泣いていると、ゆかが部屋に入ってきた。
驚いて涙を拭う。
ゆかは驚いたように私を見て言った。
『ちひろ!?どうしたの?何があったの?』
泣いていたことはごまかしきれなかった。
いつもと同じように何も無かったように振る舞えない。
人前では泣かないと決めたのに、泣いているところを見られてしまった。
情けない。
「別に・・・何もないよ。大丈夫。」
ゆかに顔を見られたくなくて目をそらした。
『そんな訳ないじゃん!何があったの!?コウジのせい!?!?』
彼は何も悪くない。
私が勝手に泣いたのだ。
「彼のせいじゃないよ。ただ泣きたくなっただけ。」
『ちひろは絶対に泣かないじゃん。自分でも泣かないって言ってたじゃん。何かあったんでしょ?』
仕方なく、少しだけ話した。
昨日の彼のことを思い出して苦しくなって泣いてしまったこと。
それだけを伝えると、ゆかは言った。
『その人に会ってくれば?会ってちゃんと気持ちを確認しておいで』
そう言った。

気持ち?
気持ちってどんな気持ちを確認するの?
私には、恋愛感情なんて分からない。
むしろそんなの必要ない。
私は独りなんだから。
誰かに頼ってはだめなんだ。
昔から母は泣いてばかりだった。
父は怒ってばかり。
姉は家を嫌って帰ってこない。
それはきっと距離が近すぎるからなんだ。
そんな悲しさや寂しさはもう嫌なんだよ。
そんな物を味わうくらいなら、誰とも近くなりたくない。
付かず離れず、寂しくなった時だけ誰かが傍に居てくれるだけでいい。
人と距離が近いのは恐いよ。


答えない私を見てゆかは言った。
『会いたいんじゃないの?会いたいなら会えば良いじゃん。はっきりしないのは、ちひろらしくないよ。』

時計を見る。
時刻は午後5時過ぎ。
寮の門限は午後7時。

携帯を見つめる。

どうすれば良いか分からない。
答えが出ない。

彼の顔を思い出す。
別に格好良い訳じゃない。
背だって高い訳じゃない。
服装だってごく普通。

でも優しかった。
でも安心した。
でも居心地が良かった。

携帯を開いて、彼の番号を呼び出す。

発信ボタンを押す勇気は無い。

番号を見つめていると、そんな私を見てやきもきしたのだろう。
突然ゆかが携帯を取り上げて発信ボタンを押した。
「ちょ・・・!!何してんの!?!?切る!!」
慌てて携帯を取り返そうとするけど、ゆかは私の手をするりと抜けて携帯を返してくれない。
「相手が出たらどうすんのよ!!マジで返して!!!」
必死に携帯を取り戻そうとするけど、取り返せない。
焦りながらゆかに向かって叫んでいると、あっけらかんとした顔でゆかは言った。
『あ・・・。電話出たよ。はい♪』
相手が出てしまった以上、切る訳にはいかない。。。
心臓はバクバクで、頭は真っ白。
ゆかを睨みながら携帯を受け取った。

目が覚めた。
時計を見ると午前7時。
携帯を開くと新着メール1件。
彼からだった。

明日、会おうなんて急すぎたかな。
明日は1日何もしてないから、もし良かったら連絡して。

私が眠ってから彼はメールを送ってきたらしい。
短く溜息をつきながらベッドから起き上がる。
顔を洗って、食道に行く。
朝食を食べながら考える。
今日一日、どうしようか・・・。
悩んでいると、ゆかがやってきた。

『おはよ~。ちひろの今日の予定は?』
「おはよ。ん~。特に決まってないよ。」
彼の事が頭をよぎったけど、それを無視して答える。
『じゃぁさ、遊びに行かない?』
「良いよぉ。どこ行く?」
『いや、実はさ、彼氏の友達が女紹介して欲しいらしいんだよね。』
少し言いにくそうにゆかが言う。
つまり、紹介相手に私を選んだらしい。
面倒だな・・・と思いつつ、彼を振り切るには良いチャンスかもしれないと思った。
男なんて皆同じだと思えれば、彼のことなんてすぐに忘れられると思ったのだ。

