鴨神社(かもじんじゃ) 延喜式内社の論社
大阪府高槻市赤大路町42-3
○ご祭神
大山積(祗)命 (おおやまづみのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと)
鴨御祖大神(かものみおやおおかみ)
大山積命は「古事記」「日本書紀」で、皇祖イザナギ・イザナミノミコトの子として、
神代系図第七代の神(山ノ神)。又「伊予風土記」(713年)では百済からの渡来人が祭った
神とされ、百済の第二五代武寧王(斯麻王)の没(523年)により、これを「斯麻の神」「嶋
の神」さらに「御嶋の神」としても祭られ、別名「和多志の大神」(海の神)とも記されて
いる。
また、大山積命は娘の「木花開耶媛命(このはなさくやひめのみこと)」が「瓊々杵尊
(ににぎのみこと)」と結婚し、神武天皇の祖父に当たる「日子穂々手見命(ひこほほで
のみのみこと)」を産んだときに大喜びして、天甜酒(あむのたむざけ)を造り、祝った。
これが稲から酒を造った始まりで、この大神を酒解神(さけどきのかみ)と呼び、酒造り
の祖神となっている。
○発祥の縁起
創建年紀は不明なるも、初代神武天皇から第九代開化天皇(四世紀初め)までの奈良葛城
王朝を支えた「鴨氏」により三世紀頃に創建されたとの伝承がある。
又「伊予風土記」では「仁徳天皇のころ、最初攝津の国、御嶋の地に座した」とあり、
それは「続日本記」の「別記」によれば、「摂津の国嶋下郡三嶋鴨社なり」とある。
即ち往古よりの「嶋氏」始建に加担するかたちで百済系の渡来人がその頃創建したもので、
当社からの分社の「三島鴨神社由来」では「地所は、島上郡、島下郡の中間で三島藍の陵
(継体天皇御陵)より巽方四丁(約四百m)にあり往古は小社にあらず」とある。
然る後、当社「大山積命」を守護神とする右記百済系の「三島氏」が百済との海上交易を
深める為、当攝津の国から愛媛県の伊予大三島に「三島大社」を勧請し、後の三島水軍の
守護神となった。
また、伊豆にも東上し、伊豆の「三島大社」をも起すなど、当社は全国千数百の三島神社
の発祥の大本の地でもある。
(ホームページより)