「ママでも金」の女子柔道谷亮子氏、民主公認で参院選出馬へ政界でも金となるか
女子柔道の谷亮子(Ryoko Tani)氏(34)は10日、7月の参院選比例代表に民主党(Democratic Party of Japan、DPJ)公認候補として出馬すると表明した。
谷氏は記者会見で、「子育てしながら、いろんなことにチャレンジしてみたい」などと出馬の理由を説明した。柔道の現役選手としての活動も続けると断言し2012年ロンドン五輪への出場意欲も見せた。
谷氏は2児の母で、柔道女子世界選手権で7回優勝している。五輪には16歳だった1992年、バルセロナ(Barcelona)大会に初出場して銀メダルを獲得。その後96年に銀、00年と04年に金、08年の北京(Beijing)大会で銅メダルを獲得した。(c)AFP
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★谷 亮子(たに りょうこ、旧姓:田村、1975年9月6日 - )は、福岡県福岡市出身の、日本人の女子柔道家(四段)、政治活動家である。オリンピックで2度、世界選手権で7度金メダルを獲得した。
夫は読売ジャイアンツの谷佳知外野手。
経歴
血液型はB型。階級は48kg級。福岡工業大学附属高等学校(現・福岡工業大学附属城東高等学校)、帝京大学文学部卒業、日本体育大学大学院在学。トヨタ自動車所属。日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度を適用。夫はプロ野球選手の谷佳知。
キレのある立ち技を特徴とし、その実力から当時TVアニメ化され放送されていた浦沢直樹の柔道漫画『YAWARA!』の主人公の名前を取って柔(ヤワラ)ちゃんの愛称で広く知られる。
世界選手権6連覇、全日本体重別11連覇、福岡国際11連覇、オリンピックでは2度の金メダル、2度の銀メダル、1度の銅メダルと出場した5大会全てでメダルを獲得するなど圧倒的な戦績を誇り、女子柔道、柔道の普及に大きな貢献をした。
この節は現在進行中の事象を扱っています。記事の内容は最新の情報を反映していない可能性があります。
2010年3月31日付でトヨタ自動車を退職。2010年5月10日、第22回参議院議員通常選挙で民主党の比例区公認候補として出馬表明を示した。また、柔道については現役続行を宣言し、2012年のロンドンオリンピックで金メダルを目指す意欲を示した[1]。
競技歴
小学校1年生から兄の影響で柔道を始める。小学校2年生のとき男の子を投げ飛ばして、けがを負わせたことがある。
中学生の時の福岡国際女子柔道選手権(福岡国際)を15歳で優勝したのを皮切りに、全日本女子選抜体重別選手権(全日本)でも優勝し、オリンピック出場の権利を得た。1992年、16歳でバルセロナオリンピックに出場、決勝まで勝ち上がったが、セシル・ノバック( フランス)に僅差で敗れた。銀メダルを取ったものの、笑顔は全く無かった。
その後1993年の世界柔道選手権で優勝、1995年の世界柔道選手権でも優勝した。
1996年のアトランタオリンピックに出場。今度こそ金メダルと期待された。しかし決勝戦で北朝鮮のケー・スンヒ( 北朝鮮)が柔道着を左前に着るという奇策に出、最後まで自分の柔道をとることができずに僅差で敗れ、2大会連続銀メダルに終わった。
1997年、1999年の世界柔道選手権でも連覇した。2000年、シドニーオリンピックでは、大会前に「最高でも金(メダル)、最低でも金(メダル)」という言葉と共に臨んだ。決勝戦でリュボフ・ブロレトワ( ロシア)に内股で一本勝ちし、自身初のオリンピック金メダルを獲得し嬉し涙を流した。また初のオリンピック金メダル獲得に「ようやく初恋の人に出会えた」と表現した。
2001年、2003年には世界柔道選手権を連覇。これで世界選手権6連覇という前人未到の記録を打ち立てた。
2003年12月1日に、プロ野球選手の谷佳知と婚姻。同年12月20日に結婚披露宴を行い、日本テレビで生中継された。
