祖父の話


祖父は明治生まれ。末っ子として生まれた祖父は男の子の出来なかった親戚の家へ養子に入ったそうだ。


私の育った小さな街よりまだ山に入った小さな小さな集落。


子供の頃祖父の実家へ何度か遊びに行った記憶があるが、仕留めたイノシシの近くに居たというウリ坊が何匹かいて、触らせて貰った。

そのくらい自然の中にある集落だった。


祖父は親戚たちの反対を押し切り従姉妹である祖母と結婚した。大恋愛のかけおちだと周りから聞いたことがある。


結婚後、京都で工場を開いたそうで、詳しくは知らないけど軍事工場だったように記憶している。

その頃は5人居た子供たち全てに乳母がいるくらいの家だったらしい。


親戚が集まると父の兄弟はその話しを良くしていた。

父は6人目の戦後生まれなのでそこは経験してなく、貧乏時代しか知らないといつも嘆く…。それが〆みたいな会話だった。


戦後工場を畳んで、太秦のスチールカメラマンとして働いていた。

実際ポスターや役者さんたちのプロマイド的な写真が実家にたくさんあったが祖父は懐かしそうにその話しをしてくれた。


その後どうなったのかよく分からないが、祖母の実家のあるこの街へ帰って来て、魚屋さん兼仕出し屋さんとして店を構えたそうだ。

長男と父も料理人となり一緒に切り盛りしていたが、祖母の気性が強くお嫁さんたちを追い出してしまう…。


そんな中祖母が脳梗塞で倒れ半身が麻痺してしまった。


末っ子の父は3つ程離れた街で兄と私を身篭っていた母と暮らしていたが、祖母の妹より同居してやって貰えないかとの話しを受け、母からの願いである「魚屋としていた店構えを美容室へ変える」ことを条件に同居が始まった。


祖父からすればお願いして来てもらった末っ子の家族。祖母は老人ホームと家の半々生活のようになり、肩身も狭かったのではないかと想像がつく。


3歳になっていた兄は母から離れない時期であり、

そこで産まれた私は唯一まっさらな無垢な存在で、母にとっても祖父は忙しい時間を見ていてくれる大事な存在で。。


パズルがパチッと合うように祖父の愛情は私に全て注がれ本当に本当に大切に私を育ててくれた。