『嫌だったらいいんだよ。昨日、気になる人ができたって言ってたし・・・。』
ゆかも何て言っていいか分からないのだろう、困った顔をしながら一生懸命に言葉を選んでいる。
そんな姿が可愛くて、少し笑いながら答えた。
「ゆかもしつこく言われて困ってるんでしょ?私で良ければ行くよ。」
私の答えを聞いた瞬間、ゆかの顔は一瞬にして明るくなった。


待ち合わせは午前10時。
2人で騒ぎながら出かける準備をする。
準備が整って、寮を出た。
待ち合わせ場所に着くと、すでにゆかの彼は待っていた。
いかにもギャル男といった感じの男と車。
ゆかが好きそうなタイプだなぁと思いつつ車に乗り込む。
軽く挨拶をする。

ゆかは助手席で私は後部座席に座る。
紹介される予定の男は別の所で待っているらしい。
その男が待つ場所に到着する間、後部座席でぼーっとしていた。

昨日の彼の車とは雰囲気が全然違う。

甘ったるい芳香剤の匂いとうるさい位のトランスがかかっている車。
昨日の彼の車は、特に飾りたてている訳じゃないけど清潔感が漂って、とても静かだった。
トランスは嫌いじゃないし、甘ったるい匂いも嫌いじゃない。
けど、落ち着かない。

気がつけば、車は停車していた。

ゆか達に続いて車を降りる。
3mくらい離れたところに、またまたいかにもギャル男が待っていた。
合流してカラオケに行くことに決定し、近くのカラオケBOXまで移動する。
個室に入って改めて自己紹介をした。

さすがに皆テンションが高い。
その場の雰囲気を壊さないために、無理やりテンションを上げる。
しばらくすると、紹介された男がすり寄ってきた。
どんだけ女に飢えてんだよwと心の中で突っ込みながら男の顔を見る。
『ちひろちゃんって可愛いねw』
お決まりのセリフ。
「そんな事ないよ~wコウジ(男)君、かっこ良いからモテるでしょ?w」
そしてお決まりの返事。
『全然モテねーよw彼女もできねーし。』
どこまでいっても予想通りの反応。
やっぱり男なんて皆同じなんだ。
そう頭で確認しながら会話を進める。
歌も歌いつつ、歌の合間には男と会話をした。

会話は全て思い通りに進んでいった。
けれど、足りない。
私の中に渦巻く感情を振り切るにはまだ足りない。
自分を汚したくなった。
汚れきっていないから、夢を見たくなるんだと思ったから。
夢なんかいらない。
綺麗な物なんて存在しないのに、それを望むのは私が甘いから。
自分を汚してきたつもりだったけど、汚れきっていなかった。
汚さなければ・・・。

そっと隣にいる男の手に触れてみた。
少し驚いたみたいだったけど、すぐに指を絡めてきた。
しばらくすると男が耳元で囁いた。
『今から部屋出るから、少ししたら出てきて?』
男の目を見て、ニッコリ笑ってみる。
男は「トイレ行ってくるわ~」とか言いつつ部屋を出た。
その数分後に私も席を立った。

部屋を出ると男が階段近くで待っていた。
男の傍に寄ると男は嬉しそうに笑う。
同じような笑顔をたくさん見てきた。
人間の隠しきれない欲求が表情に出ている。
階段に2人並んで座る。
男は口を開いた。
『何かちひろちゃんって、すっげー俺のタイプでびっくりしたよ。』
見え透いた嘘。
「またまた~wよく言うよw」
冗談っぽく言い返す。
『いや、マジで!今日来てよかったし!!』
えらく声に力が入っている。
その反応がおかしくて笑いを噛み殺した。
「ほんと・・・?あたしも今日来て良かったな・・・」
少し上目づかいで顔を見る。
体を男に密着させた。
首に手を回し、少しだけ力を入れたら後は勝手に男の顔が近づいた。
唇を重ねる。
男の舌は勝手に私の口の中で暴れ出した。

