「目に入れても痛くない程かわいい」
と思えなかった、というか、私も冷めてた?
長男に対しては、初めから、『子供』というより、『一個人、大人、人間』
みたいな感覚だった。
小さい頃から、毎月発熱し、以前にも書いたが、霰粒腫の目の手術をしたり……
その時はもちろん、我が子を心配する母になる。
次男が年子で生まれたのだが、長男は主人担当、次男は私担当という感じで、歳が離れて生まれた長女の赤ちゃん時代を振り返るに、長男が保育園に入るまでの記憶が全く?ない事に気付いた。
たぶん、それだけ大変だったからだろう。
主人は二交代だから、よく、長男を連れて電車に乗って出かけていた。
主人も、父によく電車で連れて行ってもらってたようだ。(姑談)
最近、主人は、ローカルバスや、電車の旅のテレビ番組を見てるので、元々好きなんだと、新発見した。
主人が夜勤でいない時は、次男が赤ちゃんの頃は、二人を洗面所に閉じ込め(洗面所の中に風呂場がある)、私が先に一人速攻で自分を洗い、次に長男を入れパジャマを着せ、洗面所へ、
最後に次男。
この間、洗面所にいる子はずっと泣きわめいてる。

二人が歩けるようになると、3人で入るのだが、私がシャンプーしている間、溺れないか気が気でなかった。
実際、次男を洗ってて、長男が湯船で溺れかけた時は、慌ててすくいあげた

長男が保育園に行く前頃、9時には部屋を暗くして川の字で寝ていた。
寝る前に、長男、次男と色んな話をした。
話の内容は覚えてないのだが、長男と話す時は、大人の感覚で話していた。
私がいじめられてた辛い過去があるので、いじめられてる子がいたら、声を掛けてあげるように、とか、
パラリンピックの放送を見て、子供は素直に「なんであの人は、手、足がないの?」と聞く。
私なりに、その人が困難を乗り越え、ここまでどれだけの努力でスポーツをやってきたか、話して聞かせると、
「へぇ~すごいなぁ~
」と目を輝かせて見ていた。

私も、高校時代、ボランティア部で、実際に身障者の人の車イスバスケを見て感動したからだ。
長男は、飲込みもよく、頭の回転も速く、思いやりのある子に育った。
小学3年の頃、同級生の近所の男の子(A君)が不登校ぎみになり、幼馴染みだった長男は、その子の担当になった。
担任の先生もすごくいい先生で、A君は、長男がいると安心できるのか、長男はずっとその子に寄り添っていた。
ある朝、「ぎゃーーー」という泣き声と共に、「そんなに泣いたらお母さんが恥ずかしいやんか‼️」と、先生の「お母さん、そんな事言わないでください❗️」という声が聞こえた。
A君だ。
先生もよく、自宅まで迎えに行っていた。
A君のお母さんは、精神的に病んでたと思う。
私がA君のお母さんと関わるようになったのは、長男が地域の少年スポーツに入ってからだ。
ある試合の合間、他の母たちも皆知り合いなのに、一人ぽつんと座っていたので、私は一人でいる寂しさを知っているから、楽しい母たちの会話からそっと抜け、その人の隣に座った。
特に話すでもなく。
でも、私は他の母たちの楽しそうな会話の中に居たかった。
恥ずかしながら、その時初めて、長男の気持ちがダイレクトに解ったのだ。
長男は、同じチームの子に誘われても断り、ずっとA君の側にいた。
私にも「こんな場合はどうしたらいい?」とアドバイスを求めてくることもあり、それに私も答えていた。
担任や、A君のお母さんからは、「心の重荷になってないか?」と良く聞かれていたのだが、確かに長男は浮かない表情の時はあったが、何もいわなかった。
本当は、皆んなと楽しく遊びたかったのではないか?
我慢してたんだ、きっと。
悪いと思って、ずっとA君に寄り添ってたんだ。
と、解った。
私がA君のお母さんといて初めて気づくとは…
長男の本心まで見てなかった。
長男、人の悪口や告げ口など一切しない。
自分の気持ちも言わない。
主人にそっくりだ。
長男には、「他の友達と遊びたかったら、遊んでもいいんやで。
ずっと一緒におらなあかんて、思わなくていいし、しんどくなったら、断ってもいいんやで」と話した。
A君のお母さんは、寝られず、食欲もなく、激痩せし、家事もできないから、彼女の母が看病に来ていた。
調子の悪い時は明らかに目つき、顔付きが違い、被害妄想が異常にひどく、私も怖くなり距離を置いた。
身の危険を感じ、私まで心身共に参ってしまう寸前だった。
(この頃は、私は元気だった)
そのうち、少年スポーツチームを、その親子は辞めた。
それから徐々に長男もA君と距離を置くようになった。
1年後、突然メール受信が立て続けに鳴る。
見ると、彼女からだった。
1通では文字数が足りない為、4件も続けて打っていて、
「うちは、貴方達のせいで辞めさせられた。一生この傷は癒えない等……」
この一年、ずっと恨まれてたのか

