あのね、いまから打ち合わせという名の飲み会というか接待というかセクハラに行ってくるよ。
タダ酒呑めるのはいいけど、体調すごく悪い\(^o^)/
もしかしたら途中で倒れるかも\(^o^)/

それでもエロ.グロ.ゲロ全てに寛大なわたしは、今日もへーきなフリして下ネタに作り笑いしつつ、気持ち悪い話に相槌をうち、吐瀉物の後始末をするんだ\(^o^)/
だから嫌がらせで高い酒だけ頼んでやろっと\(^o^)/わーい

あ、そうだ
アメブロって広告がいっぱいだし、がちゃがちゃしてて書きにくいから今後はこっちに書くことにしたよ。

http://www.alfoo.org/diary48/kinako1984/

ここは広告も少ないし、コメントもプロフィールを書く機能もないんだ。
シンプルなとこが気に入った。


相変わらず日記を書くことくらいしか楽しみがなくて、ブログの他に三冊も日記書いてる…なんて根暗\(^o^)/
たいした人生じゃないのに\(^o^)/



iPhoneからの投稿

原子力基本法には自主、民主、公開という原子力の三原則が規定されている。
このうち最も重要な公開の原則が事故以来ずっと無視され続けてきた。

事実状況は隠ぺいされ、
SPEEDIによる被爆回避義務が法律で定められているにもかかわらず、その情報が公開、活用されることはなかった。


政府は「基本的な技術はアメリカものであるから公開できなかった」と説明しているが、そんなおかしな話あるだろうか。



確かに日本は文字通りアメリカの技術だけを導入してきた。


アメリカは電源喪失事故だけでなく冷却材の喪失をシュミレーションした訓練や、原子炉が暴走する実験までしているが、日本は形だけの避難計画をつくっただけで根拠のない安全をずっと信じ続けてきた。

そして国民が原発に関する議論に積極的に参加しているアメリカとは違い、日本では原発の議論が一部サヨクの飯の種でしかなかった。

原発の中立的な教育や国民の議論の場も設けず、政官財+学+米+メーカーとグルになり、市場原理が機能する余地すら与えず、原発を進めてきた自民の責任は重い。

なのに東電の票で参議院に当選し、原発を推し進めてきた東電の元副社長は、反省するどころか今もなお原子力は日本に必要だと言っている。
予算をくんだ中曽根も、経団連の会長も同じさまだ。
元住友化学社長である経団連会長は、住友別子銅山が公害と向き合ってきた歴史を省みて自己批判すべきである。

もちろん経産省とその下にある保安院を分離させると公約に掲げてきたにもかかわらず、政権をとったとたんに忘れてしまった民主にも責任がある。




これだけの外部不経済をひきおこし、環境費用のかかる事業を一民間会社が資本主義のルールにのっとって推し進めることはできない。

つまり原発は社会主義的政策のもと進められてきたのである。

atoms for peaceでもatoms for commerceでもない。
まさにatoms for concession である。(つづり合ってるかわからん。。。。



つづく

私の考えは極端だとよく批判される。

だけどもう少しみんな私に優しくしてくれも良いのではないか。


先日、わたしはIMF専務理事逮捕はドレフュス事件を彷彿させる事件だと書いたが、ここにきてようやく陰謀説がささやかれるようになった。

mixiで「夏の電力不足は電気シェアリングで乗り切るべき」と書いたときには誰も理解してくれなかったが、後に大手企業は時差出勤や勤務時間の夜間シフトなどの方針を明らかにしている。

電力需要の少ない時間帯に勤務を移すこの計画は、私が名付けた電気シェアリングと同じことである。


それからサンシャイン計画。

原発事故直後の日記でサンシャイン計画のことを書いたときにもやっぱりスル―されたが、今頃になってその計画が話題性を持つようになった。


菅はG8で1千万戸の屋根に太陽光パネルを設置することを目指すと話したが、どうせ実現できるわけがないんだから国際公約とみなされる場でいいかげんなこと言うなと言いたい。