ほらね・・・。どんな男でも皆反応は同じ。

そう思いながら目を閉じる。

男の興奮は少しずつ高まっていく。
ここら辺で辞めておかないと男が止まらなくなってしまう。
さすがにカラオケBOXの階段で・・・という訳にはいかない。
むりやり男から体を引きはがし、名残おしそうな男に言った。
「そろそろ帰らないと、2人が心配するよ?」
『もうこのまま抜けようよ。』
今にも体の上に乗ってきそうな男相手にストップをかけるのもなかなか面倒なことだが仕方ない。
「そういう訳にはいかないよ。2人が心配するでしょ?せめてカラオケ出るまでは付き合わないと。」
『え~~。でも、もう我慢できないし・・・。』
何とも素直な言葉だが、ここで男の言いなりになる訳にはいかない。
「あと30分我慢してくれたら、ご褒美にすごい事してあげるwだから我慢できる男になって?」
自分の発言に対して思わず爆笑してしまいそうになった。
けれど、ここで笑う訳にはいかない。
必死に笑いを噛み殺す。
相手がどう出るか楽しみにしていると、難しそうな顔をしていた男は答えた。
『わかった・・・。我慢する。その変わり、30分だけだよ?』
その答えにまた爆笑しそうになる。
会話の流れが意味不明すぎる上に、本来なら受け入れられるはずのない要求に何故この男は答えられるのか。
おかしくて仕方なかったけれど、それを悟られないように顔を背けて立ち上がる。

個室に戻ってゆか達と合流した。
ゆかは意味ありげな目で私を見る。
ゆかで無くても、誰だって気がつくと思う。
そんなゆかに目で答える。

個室に戻って20分が経ち、男がそわそわしてきた。
ゆかにこっそり耳打ちする。
「ごめんwちょっと2人で抜けるわw後はゆかも彼氏とラブラブしてくださいな♪」
『そんな事だろうと思ったwまた寮でねw』
「了解♪」


今度は男に耳打ちする。
「そろそろ出ようか?」

そう言って鞄を持って立ち上がる。
財布からお金を取り出して机の上に置いた。
「じゃぁ、そろそろ2人の邪魔するのも悪いから抜けるねw」
明るく言った。
『本当はうちらが2人の邪魔なんでしょ~?』
ゆかがマイク越しに言う。
「さすがはゆかwよくお見通しでw」
冗談っぽく答えながら出口に向かう。
「それじゃまたねw」
ゆかとゆかの彼氏に手を振って個室から出た。
男もすぐに出てきた。

それからはお決まりのコース。
近くのホテルに行って、男と抱き合った。

なんだか無償に寂しくなった。
行為の最中も感じるのは寒さだけ。
興奮していく男をただ見ていた。
冷静に男を見ているにも関わらず、私の体は男の喜ぶことを勝手にしている。
勝手に動く手や、口。
勝手に発せられる声や、言葉。
全てを冷静に見ている自分。

行為が終了して、少し男と街で遊んで帰った。
ゆかはまだ帰宅していないようだった。
部屋に戻り、溜息をつく。
ベッドに寝転んで、天井を眺めた。

思い出すのは昨日の彼の声。
体温。
笑顔。

感じるのは寂しさ。
寒さ。
悲しみ。
苦しみ。

気がつけば涙がこぼれていた。
泣きたくないのに、止まらない。

いつになれば、汚れきることができるんだろう。
何度、汚せば良いんだろう。
その時の私は自分を汚すことで楽になれると思っていた。
傷は深まるばかりなのに。
そのことに気付けない私は、泣いている理由すら分からずにもがいていた。

寮の玄関で外出届を手に取る。
寮の決まりで、外出から帰ったら外出届に記入した自分の名前にペンで線を入れて名前を消す事になっている。
ゆかは約束通り、私の代わりに外出届を記入してくれていた。
壁にかかっている名札を手に取り、裏返しにして自分が寮に帰宅している事を示した。

部屋に向かおうと階段を上りかけたら、上からゆかが降りてきた。
私を見るなりゆかは叫んだ。
『おかえり~~!!!ちひろ!』
笑顔で「ただいま」と告げる。
『今から夕飯食べるの♪ちひろも一緒に食べよ?』
断る理由も無いので一緒に夕食を食べる。