新たに「谷亮子」として臨んだアテネオリンピックでは、夫で同じくアテネオリンピック日本代表選手である谷佳知をはじめ多くの人々による応援の中、足を事前に痛めたことも報道されたが一本勝ちで決勝まで勝ち上がり、決勝ではフレデリク・ジョシネ( フランス)から大内刈で技ありを取り優勢勝ちを果たして、オリンピック2大会連続の金メダルを獲得した。女子競技における日本選手のオリンピック連覇は初めてのことである。試合後のインタビューでは「シドニーの時よりも何倍も嬉しいです」と嬉し涙を流した。
2005年にカイロで行われた世界選手権で7連覇の期待がかかっていたが妊娠のために欠場し、12月31日に長男を出産した。
2007年の選抜体重別で復帰を果たしたが、決勝の福見友子戦で日本人選手相手の試合では1992年の体重別決勝での長井淳子戦以来の有効ポイントを取られて敗れるが、過去の実績が考慮されて世界選手権代表に選ばれる。その後、同年9月のブラジル、リオデジャネイロ世界選手権に出場し、7回目の優勝を果たした(男女通じて世界最多記録)。
2008年には北京オリンピックへの出場の意欲を見せ、選抜体重別に出場。決勝戦で山岸絵美に、昨年の福見友子戦に続いての有効ポイント(今回は2つ)を奪われて敗れたが、これまでの実績から代表に選ばれた。
夏季大会は5大会連続出場となり、日本選手の最多連続記録を更新して臨んだ北京オリンピック柔道競技の初日に登場、予選の3試合とも優勢勝ちで準決勝に進んだ。しかし準決勝でアリナ・ドゥミトル( ルーマニア)に技を掛けることができず、警告のポイントを取られて敗れ、決勝進出及びオリンピック3連覇(金メダル)を逸した。
気を取り直して銅メダルを賭けた3位決定戦でリュドミラ・ボグダノワ( ロシア)に一本勝ちを収め、銅メダルを獲得した。
柔道スタイル
146cmと小柄なこともあり、もともとは背負い投げ、そして小内刈、大内刈などを得意技としていた。しかし、背負いが警戒されることをうけ、他の技も習得し頻繁に出すようになった。大外刈、内股、体落、掬い投げ、肩車、小外刈と多彩で、この技の多さが一つの武器となっており、近年では背負い以外の技で勝つことが多い。
駆け引きがうまく、試合の組み立ても秀逸である。組み手に強く、相手にいいところを取られたら瞬時に技を掛けながら外すなど、危機管理能力が桁外れに高い選手である。判定で負けることはまずない。組み際や相手が立ち上がろうと油断した瞬間を逃さない。女子コーチでもあった古賀稔彦は「こんな選手は2度と出てこない」と最大の賛辞を贈っている。今までに負けた試合は10試合ほどであり、寝技では3回一本負けを喫したことがあるが、立ち技では一度もない。
今の外国女子柔道はタックル(朽木倒)が多くなり、日本人選手が負ける要因のひとつとなっているが、谷はこれに対処することが上手く、相手のタックルを避けることが出来る。
また、国内でも10年近く無敗を誇っていたが、出産によるブランクの影響と年齢による動きの衰えも見られるようになっているためか、2007年の全日本選抜体重別選手権では福見友子に敗れ、翌2008年の全日本選抜体重別決勝でも山岸絵美に敗れた。
勝って当然というプレッシャーの中で、長年、モチベーションを維持して頂点に立ち続ける精神力も桁外れであり、井上康生は「どういう精神構造なのかな。ゆっくり話を聞きたい。真剣にそう思う」と評している[8]。
人物像
若い頃からインタビューの受け答えがしっかりしており、記者にも常に笑顔で、ファンへの感謝を忘れないなどと、サービス精神旺盛である。また自身をよく「○連覇します」と追い込んだ発言をし、そしてそれを有言実行し続ける強い精神力を持っている。
エピソード
1996年のアトランタオリンピック日本選手団の旗手を務めた。
結婚式では本人らのエピソードVTRに本人ら二人が出演するというものだった。ウェディングケーキは地球をイメージした巨大な青いものだった。
戦績
1990年 - 選抜体重別 3位
1990年 - 全日本女子柔道強化選手選考会 優勝
1990年 - 2000年 |C#V|2002年- 福岡国際 11連覇を含め、合計12度の優勝
1991年 - 2001年,2003年 -2005年 - 選抜体重別 11連覇を含め、合計14度の優勝
1991年 - 世界柔道選手権バルセロナ大会 3位
