キム・ナムギルと彼の「行きつけの漫画喫茶」で語り合った話 ①


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最近「御飯」本来の味にはまっているキム・ナムギル。海苔さえあれば御飯一椀 さっさと、このように


- 両親と一緒に暮らしていらっしゃるんでしょ?インタビューでご両親の話を無意識のうちにするのをみました。なんていうか。長男としてのいわゆる責任感が感じられます。
= なくはないと思います。ところが、今はただ両親と一緒にいるのもいいですよ。両親もますます衰えていくだろうし… 一緒にいれる時間もそんなに多くはないでしょ?両親が年嵩の息子のためにまだできることが多いということをわざわざ見せています。知っていながらわけもなく「オンマー、靴下どこにあるの?」「オンマー T シャツは? 」そう言うんです。あっ、これ知ったら残念がるだろうな?


- 娘のような息子ですね。男は年を取れば自分だけの空間に対する愛着が強くなると聞きましたが、独立に対する考えはなかったんですか?
= そう思うようなときがあります。自宅で完全に「自分だけの空間」といえる場所は、私の部屋ひとつです。つきなみに。部屋が広くなくて、机に座ってパソコンをして後ろに寝転んだら間違いなくベッドにぴったり(笑) そんなように何事もなく暮らして、時々一人で素敵に暮らす俳優の家に遊びに行くとうらやましいですよ。少なくとも私は音楽の音には注意するんです。音楽を大きな音で聴いてるとすぐ部屋の外で「(両親)うるさ~い!」「(ドキッ、ナムギル)ネェ~(はぁ~い)」ですよ(一同笑笑)夜にビデオを見てエッチな場面が出るとなぜかあたふたして音を消す(また爆笑)そのような映画でないのにね。


- より大きな想像を呼び起こすのも、また音なので、汗はかなり出ましたね(笑)
= 実は、独立して2年間ひとりで暮らして見たことがあります。9年前だったから、血気旺盛なときでした。その時は友達が毎日のように遊びに来ました。家がめちゃくちゃになりましたよ。そして、病気のとき誰もそばにいないので、それほど悲しいことはなかったです。独立して住む家はありますが、半年近く両親の家にいました。何かが無いんです。「このまま続けて両親と一緒に暮らすでしょう。」


- あなたを心配させることがありますか?
= 自分を自分でやりきれなく自制すること。
たまにどこへ弾けるかわからない人生を生きたいときがあります。


‐ そのためには「他人を意識しない」あるいは「嫌われる勇気」が必要ではないかと思ったりしますが。
= 「人は努力すれば変わることができる」という観点に立って、まずお話すれば、良い変化に私が役に立つことができるという判断が紙面でけなされたとしても、手を差しのべる勇気があります。だがそれは条件的だから。そして俳優はどうしても自分自身ではなく、作品と直接連結されたものが多いじゃないですか。誰かに嫌われながら自由に生きることは簡単ではではないようです。また、韓国は有名人に対する道徳的基準が強いじゃないですか。


‐ あなたの築いてきたものが名誉であり、24時間監視カメラが作動している刑務所でもある世の中です。
= 人々が私をどう思うかについては、考えたら、言いたいことや行動がよりできなくなることもあります。私は私がうんと下ろした(心を楽にした)と思ったのに、過ぎてみたら下ろしたのではなくて、「耐えていたんだ」という気がすることもあるんです。


‐ 「耐えていたんだ」と。
= 私の好きなことをしながら,どこかに行って御飯を一膳食べることができる程度のお金を稼いで感謝することを考えます。しかし、人が持っている欲望というものはつきることがありません。夢は大きいほどいいですが、持っているものより多くのことを願っていると自分自身を苦しませるようです。ちょうど、< 奇妙な家族 >撮影が忠清北道で3ヶ月ありましたが、その近くに法住寺(ポッチュサ)という大きな寺院があります。私は無宗教ですが、3ヶ月の間に、一日も欠かさず行って108拝をしました。はじめは運動がてらにと行っていたんですが、やってみると心理的にいいんです。私を振り返る時間でした。誰かの幸せを心から願ってみたり、「すべてが自分のせいだ」と過ぎた時間を振り返り反省したりもしました。