ゆかと向き合って夕食を食べていると、ゆかが私に向かって言った。
『ちひろ何か良い事あったの?すごく機嫌よさそう』
いつもと同じようにしているつもりなのに、周りから見るとそうでは無いらしい。
「ん?別に何も無いよ~。いつもと同じ。」
本当は胸が弾んで、今日会った彼のことで頭がいっぱいなのに嘘をついた。
『絶対に嘘!絶対何かあったでしょ?客が良い男だったとか?』
客という言葉が少し引っかかった。
本当はお金なんか欲しくなかったのに、結局受け取ってしまった時点で私は彼に買われたのは変えられない事実なのだ。
その事実が寂しくて胸が痛んだ。
「客・・・じゃないよ。今日は客だったけど、もう客じゃないの。」
『えっっ!?それどういうこと!?彼氏できたの!?しかも客と!?!?』
「ちょっ!!声でかいっつーの!!」
驚きのあまり声が大きくなるゆかを慌てて押さえる。
「まぁ詳しい事は後で部屋で話そうよ」
そう言う私にゆかは不満そうだった。
しかし、食堂で話すにはあまり向かない話。
男女交際が禁止の学校故に、いつどこで誰に聞かれるか分からない。
万が一シスターや寮母に聞かれたら即出席停止が待っている。

2人で急いで夕食を胃につめこんで、私の部屋に向かう。
部屋に入るなりゆかは聞いてきた。
『で?ついにちひろに彼氏ができたって??』
興味津津といった様子で聞いてくる。
「残念ながら彼氏ではありません~。ただ・・・ちょっと気になるってだけかな・・・。」
ゆかに話すのも何だか照れくさくて上手く話せない。
そして彼との会話や、彼についてゆかに話した。
話を聞き終わったゆかは
『ちひろ!それは恋だよ!!』
なんて私よりもはしゃいでいる。

ずっと苦手だと思っていた女の子特有の恋愛の話。
私には似合わないどころか無縁の話だと思っていた。
私が恋だなんてありえない。

すごくとまどってしまう自分がいる。
好きだとか恋だとかがどんな感覚でどんな感情なのか分からない。
本当に今、私の中にある感情が恋なの?
ただ甘えたいだけじゃないの?
甘えることは好きとは違うの?
分からないことだらけ・・・。

ふと耳元で慣れ親しんだ声が聞こえる。
「甘えたい?誰に甘えるつもりなんだ?誰にも甘えないと決めたのはお前だろ?甘えるな。傷つくだけだ。人間なんか汚くて醜くい生き物だ。」
これ以上、誰の声も聞きたくなかった。
頭が困惑してしまっている。
このままだと壊れてしまいそう・・・。

そんな時、携帯が鳴った。
彼からメールだった。
少し迷ってからメールを開く。

今日はありがとう。
ちひろちゃん、映画好きって言ってたよね?
明日、映画行かない?

映画に誘ってくれて嬉しかった。
また会えると思うと期待で胸が膨らんだ。
しかし、会ってはいけないと危険信号を発する自分がいた。
彼に会えば、いつもの私じゃいられなくなる。
平常心が保てない。
いつもの余裕も無くなってしまう。
返信する事ができなくて、携帯を閉じた。

ゆかが不思議そうに聞く。
『メールでしょ?返信しなくて良いの?』
「あぁ。どこかのサイトからだよ。気にしないで♪」
笑って嘘をついた。
『なんだ~。ちひろの愛しの彼からかと思って期待したのに~。』
残念そうに口をとがらすゆか。
「愛しのってなんだよwただ気になったっていうだけ。すぐに忘れるよ。」
ゆかに嘘をつきながら、胸が痛んだ。

夜中に1人になって携帯を見つめる。
メールの返信はやはりできないまま・・・。
私らしくない。
援助で出会う人はみんな1度きりだって決めていたはず。
また会ってはダメだ。
私が私でなくなってしまいそうで怖い。
考えていると苦しくなって目を閉じてベッドに潜り込んだ。

その人は変わった人だった。
だいたいどの男も車に乗ったら、うるさいくらい話をする。

なのにその男は何も話さなかった。
見た目は特に格好良い訳じゃない。
服装だってごく普通。
背だって高くもなければ低くもなかった。
けれど何故かとても居心地が良かった。