1991年 - アジア柔道選手権大会 3位
1992年 - ドイツ国際 優勝
1992年 - バルセロナオリンピック 2位
1993年 - フランス国際 優勝
1993年 - 全国高校選手権 優勝
1993年 - 東アジア競技大会 優勝
1993年 - 世界柔道選手権ハミルトン大会 優勝
1994年 - アジア大会 優勝
1994年 - 全日本女子柔道強化選手選考会 優勝
1995年 - ユニバーシアード 優勝
1995年 - 世界柔道選手権幕張大会 優勝(2連覇)
1996年 - アトランタオリンピック 2位
1997年 - 世界柔道選手権パリ大会 優勝(3連覇)
1998年 - 全国女子柔道体重別選手権 優勝
1999年 - 世界柔道選手権バーミンガム大会 優勝(4連覇)
2000年 - シドニーオリンピック 優勝
2001年 - 世界柔道選手権ミュンヘン大会 優勝(5連覇)
2003年 - 世界柔道選手権大阪大会 優勝(6連覇)
2004年 - アテネオリンピック 優勝(2連覇)
2007年 - 選抜体重別 2位
2007年 - 世界柔道選手権リオデジャネイロ大会 優勝(合計7度目の優勝)
2008年 - 選抜体重別 2位
2008年 - 北京オリンピック 3位
受賞
1993年度JOCスポーツ賞優秀賞
1995年度JOCスポーツ賞最優秀賞
2000年10月3日 銀杯一組(菊紋)
2000年11月6日 内閣総理大臣顕彰
2000年度JOCスポーツ賞特別栄誉賞
2002年度JOCスポーツ賞特別貢献賞
2003年11月3日 紫綬褒章
2004年11月3日 紫綬褒章飾版
2007年11月3日 紫綬褒章飾版
発言
「最高で金、最低でも金」シドニーオリンピック前に
「ヤワラちゃんでいいです」 記者に本名で呼ばなくていいのかと聞かれ
「谷亮子でも金」アテネオリンピック前に
「柔道のことを忘れた日は一日も無かった。」(2007年3月、子育てから復帰した会見で)
「ママでも金」
谷氏は記者会見で、「子育てしながら、いろんなことにチャレンジしてみたい」などと出馬の理由を説明した。柔道の現役選手としての活動も続けると断言し2012年ロンドン五輪への出場意欲も見せた。
谷氏は2児の母で、柔道女子世界選手権で7回優勝している。五輪には16歳だった1992年、バルセロナ(Barcelona)大会に初出場して銀メダルを獲得。その後96年に銀、00年と04年に金、08年の北京(Beijing)大会で銅メダルを獲得した。(c)AFP
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★谷 亮子(たに りょうこ、旧姓:田村、1975年9月6日 - )は、福岡県福岡市出身の、日本人の女子柔道家(四段)、政治活動家である。オリンピックで2度、世界選手権で7度金メダルを獲得した。
夫は読売ジャイアンツの谷佳知外野手。
経歴
血液型はB型。階級は48kg級。福岡工業大学附属高等学校(現・福岡工業大学附属城東高等学校)、帝京大学文学部卒業、日本体育大学大学院在学。トヨタ自動車所属。日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーン・シンボルアスリート制度を適用。夫はプロ野球選手の谷佳知。
キレのある立ち技を特徴とし、その実力から当時TVアニメ化され放送されていた浦沢直樹の柔道漫画『YAWARA!』の主人公の名前を取って柔(ヤワラ)ちゃんの愛称で広く知られる。
世界選手権6連覇、全日本体重別11連覇、福岡国際11連覇、オリンピックでは2度の金メダル、2度の銀メダル、1度の銅メダルと出場した5大会全てでメダルを獲得するなど圧倒的な戦績を誇り、女子柔道、柔道の普及に大きな貢献をした。
この節は現在進行中の事象を扱っています。記事の内容は最新の情報を反映していない可能性があります。
2010年3月31日付でトヨタ自動車を退職。2010年5月10日、第22回参議院議員通常選挙で民主党の比例区公認候補として出馬表明を示した。また、柔道については現役続行を宣言し、2012年のロンドンオリンピックで金メダルを目指す意欲を示した[1]。