うちのサークルのT君ふうに言うと、「シネと言いたい」。

彼のモノマネは得意なのにここではお聞かせすることができなくて残念だ・・・。


そもそもサンシャイン計画は30年も昔におじゃんになっている。

太陽光は採算が合わないのだ。送電技術も進んでいない。


それだけではない。

また極端なことを言わせてもらおう。

サンシャイン計画が頓挫したのはアメリカの陰謀である。

石油メジャー、そして日本に原発を増やしたかったアメリカの。


ついでにもうひとつ極端なことを言ってみよう。

消費税増税について右も左も反対しているようだが、私は上げざるを得ないと思っている。

というのも基礎的財政収支をあと2年のうちに均衡させないと、この国の信用度は下がり、100億借りて100億返すことができなくなるからだ。

国債のほとんどが国内で消化されているからギリシャのようにはならないという議論もあるが、

信用が落ちれば国債を発行することができなくなり、金融機関に金を預けている私たちが損することになる。



だから私はもう貯金するのはやめた。

通帳の数字を見てにやにやする趣味もやめる。

働くこともやめよう。


男の子と寝て過ごすことにする。

さよなら日本のみなさん・・・




東電と政府は原子炉を水の棺桶にして炉心溶融を隠そうとしていたに違いない。

なぜなら水棺にしたら数年は中に立ち入ることができないため、どうなっているのかわからないままにできるからだ。

そして国民が忘れたころになって「実は・・・」と発表するつもりだったのだろう。


しかし汚染水が垂れ流されていたため、隠し切れなくなり、

国民が原発事故のことを忘れかけたころに発表するというシナリオは書き直されることとなった。




もし事故直後に炉心溶融していることを発表したら日本中がパニックになっていたことだろう。

住民非難も広く行われ、日本だけでなく世界中が大騒ぎになったはずだ。


だけど不思議なことに、二ヶ月余りたった頃に「実は・・・」と発表されると

多くの国民は「ああ、やっぱりね」程度の反応。

日常の雑務に追われる中で国民の原発への関心は薄れている。



今度はベントが遅れたこと、そして海水注入の中止をめぐって言った言わないやったやってないで騒いでいるようだが、私はアメリカからの冷却材の申出を断った菅の判断が一番の過ちではないかと思っている。

マスコミでさえそのことを追求していないが、私はなぜ冷却剤を拒否したのか、それがずっと気になってしかたない。


納税者であり消費者であり需要者であるにもかかわらず、一部サヨクを除く多くの国民はこれまで原発についてほとんど無関心であった。

しかしこれからは主権者であるわれわれ国民も日本の資源エネルギーの問題について真剣に考えていくべきだろう。

原発の問題を基地問題のように偏った人たちだけのイデオロギーの足場にしてはならない。


そしてこの事故を契機にゆがんだ形で進められてきた日本の近代化、山県有朋の確立したこの国の構造を見直すべきである。



(´д`、)


汚染水の垂れ流しはあきらかにロンドン条約に違反する。

まさか政府は「船の上から廃棄してないもん」なんてアタマオカシイ言い訳をするつもりなのか・・・




原子力安全委員の班目が発言訂正を繰り返している。
こいつは本当にどうしようもない奴で、事故直後に五分間だけ会議(!)を開いただけで姿を消したデタラメである。
ようやく最近テレビにでてくるようになったが、それまでなーんもしてこなかったのだ。

デタラメは東電がメルトダウンを認めた日、「わたしはメルトダウンしていたことを知っていた」と問題発言をしているがスルーされている。
まったく許し難いことである。


しかし、こういう見方もできる。
ある意味、班目もデタラメではないのではないかと。
そして政府も東電も嘘をついていたわけではないのではないかと。

というのもメルトダウンという言葉は専門用語ではないのである。
映画チャイナシンドロームの中で使われた素人言葉なのだ。

だから東電は記者会見で「あなたの言うメルトダウンがこういう定義であるならば…」という言い方をしたのである。

とは言え、悪質な事実隠蔽であることには違いない。


こんな政府、委員では被害者は救われない。
きっと過去の公害事件同様、損害賠償ではなく補償金ですまされることだろう。
農家への被害だって本来であれば補償金ではなく損害賠償で払われるべきなのだ。
ほんとに・・・農家の人のことを思うと涙がでてくる・・・。


放射性物質による健康被害の立証は非常に難しい。
国民の三人に一人がガンになる時代である。
しかも住民は浴びた放射線量を記録していない。

あまり知られていないが、ロシアのような酷い国でもこどもだけはちゃんと避難させ、こどもの食べる物だけは放射性物質を測定していた。
政府は子供も20でいいだなんてデタラメなことを言ってないで今からでも疎開させるべきである。

