マダムマヒの成蝶日記 -4ページ目

マダムマヒの成蝶日記

脳血管障害を発症して半年、リハビリ病院を退院してからの成長するであろうの願いを込めて、日常を発信していきたい

高校を卒業したら娘に会う。と決めていたらしい実母の働きかけで、既に再会を果たしていた姉と二人で歩いていた高3の冬、街中でばったり母と遭遇し逃げ出してしまった私でした。
外では借りてきた猫のようにおとなしい父は家の中でお酒が入ると少しのことで直ぐに切れる性格でした。毎晩のように夫婦喧嘩をしては食事の乗ったテーブルをひっくり返し、継母を叩きました。姉は汚れた食卓を片付けて、私は家の外に出て行った継母を連れて帰る役目でした。
そのような家が嫌で、高校卒業して東京に就職しました。
偶然の再会は逃げ出してしまいましたが、その後は東京から帰省する度に実母のところへ行くようになり、父と継母には内緒の出会いは結婚して子供が出来てからも続いていました。ごく最近まで、倒れる前まで、一年に2~3回ほんの僅かな時間ではあるけれど、少しばかりのお小遣いを母に渡すのが恒例になっていました。しかし、3年前脳出血で倒れ、身体障がい者になってからは会っていません。倒れてひとつき後くらいに電話で話した時に可哀想だと泣く母が嫌でしたし、「姉のところに来ているよ」と連絡をしても訪ねて来ませんでした。父も継母も他界した今は誰かを気遣う必要もなくなったけれど、それぞれの事情で一緒の時間を過ごすことはありません。
もうこのままになってしまうのかもしれない……いや、このままにしてしまおう。そんな風に考えていましたが、コーチングのパーソナルファンデーション(自己基盤)を強くすると言う講義の中の未完了を完了させる。私の自己基盤には母との関係が大きく影響しているに違いない。そうだ、今まで母に怨み辛みは言ってはいけないと思っていたけれど、本心を言って見よう。
25日(土)の還暦同窓会では伊豆のホテルに宿泊するのだから、母に来てもらおう。