競技歴
小学校1年生から兄の影響で柔道を始める。小学校2年生のとき男の子を投げ飛ばして、けがを負わせたことがある。
中学生の時の福岡国際女子柔道選手権(福岡国際)を15歳で優勝したのを皮切りに、全日本女子選抜体重別選手権(全日本)でも優勝し、オリンピック出場の権利を得た。1992年、16歳でバルセロナオリンピックに出場、決勝まで勝ち上がったが、セシル・ノバック( フランス)に僅差で敗れた。銀メダルを取ったものの、笑顔は全く無かった。
その後1993年の世界柔道選手権で優勝、1995年の世界柔道選手権でも優勝した。
1996年のアトランタオリンピックに出場。今度こそ金メダルと期待された。しかし決勝戦で北朝鮮のケー・スンヒ( 北朝鮮)が柔道着を左前に着るという奇策に出、最後まで自分の柔道をとることができずに僅差で敗れ、2大会連続銀メダルに終わった。
1997年、1999年の世界柔道選手権でも連覇した。2000年、シドニーオリンピックでは、大会前に「最高でも金(メダル)、最低でも金(メダル)」という言葉と共に臨んだ。決勝戦でリュボフ・ブロレトワ( ロシア)に内股で一本勝ちし、自身初のオリンピック金メダルを獲得し嬉し涙を流した。また初のオリンピック金メダル獲得に「ようやく初恋の人に出会えた」と表現した。
2001年、2003年には世界柔道選手権を連覇。これで世界選手権6連覇という前人未到の記録を打ち立てた。
2003年12月1日に、プロ野球選手の谷佳知と婚姻。同年12月20日に結婚披露宴を行い、日本テレビで生中継された。
新たに「谷亮子」として臨んだアテネオリンピックでは、夫で同じくアテネオリンピック日本代表選手である谷佳知をはじめ多くの人々による応援の中、足を事前に痛めたことも報道されたが一本勝ちで決勝まで勝ち上がり、決勝ではフレデリク・ジョシネ( フランス)から大内刈で技ありを取り優勢勝ちを果たして、オリンピック2大会連続の金メダルを獲得した。女子競技における日本選手のオリンピック連覇は初めてのことである。試合後のインタビューでは「シドニーの時よりも何倍も嬉しいです」と嬉し涙を流した。
2005年にカイロで行われた世界選手権で7連覇の期待がかかっていたが妊娠のために欠場し、12月31日に長男を出産した。
2007年の選抜体重別で復帰を果たしたが、決勝の福見友子戦で日本人選手相手の試合では1992年の体重別決勝での長井淳子戦以来の有効ポイントを取られて敗れるが、過去の実績が考慮されて世界選手権代表に選ばれる。その後、同年9月のブラジル、リオデジャネイロ世界選手権に出場し、7回目の優勝を果たした(男女通じて世界最多記録)。
2008年には北京オリンピックへの出場の意欲を見せ、選抜体重別に出場。決勝戦で山岸絵美に、昨年の福見友子戦に続いての有効ポイント(今回は2つ)を奪われて敗れたが、これまでの実績から代表に選ばれた。
夏季大会は5大会連続出場となり、日本選手の最多連続記録を更新して臨んだ北京オリンピック柔道競技の初日に登場、予選の3試合とも優勢勝ちで準決勝に進んだ。しかし準決勝でアリナ・ドゥミトル( ルーマニア)に技を掛けることができず、警告のポイントを取られて敗れ、決勝進出及びオリンピック3連覇(金メダル)を逸した。
気を取り直して銅メダルを賭けた3位決定戦でリュドミラ・ボグダノワ( ロシア)に一本勝ちを収め、銅メダルを獲得した。
柔道スタイル
146cmと小柄なこともあり、もともとは背負い投げ、そして小内刈、大内刈などを得意技としていた。しかし、背負いが警戒されることをうけ、他の技も習得し頻繁に出すようになった。大外刈、内股、体落、掬い投げ、肩車、小外刈と多彩で、この技の多さが一つの武器となっており、近年では背負い以外の技で勝つことが多い。
駆け引きがうまく、試合の組み立ても秀逸である。組み手に強く、相手にいいところを取られたら瞬時に技を掛けながら外すなど、危機管理能力が桁外れに高い選手である。判定で負けることはまずない。組み際や相手が立ち上がろうと油断した瞬間を逃さない。女子コーチでもあった古賀稔彦は「こんな選手は2度と出てこない」と最大の賛辞を贈っている。今までに負けた試合は10試合ほどであり、寝技では3回一本負けを喫したことがあるが、立ち技では一度もない。
