70年代後半あたりから公害と言っただけで過激派とみなされ、大学にいる人間は上にあがれない、そんな時代が続いた。
背景にはオイルショックによる経済の低迷と、OECDの「日本は公害を克服した」という日本の公害対策を評価する(!)報告書がある。
経済不況の中、被害者に一円たりとも金を払いたくない企業は公害認定を避けようとし、損害賠償ではなく和解金という形にもっていこうとした。
もちろん政府は被害者側ではなく生産第一主義の企業の側につき、
足尾銅山鉱毒事件のときには鉱毒ではなく洪水が原因だと説明、水俣病のときには新興財閥の中心的存在だったチッソをかばっている。
そして企業を擁護する御用学者の出現により、公害の原因究明が遅れ、多くの住民の健康、生命が奪われた。
今回の原発事故も過去の公害事件と同じ構造を呈している。
原子力を批判的に研究しようとした学者もまた出世することができなかった。
だから今の原子力の専門家のほとんどが原発推進派なのである。
どんな学問も一つの立場から研究していたのではやがて腐敗してしまう。
それが今回の事故の要因の一つだと私は思う。
さらに公害事件同様、政府は企業の責任を軽減しようとしている。
自由主義経済のなかでは事故を起こした電力会社が全責任を負うの筋であるが、今回の賠償費用は東電だけでは支払うことができない。
そこで資本主義のルールを無視した賠償案が成立したわけだが、とても国民が納得できるものではないだろう。
そもそも原発事業は社会主義的な政策のもと進められてきた。
国策民営のもと、市場原理の法則が働くことのないまま原発はつくられていったのである。
政府が支援しなかったら、これほどハイリスクハイコストな事業を民間企業は自己責任のもと進めることはできなかっただろう。
自由主義の思想に反する方法で原発事業が進められてきた裏には政府とアメリカによる陰謀があるように思えてならない。
国家安全保障のための原子力の公理だけではない思惑があるのではないか。
そして「こどもも大人も20でも大丈夫だ」という御用学者の出現。
水俣病のように御用学者のせいで健康被害が拡大しないことを願うばかりである。
続く。。。。