列車の運転士は、マスコンやブレーキなどの機器をただ操作するだけでなく、列車前方の安全を確認しつづける必要がある、集中力が必要な仕事です。
そのため、長距離を走る列車の場合、運転士は適当な駅で交代することがよくあります。
しかし、ノンストップで走る列車の場合、そうはいきません。
途中の駅などで停まり、客用ドアは開けず、乗務員の交代のみを行うこともできますが、そのために停車していてはスピードアップの弊害になります。
そこで過去には、走行中に運転士を交代するということが、日常的に行われていました。
国内で最後まで走行中の運転士交代を実施していたのは、近畿日本鉄道の名阪ノンストップ特急「アーバンライナー」です。
かつての同列車は、近鉄名古屋駅を出ると、次の停車駅は200キロ弱先にある大阪の鶴橋駅でした。
途中で乗務員が交代できる停車駅がない「アーバンライナー」では、名古屋線と大阪線の接続駅である伊勢中川駅北方の中川短絡線を走行中に、運転士が交代していたのです。
この中川短絡線はカーブ上にあるため、最高速度30km/hとゆっくりとした速度で走行します。
交代自体も一瞬のため、これによる事故は発生していません。
そんな珍しい交代も、2012年に全ての名阪特急が津駅に停車するようになり、乗務員交代も同駅で行われるようになったことで、今では見られなくなりました。
東海道新幹線も東京~名古屋間で2時間以上要していた開業当初、及び新横浜~新大阪間ノンストップ(下り1本のみ)で2時間を超えた最初期の「のぞみ」で、それぞれ交代要員が必須でした。
東海道新幹線では下りは豊橋付近で、上りは浜松付近で走行中に運転士が交代していました。
1958年に運転を開始した東京~大阪・神戸間を走った国鉄初の特急電車「こだま」は、運転開始時は横浜~名古屋間がノンストップだったので、途中の静岡を過ぎた安倍川橋梁上を走行中に乗務員の交代を行っていました。
数年後、特急が静岡県内の静岡駅または浜松駅に停車するようになった後はもちろん停車中に交代するようになりました。
これらの走行中の運転士交代時は2人で前方と計器を見ているので、いわば最も安全な瞬間といわれます。
さらに時をさかのぼり、蒸気機関車の時代にも、優等列車での乗務員交代が問題となったことがありました。
1930年に東京~神戸間で運転を開始した超特急「燕」(つばめ)は、東京~大阪間を8時間20分、東京~神戸間を9時間と、それまでより2時間以上も所要時間を短縮しました。
この高速運転を実現するため、東京~名古屋間の途中停車駅は、運転開始当初は横浜駅のみ。(下りは国府津駅、上りは沼津駅にも停車していたが、これは箱根越えの補助機関車を連結するためのもので、客扱いは行わない)
先述した「アーバンライナー」同様、乗務員を交代するための適当な停車駅がなかったのです。
そのため、「燕」でも走行中に乗務員を交代していたのですが、当時使われていた蒸気機関車では、運転室の後ろに石炭や水を積載する炭水車があり、「燕」ではさらにその後ろに、水タンク車を1両連結していました。
客車で待機していた機関士と機関助士は、交代タイミングになると、水タンク車の側面(もちろん車外)を伝い、炭水車内部に設けられた通路を通って、運転室にアクセスしていたのです。
それも走行中に。
さすがに、ここまでしてのスピードアップは無理があり、加えて機関士交代の方法があまりにも危険なため、1932年には静岡駅が停車駅に加わり、同駅で乗務員交代と機関車への水の補給が実施されることになり、水タンク車の連結は廃止されました。