今の外国女子柔道はタックル(朽木倒)が多くなり、日本人選手が負ける要因のひとつとなっているが、谷はこれに対処することが上手く、相手のタックルを避けることが出来る。
また、国内でも10年近く無敗を誇っていたが、出産によるブランクの影響と年齢による動きの衰えも見られるようになっているためか、2007年の全日本選抜体重別選手権では福見友子に敗れ、翌2008年の全日本選抜体重別決勝でも山岸絵美に敗れた。
勝って当然というプレッシャーの中で、長年、モチベーションを維持して頂点に立ち続ける精神力も桁外れであり、井上康生は「どういう精神構造なのかな。ゆっくり話を聞きたい。真剣にそう思う」と評している[8]。
人物像
若い頃からインタビューの受け答えがしっかりしており、記者にも常に笑顔で、ファンへの感謝を忘れないなどと、サービス精神旺盛である。また自身をよく「○連覇します」と追い込んだ発言をし、そしてそれを有言実行し続ける強い精神力を持っている。
エピソード
1996年のアトランタオリンピック日本選手団の旗手を務めた。
結婚式では本人らのエピソードVTRに本人ら二人が出演するというものだった。ウェディングケーキは地球をイメージした巨大な青いものだった。
戦績
1990年 - 選抜体重別 3位
1990年 - 全日本女子柔道強化選手選考会 優勝
1990年 - 2000年 |C#V|2002年- 福岡国際 11連覇を含め、合計12度の優勝
1991年 - 2001年,2003年 -2005年 - 選抜体重別 11連覇を含め、合計14度の優勝
1991年 - 世界柔道選手権バルセロナ大会 3位
1991年 - アジア柔道選手権大会 3位
1992年 - ドイツ国際 優勝
1992年 - バルセロナオリンピック 2位
1993年 - フランス国際 優勝
1993年 - 全国高校選手権 優勝
1993年 - 東アジア競技大会 優勝
1993年 - 世界柔道選手権ハミルトン大会 優勝
1994年 - アジア大会 優勝
1994年 - 全日本女子柔道強化選手選考会 優勝
1995年 - ユニバーシアード 優勝
1995年 - 世界柔道選手権幕張大会 優勝(2連覇)
1996年 - アトランタオリンピック 2位
1997年 - 世界柔道選手権パリ大会 優勝(3連覇)
1998年 - 全国女子柔道体重別選手権 優勝
1999年 - 世界柔道選手権バーミンガム大会 優勝(4連覇)
2000年 - シドニーオリンピック 優勝
2001年 - 世界柔道選手権ミュンヘン大会 優勝(5連覇)
2003年 - 世界柔道選手権大阪大会 優勝(6連覇)
2004年 - アテネオリンピック 優勝(2連覇)
2007年 - 選抜体重別 2位
2007年 - 世界柔道選手権リオデジャネイロ大会 優勝(合計7度目の優勝)
2008年 - 選抜体重別 2位
2008年 - 北京オリンピック 3位
受賞
1993年度JOCスポーツ賞優秀賞
1995年度JOCスポーツ賞最優秀賞
2000年10月3日 銀杯一組(菊紋)
2000年11月6日 内閣総理大臣顕彰
2000年度JOCスポーツ賞特別栄誉賞
2002年度JOCスポーツ賞特別貢献賞
2003年11月3日 紫綬褒章
2004年11月3日 紫綬褒章飾版
2007年11月3日 紫綬褒章飾版
発言
「最高で金、最低でも金」シドニーオリンピック前に
「ヤワラちゃんでいいです」 記者に本名で呼ばなくていいのかと聞かれ
「谷亮子でも金」アテネオリンピック前に
「柔道のことを忘れた日は一日も無かった。」(2007年3月、子育てから復帰した会見で)
「ママでも金」
米アリゾナ州、厳しい移民法成立に住民は賛否両論 46万人が不法移民
米南西部アリゾナ(Arizona)州で成立した不法移民の取り締まりを強化する法律をめぐり、住民たちの間で困惑の声が上がっている。
前月23日に成立した同法は、「合理的な疑い」がある者に対して警官が職務質問することができるもので、不法移民対策としては全米で最も厳しい法律だ。