逆恨み

主人にも相談し、スルーした。
それから、十何年経った頃、突然彼女から電話が

「祭りの来客の事で聞きたいんやけど」と何事も無かったかの様に、普通に戻ってた。
うちの祭りは、色々しきたりがあり、大変なのだ。
今まで私が恐怖を引きずってたのは、なんだったんだ

まあ、恨まれて無くて良かったと思うしかないが、恐ろしい

この件以来、あまり踏み込むのを辞めた。
どこで、どう逆恨みされるか解らないから。
彼女のことは、さて置き、
年子の子育ては大変だった、
3人年子だったらどうしようと思った。
双子のお母さんは、もっと大変だと思う。
皆、人見知りがひどく、人見知りの頃は、主人を見ても泣いていた。
私から離れず、声の大きい人や、強面の人を見ると泣き、
夜泣きもひどく、主人は全く起きないし、気付かない。
他の子は、お母さんから離れて遊ぶのに、うちの子は、私の愛情不足でおかしいのではないかと深刻に悩んだ。
大きくなるに従い、私から離れていった。
夜泣きでは、
運転免許のない私は、おんぶひもで背負い、マンションの階段をひたすら往復した。
オッパイ吸わないと寝ないので、断乳の時は、たまたま、子供3人共、私がメニエールや、髄膜炎やらで、薬の服用で母乳をやれなくなったから。
一週間位は、夜中、泣き続けた。
私は体調不良の為、ずっと主人が抱っこして、私の体調が良くなる頃に断乳に成功した。
(夜泣きの時、寝ていた主人だから、その時の分が、一気にきたんだよ、きっと
)

中学で、スポーツのクラブチームに入り、副キャプテンとして、外では、他の母たちから「優しい良い子だね」と褒めらていたが、家の中では、ストレス発散か、思春期か、すぐ切れて、腫れ物に触るように接し、弟妹も私たち夫婦も、長男がいるだけで、ピリピリ張り詰めた空気が半端ない

クソハバァ呼ばわりで、取っ組み合いの喧嘩して主人に止められたり、台風の日に、小学生の長男一人残して、下二人連れて実家(電車で一駅)に家出し、後を主人に託したり…
高校に入ってからは、反抗期も落ち着き、私大で一人暮らしする今では、優しくなり、話も沢山するようになった。
ただ、お金の苦労はさせたく無かったのに、させなければならない事になってしまった。
奨学金を長男が返済するが、何百万の返済だ。
私も自費で、専門学校出たので、子供も苦労するのは、成長の一歩だと思っている。
奨学金(借金)の返済は、大変なのは、私が一番解ってるけど、助ける余裕がうちにはない。
長男も将来、結婚し、家を買い、ローンを払っていけるか心配してるのが、かわいそうだが、仕方ない…
なるようになる、ケ・セラ・セラ

と、思う日々。
つづく
随分長文になりました



今回も、お読みくださり、ありがとうございます

私の鼻が、ハート

(皮膚移植の失敗が、
に見えたんだね)

自分の妹からは、「お化け」と喧嘩の時に言われたが、子供達から顔の事は聞かれたことがない。
子供の友達からは、聞かれたことがあるが。
私の顔の事で、子供達がいじめられなくて良かった…