お盆だからというわけではありませんが、

以前から気になっていた奈良の大仏開眼供養のことを書きます。

 

何で見たのか、読んだのかはっきり覚えていませんが

「大仏開眼供養は、外国の僧侶が招かれて参列した国際的なイベントだ」

のような記述があったように記憶しています。

国はインド、ペルシア、唐、ベトナム、新羅などです。

 

実際、新しくできた大仏様に魂を迎え入れるため、

目を書き入れる導師の役は、 

インド人のお坊さん菩提僊那(ぼだいせんな)という方です。

 

私が不思議に思ったのは、「招かれて」というのは、

招待状を送った結果いらっしゃったということ?

どなた宛に、招待状をどうやって届け、

お坊さんたちはどのような旅をして日本に来たのか?

ここのところがわかりませんでした。

 

当時の唐や新羅なら国交があって、

遣唐使が行ったり来たりしていたはずです。

一大国家プロジェクトの完成披露であればご近所に声をかけるのは、わかります。

 

でも、ペルシャ(今のどのあたり?イランやイラクか)まで声はかけないだろう。

大仏開眼の年は「奈良のごっつい大仏さん」で752年。

イスラム帝国ができているはずですから中国より西は対象外でしょう。

 

インドにしても玄奘三蔵が「西遊記」のお話ができるほどの困難な旅をして、

経典を持ち帰ったのだし、簡単に招待状など届けられないのでは。

 

また、日本の古代史の中でベトナムが出てきた記憶がないので、

普段お付き合いしていない、同じ仏教が伝わっているというだけの、

遠い親戚のような関係の国に招待状など出すのかね。

などと考えていました。

 

少し調べて、納得がいきました。

参列した外国の方々はそれぞれの国から、

当時の大帝国、唐の都、長安に勉強に来ていた人たちでした。

 

菩提僊那(ぼだいせんな)は南インドのバラモン階級出身で、

なんとヒマラヤ越で唐に来て活動中。

今のベトナム出身のお坊さんは仏哲。ペルシア人の名前は李密翳

この方はお坊さんではなく、技術者のようです。

また、唐出身の音楽家の皇甫東朝袁晋卿がいたとのこと。

 

 

つまり、世界最先端の文化都市の長安で遣唐使たちが、

仏教や、技術、音楽などに優れた人たちを出身国に関係なくスカウトし、

日本に招聘したということらしい。

 

そして、遣唐使とともに日本に入ったのは、

大仏開眼の16年前の736年ということです。

それぞれ、日本で十分活躍して、

その道の大家として尊敬もされていたのだと思います。

それで、大プロジェクトの儀式の大事なところを

任されたということだと理解しました。

 

大イベントだけのために外国から偉いお坊さんや、

音楽家を招待したように勘違いした私がそそっかしいようでした。