- すべてが自分のせいにすると自分がなくなったりもします。
= それが肯定的な意味での約束です。しかし、他人の考えや人生は、私のコントロールできない領域です。私がもし、記者さんに傷を与えたとしてみて下さい。その後、謝ることはできますが、だからといって、その傷まで私がきれいに治すことはできません。誰かを自分が完璧に慰めることができると信じていること自体が生意気な考えです。他人の影響を絶えず受けて生きるのが人ですが、重要な瞬間を決定するのは、最終的に自分です。人のせいにするより、自分を振り返るほうがより有益だと思っている理由でしょう。


ファンにプレゼントされたギブソンのギター。ギターを習って7年。イ・ソラとトイの歌を好んで歌う。


‐ このような話を同僚たちとよく語り合うのですか。
= 同じ仕事をする仲間であるため、ある悩みを話した時、もっと理解されることもありますが、反対に同じことをする人であるのため、話をするのがもっと難しいものも多いです。しかし、あえて悩みを話していなくても存在するだけで力になる先輩が私にはいます。


- 自身に対する信頼が大きいと思いますか。
= 信頼はありません。そうしようと努めています。この言葉に共感しています。「笑えば世間も一緒に笑う 泣くならひとりで泣いていろ」という言葉。事実、沈もうとすれば、根も葉もなく落ち込むのが私という人間だが、早々と浮き上がってくるのも私です。幸い、またすぐ忘れるスタイルなのです(笑)


‐ 昨年<ある日><殺人者の記憶法> ドラマ<名不虚伝>などで観客に着実に会っていますが、今年は比較的作品から遠ざかっていると感じています。<奇妙な家族>撮影後、今年の計画はまだですか?
= 上半期は「少し休んで行こう」というタイミングです。最近演技に対する楽しみが格段に増えました。だからあれやこれややってみたいと思っているのに、少し立ち止まって考えを整理する必要があるだろうという気がしました。それで自分の意志が半分、他人の意志が半分で休息期を送っていますが、また体がうずうずしてきました。近いうちに良いニュースをお聞かせできると思っています。


‐ キム・ナムギルの30代を振り返ってどうだったと思いますか。中間評価してみると?
= 20代は夢中で過ごしました。30代の多くの時間はドギマギしたようで。善悪の悩み、人間関係の悩み、自分自身に対する悩みが本当におおかったんです。過度期じゃなかったかと思います。40代には、このような悩みの時間を通り過ぎて、何かもっと強くなっていないだろうかと期待があります。


彼と別れてソウルに戻ってくる車の中で私は、少し奇妙な感情に陥りかけた。本当に多くの言葉を交わしたと思いましたが、何か重要なことを置いてきた感じ… この日の会話をリプレイして、その理由は、「善悪の悩み、人間関係の悩み、自分自身に対する悩みが本当におおい時期」を過ぎてきたというキム・ナムギルの悩みをもう少し深く理解出来ずに帰るんじゃないかと後悔しているためであるとわかった。後悔を取り戻す機会は思ったより早く訪れた。キム・ナムギルの空間 <無頼漢>製作会社の「サナイピクチャーズ オフィス」にも接触してみたのだが、インタビュー翌日 そこで<無頼漢>チームの集まりがあったからである。<無頼漢>を製作したサナイピクチャーズ、ハン・ジェドク代表とチョン・ドヨンが快く記者の訪問に同意してくれたおかげで、私はキム・ナムギルと別れて19時間後に再び彼と向き合うことができた。まだ解決できなかったキム・ナムギルパズルのピースを彼の仲間たちを通じて聞いてみた。


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チョンシウ / 映画ジャーナリスト


[キム・ナムギルと彼の「行きつけの漫画喫茶」で語り合った話 ① ]



───── おわり ─────