今までの男はどこの高校かとか、何故寮に入ったのかとか、いろんな質問を私に浴びせた。
素の自分が出せなくなった私には時としてそのお決まりの質問に答えるのが困難だった。
特に何故、援助をするのかと聞かれるのは苦手だった。
理由が思いつかなかったからだ。
しかし、昔から八方美人で生きてきた私はきちんと受け答えができないと気がすまない。

援助の理由にきちんとも何も無いのだが、その時は質問の答えが出せない事は私にとって嫌な事だった。
簡単な質問にも答えられないのかと劣等感と屈辱感で胸がいっぱいになってしまうから。

男は目の前だけを見て運転をしている。
そっと横顔を盗み見ながら、何も聞かれない安堵感を味わった。
しかし、その反面何も会話をしない事に対する不安もあった。
もしかしたら、つまらないと思っているんじゃないか?
私の見た目が気に入らなかったんじゃないか?
そんな不安がじわじわと心の中に広がっていく。

それを男は感じたのか、不意に私に向かって言った。

『あぁ。ごめんね。俺、シャイだから何話して良いか分かんないんだ。』
心を見透かされたのかと思ってドキっとした。
「ううん。いいの。気にしないで♪事故っちゃったら大変だから運転に集中してw」
わざとらしいくらい明るく言った。
男は少し笑って言った。
『ありがとう。俺、運転あんまり得意じゃないんだ。ここで事故っても恨まないでね。』
「え!!そんなの嫌だ!!!事故らないように注意して!!」
慌てて言う私の様が面白かったのか、男は小さく声を出しながら笑った。
『大丈夫だよ。安心して。』

しばらく走ってホテルに着いた。
いつもは行かないような、少し高級感のあるホテル。
援助で行くホテルはいつも安っぽいホテルだったから少し緊張する。

部屋に入り、2人でソファーに座る。
男がテレビを点けると洋画が流れていた。
普通、ここでいつもと同じ男なら必ずAVを流す。
でもその男は普通に洋画を流したままだった。
相変わらず会話は無い。
少し困ってしまって男のとなりで映画を見ていた。
しばらくすると、男が突然私の顔の前に手をかざして映画を見れないようにした。
少し笑って男を見る。

『ちょっと寂しいな』
寂しいと思っているとは思えない柔らかい笑顔で私を見た。
「ごめんね。」
そう耳元で囁くと男は少し体を震わせた。

自然に抱きしめ合う。
男の心臓は破裂しそうなくらいドキドキと脈を打っている。
少し体を離し、胸に手を当てて言う。
「緊張してるの?すっごいドキドキしてる。」
『果保ちゃんだって・・・。実は緊張してるんでしょ?会った時から泣きそうな目をしてる。』
私が泣きそう・・・?
ありえないと思った。
「緊張なんかしてないもん。」
わざと子供っぽくスネたフリをした。
男はそんな私を少し笑って優しく言った。
『おいで』

男に抱きついた。
力を込めて抱きしめてくれる腕はどこか頼りなかったけど暖かかった。

ごく自然にキスをした。
少し遠慮がちな彼のキス。
絡める舌は次第に大胆になっていった。

ベッドに移動し、本格的に行為が始まる。
今までの男と違って、彼の行為は最後まで優しかった。
私の小さな反応を見逃さず、丁寧に私の体に触れていく。
初めて男性に触れられて気持ち良いと感じた。
いつもは相手を満足させるために、相手を観察している私が観察する余裕すら無いのだ。
男は私に受け入れる準備ができた所でコンドームを取り出した。
隙あらば、コンドームを着けずに挿入しようとする男ばかりだから少し驚いた。
「ありがとう・・・。」
そう言うと男は少しとまどったように言った。
『どうして?』
「自分から避妊する人って珍しいから・・・。」
『そっか・・・。そうかもしれないね。でも君が困るでしょ?僕は君が嫌がる事はしたくないよ』
そんなの綺麗ごとだと思いつつも、心が少し暖かくなった。