住民だけでない。
作業員もほとんど正確な記録ができていない。
一番浴びたときの量はもちろん記録されていないし、いまは手書きでメモしているだけだ。

作業が長引くことが三月の時点でわかっていたのに、作業員の食事や衛生面、睡眠環境の改善は後回しにされ、被爆限度は引き上げられた。造血管細胞の採取も行われていない。

せめて横田基地にある米国性の高性能防護服を借りることはできないのか。
日本で原子力の人体実験をした戦争好きなアメリカは日本より放射性物質から防護する技術をもっている。
それを借りない手はないだろう。
海外やネットでは英雄視されている作業員だが、その過酷な労働状況にもっと目を向けられても良いと思う。


将来、住民や作業員に健康被害がでたとしても原発が原因だと証明することはとても難しい。
水俣病だっていまだに認定されずに苦しんでいる人がいるのだ。
きっと東電も政府も原発による被害認定をしぶることだろう。


OECDは「日本は公害を克服した」と日本の公害対策を評価するレポートをだしたが、この国の公害は終わっていない。現在進行形で続いているのである。


ここに山県有朋が確立した制度、構造が今の時代まで続いていることが見て取れる。



つづく・・・・たぶん

70年代後半あたりから公害と言っただけで過激派とみなされ、大学にいる人間は上にあがれない、そんな時代が続いた。

背景にはオイルショックによる経済の低迷と、OECDの「日本は公害を克服した」という日本の公害対策を評価する(!)報告書がある。


経済不況の中、被害者に一円たりとも金を払いたくない企業は公害認定を避けようとし、損害賠償ではなく和解金という形にもっていこうとした。

もちろん政府は被害者側ではなく生産第一主義の企業の側につき、

足尾銅山鉱毒事件のときには鉱毒ではなく洪水が原因だと説明、水俣病のときには新興財閥の中心的存在だったチッソをかばっている。

そして企業を擁護する御用学者の出現により、公害の原因究明が遅れ、多くの住民の健康、生命が奪われた。



今回の原発事故も過去の公害事件と同じ構造を呈している。


原子力を批判的に研究しようとした学者もまた出世することができなかった。

だから今の原子力の専門家のほとんどが原発推進派なのである。

どんな学問も一つの立場から研究していたのではやがて腐敗してしまう。

それが今回の事故の要因の一つだと私は思う。


さらに公害事件同様、政府は企業の責任を軽減しようとしている。

自由主義経済のなかでは事故を起こした電力会社が全責任を負うの筋であるが、今回の賠償費用は東電だけでは支払うことができない。

そこで資本主義のルールを無視した賠償案が成立したわけだが、とても国民が納得できるものではないだろう。


そもそも原発事業は社会主義的な政策のもと進められてきた。

国策民営のもと、市場原理の法則が働くことのないまま原発はつくられていったのである。

政府が支援しなかったら、これほどハイリスクハイコストな事業を民間企業は自己責任のもと進めることはできなかっただろう。


自由主義の思想に反する方法で原発事業が進められてきた裏には政府とアメリカによる陰謀があるように思えてならない。

国家安全保障のための原子力の公理だけではない思惑があるのではないか。


そして「こどもも大人も20でも大丈夫だ」という御用学者の出現。

水俣病のように御用学者のせいで健康被害が拡大しないことを願うばかりである。





続く。。。。







ようやく東電が核燃料のほとんどが溶融し、圧力容器が損傷、その損傷部から水が漏れていることを発表した。

今月12日に「核燃料棒も原子炉もほとんど損傷していない」という詭弁を弄した政府も爆発した時点でこのような事態になっていることくらいわかっていただろう。


いつだって被害を被るのは何も知らない一般民衆である。



本来であれば国民の生命、生活、財産を守るべき国家が、一般民衆からそれらを奪い、死に追いやる。

日本の近代化はまさにそうした中で進められていった。

”公益を害する”公害がその性質を端的に示しているといえるだろう。


公害の原点である足尾銅山鉱毒事件は産業資本の確立期に、そして四大公害病は高度経済成長期に起きた。
生産第一主義の企業を政府も承認し、住民や環境を無視して企業活動が行われ続けた所為である。

