います。

 

これが「錯視」と言われるのは、

大きく「見える」だけで、

大気か何かのレンズの効果でもって、

拡大された月の象が目に映るわけではありません。

 

物理的な見た目の直径は、上ったばかりの満月も、

高く上った満月も、腕を伸ばして持った5円玉

の穴程度の大きさです。

 

信じられないことですが、あの『盆のよう』な月が、

ほんとうに5円玉の穴の大きさなのです。

そして、中天にある月も同じ5円玉の穴の大きさなのです。

 

原因については諸説あるようですが

地上の風景との関連を求める説が有力なようです。

ぽつんと単独で見るよりも、

手前に大きさを判断する手がかりになる建物があり、

それとの対比でサイズが大きく感じるとのことです。

 

 ここで、信号が変わり地上に視線を戻し歩き始めました。

あれこれ、思い出していたのは、

少しの間、月に魅入られていたのかもしれません。