2009年のユニコーンの映像を見る。楽しそうで嬉しくなる。だが、同時にふと「この頃はまだ志村が生きていたんだな」と考えてしまう。

2011年の地震の時の話題が出る。あの時は心配した伯父がメールをくれた。飼い犬はしばらく怖がっていた。その年の夏に、飼い犬も伯父も急逝してしまった。

今年、フジファブリックの中野公演に行った。大変いいライブだった。先日のフレパでその時の話題が出た。中野からフレパまで総くんのソロは見たがフジファブリックは見ていなかったという話になった。その時ふと「中野でフジを見た時はまだ父親は生きていたんだな」と考えた。父は2/28にお風呂で溺れて亡くなった。

楽しかったことや、大きな出来事を思い出すたび、もうこの世にいない人たちの顔が浮かぶ。ひとつの出来事はほんの点のように短いが、その点からは記憶の糸がするするとどこまでも引き出されてくる。その糸に絡みついていなくなった人たちが記憶の中に現れる。

夏になって、7/1は17年前に亡くなった伯母の命日だったことを、ふと思い出した。
2月に小林賢太郎の「うるう」を観に行った。メディア化しない、4年に1回行われる独り芝居だ。4回観に行ったとても好きな劇だ。しかし、心に引っ掛かりが残らないわけではない。

そもそも、私は「うるう」の前身である「うるうびと」が好きだ。2時間の劇の「うるう」と比べ、ポツネンの中の一幕である「うるうびと」はとても短い。それでも観終わった後の強烈さは「うるう」に引けをとらない。
「うるう」も「うるうびと」も、人間社会に馴染めないあまりのひとりだ。組体操であまる、二人三脚であまる。誰からも選ばれず、いつも独りだけのけ者にされる。「うるう」のヨイチにはそうなった理由が与えられ、マジルという友も得たが、うるうびとはなんの理由もなく余り、そして自ら掘った穴から出られなくなって終わる。うるうびとは圧倒的に救いがない。しかし、私はうるうびとの方に自分を重ねてしまう。家族も友人も恋人もいるが、この社会や世の中からはつまはじきにされている感覚は30を間近に控えた今になっても消えることはない。だから、うるうびとがうるうびととして救われる展開を、私は「うるう」に望んでいたのだ。しかし、ヨイチがあまる理由は特異体質のせいだった。これを知った瞬間、ヨイチと私との間の距離が一気に広がった。故あって余っていたヨイチは救われた。では、意味もなくあまる私達うるうびとはどうなってしまうのか?
ヨイチが救われるかわりに、うるうびとは穴の中で愚かさをかみしめながら眠り続けることになった。うるうびととしての救済はもう望めない。そして私もまた、穴の中で泥人形と戯れながら一生を終えるしかないのか。「うるう」を見ながら私はそんなことを考えてしまっていた。
高校3年の秋だったかそのあたりのころ。AOで早々と大学を決めた私はのんきに深夜のお笑い番組を見ていた。その番組には当時滅多にテレビに出なかったラーメンズの片桐仁が出ていて、ラーメンズ好きの私はほとんどそれ目当てに見ていた。コンセプトとしてはモテない人間がモテを目指すというものだったのだが、ボーダーで揃えられた衣装や黒地に様々な色相の原色の丸の書かれた背景などが妙に洒落て見えた。なによりBGMの音楽が今まで聞いたことがない、これまたおしゃれな曲で私は自然とそちらにも惹かれていった。エンドロールには「ラブリー/小沢健二」と書いてあった。
TUTAYAで借りた「LIFE」を聴いて驚いた。ピンと来ない曲が何1つない。一般的なJ-POPが4~5分のなか、8分の曲がさらっと入っていて、しかも飽きない。それから大学を卒業するまで狂ったように小沢健二ばかり聴いた。カラオケで歌って同年代の友人に呆れられた。冬の夜、コートを着込んでマフラーをしっかり巻いて天使たちのシーンを聴くことが何より喜びだった。
いつかライブに行きたいと思っていた。でも、私が好きになった時には小沢健二はどこにいるかもよくわからない人になっていた。だから、自分の生活圏で小沢健二のライブを見れる日が来るとはなかなか思えなかった。単発のイベントを行った話は聴いても、とてもチケットが取れるとは思えなかった。
だから今年突然ツアーが発表されたときは夢ではないかと思った。夢が夢ならそれでも構わない。そんな気持ちでチケットを申し込んだ。果たしてチケットは取れた。生きた小沢健二を見、同じ空間に居られることが信じられないまま当日を迎えた。舞台の上に、小沢健二はいた。昔より強い声で、速いテンポで歌が歌われる。昔の曲はみんなで歌う。何度も泣きそうになった。周りにこういうのが好きな人はほとんどいなかったのに、この空間ではこの音と声とを皆が喜んでいる。新曲と旧曲をならべると、この人が歌いたいことが人が生きることという普遍的なものだということがよくわかる。だからこんなにも人の心を打つのかと、促されるままに歌いながら考える。
「日常に帰ろう」ライブのラストに小沢健二はこう言った。日常を誠実に生きること。よく食べよく眠り生きること。それが宇宙にとっていいことなのだろう。
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2ヶ月ぶりのフジである。夏はほとんどフェスに出なかったし、出たフェスもライジング…薄給関東民には敷居が高い。