移民問題は全米的な問題だが、連邦議会はこれまで移民法改正に合意できずにいる。そのため、推定1200万人とされる不法移民に対する対策を求める怒りの声が何年も前からあがっている。
■ヒスパニック系46万人が不法移民
メキシコと国境を接するアリゾナ州では、人口660万人のうち30%以上がヒスパニック系。また、11%はアメリカ先住民や黒人、アジア人により構成されている。ヒスパニック系の中には米国で生まれや合法的な移民もいるが、うち推定46万人が不法移民とされている。
フェニックス(Phoenix)市警のJ・D・シュル(J.D. Shull)交通巡査部長も、法律の施行にはあまり乗り気ではない。「住民の賛否が両極端に分かれているので難しい。われわれは厄介な立場に立たされることになる」と語った。
シュル氏は警官歴20年のベテランだが、これまでに誰かに滞在資格について質問したことは一度もない。米国には戸籍がなく、最も近い代替物は州の発行する運転免許証になる。
■不法移民の流入盛ん、64%が移民法支持
調査会社ラスムッセン(Rasmussen)が前週実施した調査によると、アリゾナ州の回答者の64%が新移民法を支持している。しかし、この法律により訴訟問題が頻発すると考える回答者も、半数に上った。
新法の支持者は、アリゾナ州南部の穴だらけの国境を防衛するためにこの法律が必要だと主張する。同州の国境は、米国への不法移民が最も多い場所の1つだ。
法律は当初、「合理的な疑い」がある人物に対し、「合法的な接触」内で警官が滞在の合法性について質問できるとしていたが、後に「合法的な接触」の部分が「制止させるか、拘束するか、または逮捕した場合」と変更された。さらに、人種「のみ」を理由に不法滞在の疑いを持つことを防止するために、条文から「のみ」の文言が削除されたという。
ジャン・ブリューワー(Jan Brewer)アリゾナ州知事は、変更後の法律では、人種による選別を禁止していることは「明白だ」と語った。とはいえ、まだ確信を持てないでいる人も多い。
前月23日に成立した同法は、「合理的な疑い」がある者に対して警官が職務質問することができるもので、不法移民対策としては全米で最も厳しい法律だ。
移民問題は全米的な問題だが、連邦議会はこれまで移民法改正に合意できずにいる。そのため、推定1200万人とされる不法移民に対する対策を求める怒りの声が何年も前からあがっている。
■ヒスパニック系46万人が不法移民
メキシコと国境を接するアリゾナ州では、人口660万人のうち30%以上がヒスパニック系。また、11%はアメリカ先住民や黒人、アジア人により構成されている。ヒスパニック系の中には米国で生まれや合法的な移民もいるが、うち推定46万人が不法移民とされている。
フェニックス(Phoenix)市警のJ・D・シュル(J.D. Shull)交通巡査部長も、法律の施行にはあまり乗り気ではない。「住民の賛否が両極端に分かれているので難しい。われわれは厄介な立場に立たされることになる」と語った。
シュル氏は警官歴20年のベテランだが、これまでに誰かに滞在資格について質問したことは一度もない。米国には戸籍がなく、最も近い代替物は州の発行する運転免許証になる。
■不法移民の流入盛ん、64%が移民法支持
調査会社ラスムッセン(Rasmussen)が前週実施した調査によると、アリゾナ州の回答者の64%が新移民法を支持している。しかし、この法律により訴訟問題が頻発すると考える回答者も、半数に上った。
新法の支持者は、アリゾナ州南部の穴だらけの国境を防衛するためにこの法律が必要だと主張する。同州の国境は、米国への不法移民が最も多い場所の1つだ。
法律は当初、「合理的な疑い」がある人物に対し、「合法的な接触」内で警官が滞在の合法性について質問できるとしていたが、後に「合法的な接触」の部分が「制止させるか、拘束するか、または逮捕した場合」と変更された。さらに、人種「のみ」を理由に不法滞在の疑いを持つことを防止するために、条文から「のみ」の文言が削除されたという。
ジャン・ブリューワー(Jan Brewer)アリゾナ州知事は、変更後の法律では、人種による選別を禁止していることは「明白だ」と語った。とはいえ、まだ確信を持てないでいる人も多い。