コンドームを着けると男はまた少し私の体に触れ、私の中に入ってきた。

彼に抱きついたら、少し涙がこぼれそうになった。
そんな私を知ってか知らずか、男は私の頭を撫でた。

男が果てて、しばらく2人でベッドの中で抱き合った。
男の体温が心地よくて夢見心地になった時、彼に頬をひっぱられて目が覚めた。
「ごめんなさい。寝てた?」
『軽く寝てたみたい。そろそろお風呂に入るよ?』
「は~い♪」
良い子の返事をしつつ彼に抱きついた。
そんな私を駄々っ子をあやすように彼は言った。
『こらwお風呂行く気ないでしょ?仕方ないなぁ。もう少しだけだよ?』
そう言ってまた私を抱きしめてくれた。
何故か嬉しくて何も言わず、強く彼に抱きついた。
しばらく抱き合ってからお風呂に入る。

それからは何だか恥ずかしくて、無駄にはしゃいでしまった。
照れている事を悟られたくなくて、たくさんの話をする。
彼はそれを楽しそうに聞いてくれた。
彼が楽しそうだと、何故か私も嬉しくなって余計頑張って話してしまう。
彼の笑い声は柔らかくて素敵だと思った。

お風呂を出てからも、少しでも長く一緒に居たくて話が途切れないように話し続けた。

彼の事もいろいろ教えてもらった。
3年前に別れた彼女が忘れられないこと。
銀行で働いていること。
彼女を忘れたくて、今日初めて援助をしたこと。
今日、来る時にすごく迷ったこと。

「少しは彼女の事忘れられそう?」
そう彼に聞いた。
『果保ちゃんに出会えたからね。果保ちゃんじゃなかったら、忘れられないと思うよ。』
そんな言い方はずるいと思った。
「またまたwそんな言い方しても何も出ませんよ~」
笑いながらそう言った。
『本当だよ。』

彼は真っ直ぐ私の目を見て言った。
『出会えたのが果保ちゃんで良かった。』
今まで何度も似たようなセリフは聞いてきた。
その度に笑顔でかわしてきたのは私。
なのに、何故かこの人は違う。
いつもと同じはずなのに、どこかが違う。
とまどってしまう。
いつもと同じように対応できない。

困った私は目をそらす事しかできなかった。
そんな私の頭を撫でると彼は鞄を取り出した。

「今日は良いよ。何か貰う気分になれないから・・・。」
反射的に言っていた。
いつもと違う人だと感じたから、いつもと同じようにお金を貰いたくなかったのだ。
人間の男と女なんて欲求によって繋がっている。
何年も前からそう言い聞かせていた。
でも、この日はそう思いたくない日だった。
私に普通の恋愛なんかできない。
そう言い聞かせているのに、そう思いたくない日だった。
久々に幻聴が聞こえる。
「まだ、恋愛感情とかいう物が存在するとでも思ってるのか?バカめ。この男もいつもの男と同じだ。割り切れ。情けない奴だな。」
違う。恋愛感情を信じた訳じゃない。
ただ、今日はそういう物があっても良いんじゃないかって夢が見たいだけ。
今日だけだから。
今日だけで良いから、少しで良いから夢を見させて欲しい。
再び、耳元で誰かが囁く。
「夢?そんなものお前には似合わない。手に入らないのが夢だ。そんなもの見ても意味がないだろう?」
手に入らなくても良い。
それでも良いから・・・。

そんな会話をしていると、男は私に向かって言った。
『約束だから・・・。受け取って?でも1つお願いしても良いかな?』
「・・・お願い?どんなお願い?」
『君を好きになっても良いかな?』
何て答えたら良いのか分からなかった。
少し無言になってしまった私を見て彼は言った。
『果保ちゃんに僕を好きになれって言ってるんじゃないよ。僕が勝手に好きになるんだ。』
何だか嬉しくなって彼に抱きついてしまった。
彼は優しく抱きしめて、頭を撫でてくれた。
そんな彼に向かって言った。