まず見たのはスカパラ。6月の赤レンガ以来だが、やはりいつ見てもかっこいい。かっこいいが服着て歩いて歌って演奏しているような兄さん方である。途中、クリープハイプの尾崎さんが出てきてコラボしていた。私事だが、たまたまこの前日に女子高生バンドを見る機会があり、その中でクリープハイプもコピーしていた。昨今のバンド事情に疎い私でも男性ボーカルのバンドということくらいはわかっていたので、彼女たちがやるのに低すぎたりはしないのかと不思議だったが、ここで謎は解けた。尾崎さんはとても声が高いのだ。最近は声の高い男性ボーカルが多いとは聞いていたがここまでとは。

かわいいmiwaちゃんやエビ中のサイリウムなどを見たあとはフジ。
セトリは
1.虹
2.Sugar!!
3.GreenBird
4.バタアシPertyNight
5.夜明けのBEAT
6.LIFE
ドラムはあらきさんだった。
フジを見るのが久々だったので、1曲目の虹からテンションが上がりきってしまった。総くんがなんども「幕張ーー!!」と叫んでいた。キュレーターのクリープハイプにお礼を述べたあと、「尾崎くんは前に弾き語りで一緒になったことがあって、楽屋でたくさん話しましたけど…彼不思議な人ですね、何考えてるかわからないっていうか」総くんも十分不思議な人だよ、と思いつつ聞く。「彼は僕のひとつかふたつか…いくつか下なんですけど」このふんわりした曖昧なMC、まさにフジである。
GBは、前に見たときよりピアノのバッキングが目立っていた。バタアシでは恒例の光ショルキーでダイちゃんが会場を沸かせる。なぜか次の夜明けのイントロも光るショルキーで弾いていた。LIFEでは少し歌詞を間違えていた。最後は4人で前に出てきて手をつないでお辞儀。早くワンマンに行きたい。

さて、実は私が生まれて初めて生で見たロックバンドはフジではない。その昔、エレ片ライブにお笑い目当てで行ったことがあるのだが、その日は特別にロックとお笑いが融合したライブだったのだ。そこで見た曽我部さん、オーケン、そして銀杏BOYZが私が初めて見たバンドである。この日は、そのときぶりの銀杏BOYZだった。
bowlineは若手も多く、盛り上げ中心のフェスだったが、その中で銀杏はある意味異様だった。峯田さんがアコギ1本で自分の罪を恐れる歌、「生きる」を歌い上げるのは、ダンスロックとかモッシュとかそういうものとは一線を画した迫力があった。途中からバンドが参入し、熱量はますます上がった。「テレビで流れる音楽に飽き足らなくてここまで来たんでしょう?」「音楽がタダで手に入る時代に、お金払ってわざわざ幕張まで来てる君たちに」みたいなことを何度か言っていた。「新訳銀河鉄道の夜」は、震災の年に東北ツアーの移動日にボランティアでめちゃくちゃになった一軒家の壁をどかしたら、銀河鉄道の夜の本が出てきたことに峯田さんが衝撃を受けて作った曲だという。なんというか、とにかく圧巻だった。本当のことを歌い届けようという、峯田さんの気概を感じた。ものすごく重かった。腹に強烈なパンチを食らったような、そんなライブだった。