経済が急速に成長する一方で、公害によって多くの人が切り捨てられ、環境は破壊された。



やがて経済は爛熟期から停滞期へと移行。

経済が低迷するなかで原発事故はおきた。



今回の事故は経済的背景は大きく異なるものの、過去の公害事件と同じ構造を呈している。



まず、原子力損害賠償紛争審査会のメンバーを参照されたい。





・・・・・・なーんてこんなこと書いてる場合じゃなかった。。

仕事しなきゃ。。。


というわけで続きはまた明日。。(´д`、)



国際通貨基金の専務理事がなんともみっともない容疑で逮捕され、孤島の拘置所に収容された。
カーン氏はフランス大統領選挙の有力候補者であるユダヤ人。
まさにドレフュス事件を彷彿させる事件である。

わたしは世界二大金融機関であるIMFとWBにはアンチという接頭語を用いるサイトにいるが、この事件が策謀によるものでないことを願う。

ひどく切ない話だった。

確かに原作を読んでから観たら脚本負けしているように感じたかもしれない。
だけど原作を読んでなかった私は、あまり評価の高くないその映画をそこそこ楽しむことができた。


家族になりたい人と、恋愛したい人がいつでも同じとは限らない。
そんなこと、この映画を観るより先に経験から知っていた。

多くの男は妻にするならつけまつげや巻き髪が似合う女より、垢抜けなけない女を選ぶだろう。
白いなめらかな手よりも、荒れていてる手を。

それでも男は夜になるとその手の先に色やラメやスカルプチュアを求めるのだ。




私は決して昼さがりが似合うような女ではない。
だって料理も掃除も洗濯物をたたむこともできない。

だからといって夜の華やかな世界が似合うような女でもない。
だってまばたきする瞼にキラキラするものを装ったりしないし、キスをするのにちょうど良い高さのヒールもはかない。


つまり私は孤独なのだ。
誰も妻にも恋人にもしたがらない。



そのことに改めて気づかされたひどく切ないこの映画は、プレイボーイ(死語?)で有名な作家の小説が原作となっている。
「不倫の愛だなんて!」と多くの人がその映画を批判しているが、私はどんな関係だろうと愛は愛だと思う。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


従姉妹の結婚式で、私は酒ばかり飲んでいた。
料理にはほとんど手を付けず、ウェイターがまわってくるたびに日本酒を頼み、同郷の新郎新婦が選んだ地元の日本酒をひとりで一升近く飲んでしまった。

やってられなかったのだ。
新婦のおいたちを編集したビデオや友人からのお祝いのことば、同僚らの余興。
そして無神経な叔母。




人生は孤独なものだとは知らずにこれまで生きてきた彼女を妬んだこともあった。

順調に学校を卒業し、就職して結婚した彼女のことを。


だけど1人の男しか知らない女の一生なんていったい何が楽しいというのか。



たった一人の男の売春婦になるくらいなら、わたしは多くの男の売春婦になることを選ぶ。
似合わないつけまつげと巻き髪、そして瞼の上にラメをのせて。

爪には真っ赤なツカルプチュア。

その爪でひっかいてやりたい。買った男の背中を。















・・・・・・・・・なんてね(。-_-。)

やっと日記を書こうという気になった。

従姉妹の結婚式のことである。



式による精神的ダメージは思ったよりも大きかったようで、

あの日からずっと蕁麻疹と胃もたれと肌荒れに悩まされている。

パニックの発作も頻発し、おちおち男の子と遊びにも行けやしない。

小康状態だった顎関節症も悪化して、得意のバキュームフェらも披露できなくなった。





従姉妹は私と同い年、昭和は59年埼玉県の生まれである。

こどもの頃は私のほうが成績も愛嬌も良かったし、かけっこも初潮を迎えたのも私のほうが早かった。

初めて彼氏ができたのだって、初体験をすませたのだって私のほうが先だ。



なのにどうして私はこんなにも遅れをとってしまったのか。

学校を卒業することも、就職することもできないままアラサーになってしまった。





私が閉鎖病棟で医療保護入院という名の人権侵害を受けていたころ、従姉妹は都内の大学に通っていた。

サークルにバイトに楽しいキャンパスライフを送っていたようである。

長引く不況の中、一瞬だけ売り手市場となった時期に就職活動を経験し、地元の銀行に入行。

そこで知り合った同僚と4年間の交際を経てこの度ゴールイン、というわけだ。



人生うまくいく人はうまくいくようである。








・・・また精神的に落ち込んできたので今日はここまでにしよう。。。