「私は果保じゃないよ。私はちひろ。間違えないでね。」

『分かったよ。もう間違えないから。』

そう言って彼は私を抱きしめる腕に力を込めた。

それからホテルを出て、彼と少し遅い昼食を食べてドライブをした。
すごく楽しくて、ドライブの間ずっと手を繋いで過ごした。
でも時間はあっという間に過ぎて、寮に帰る時間になってしまった。
寮の入り口近くまで車で送ってもらう。
到着しても名残り惜しくてなかなか車を降りられなかった。
そんな私に向かって彼は微笑んでキスをした。
『早く帰らなきゃ。寮母さんに叱られるよ?』
「は~い。。。」
あからさまに残念そうな声を出す私を呆れたように笑いながら
『また会おうよ。連絡するから今日は良い子に帰りなさい。』
と私を子供扱いする。
実際、私は子供なのだが普段子供扱いされる事が少なくて何だか嬉しかった。
「わかりましたよ~。」
そう言いながら車を降りる。
ドアを閉めると彼が窓から顔を出して言う。
『先に帰って?すぐそこって言っても女の子だから心配だし。』
そんな気遣いが嬉しくて、笑ってうなずいた。
寮の入り口まで着いたのを確認して彼は車のエンジンをかけた。
そんな彼に手を振る。
彼は窓から手だけを出して答えてくれた。
私が寮の中に入らないと彼も帰れないから、寮の中に入った。

いつもは感じたことのない満足感があった。
何だか嬉しくて、楽しくて・・・。
そんな自分に驚きつつ、滑稽だとバカにする自分も居た。

約束の土曜日がやってきた。
間抜けな事にその日は寝坊してしまった。
8時には起きようと思っていたのに、起きたら時計は午前9時を指していた。

かなり焦りながら服を着替え、でかける準備を整える。
メイクをしている時にゆかが部屋にやってきた。

『おはよ~~w』
明るく言う彼女に向かって鏡越しに答える。
「おはよ!今日10時に待ち合わせなのに寝坊しちゃったよ~!!!」
『えっ!!何やってんの!?もう9時30分だよ?間に合うの?』
「間に合うんじゃなくて間に合わせるの!!」
そう叫ぶように言うとケラケラとゆかは笑った。
『ちひろが寝坊なんてめずらしいねw』
そう言いながら後ろから近づいて私の髪をセットしてくれる。
「ありがとw助かるよ~。ちょっと昨日眠れなくてね。」
『めずらしく緊張でもしたの?ちひろらしくもない。』
いたずらっこのようにニヤニヤしながら鏡越しに私を覗き込む。
「緊張?この私がする訳ないじゃんwただ何となく寝付けなかったんだよ。」

そんな会話をしているうちに、ゆかが手伝ってくれたのもあり出かける準備が整った。

時計を見ると待ち合わせまで15分しかない。

「ゆか!本当にありがとね!助かった!行ってくるよ♪鍵と名札と届け、まかせて良い?」
『はいはい♪鍵は預かっとくよw名札も届けもまかせてw早く行きな。良い男だと良いね☆』
自分の部屋の鍵をゆかに預け、慌てて外に出た。

私の学校の寮は、外出する時はロビーにある籠の中に部屋の鍵を入れ、部屋番号が書かれた壁にかかっている自分の名札を裏返しにし、不在であるという事を告げなければならなかった。
それプラス、玄関に置いてある外出届と書かれたノートに名前と日付と外出した時刻と帰宅予定時間を書かなければならない。
急いでいる時にはこれが面倒で案外時間がかかる。
ゆかにはその一連の流れを私の代わりにしてくれるよう頼んだのだ。
こんな時に友人というのは本当に有難い。

ゆかに感謝しながら待ち合わせ場所に向かって走る。
待ち合わせ場所に着いた時には、せっかくゆかが綺麗にしてくれた髪型も少し乱れてしまった。
時計をみると10時ちょうど。
何とか間に合った。


鞄から携帯を取り出す。
ちょうどメールを受信したところだった。

今、着きました。

内容はそれだけだった。
当たりを見回しながら返信する。
自分も着いた事とその日の服装を書き込んでいるとまたメールが受信された。
誰だよ・・・。
そう思いながらメールを見てみると相手の男性だった。

目の前見て。
目の前の白い車。

顔をあげるといつの間にか目の前に白い乗用車が止まっていた。
運転者と目が合った。
少し首をかしげて笑ってみせたら、相手の男もニコって笑った。
窓が開いて男が言った。

『果保ちゃんだよね?』
程良く低くて素敵な声だった。
私はにっこり笑ってうなずいて車に乗った。