こんにちは!
今回は、フォロワーの方から頂いたご相談にお答えさせていただきたいと思います。
娘(現在高1)のお友達が、3年前、中1の時に急な病気で亡くなりました。
それからそのお友達の月命日やお誕生日に時々親子で伺うのですが、正直、もうその娘さんはいないのに、そのお母さんにうちの娘が元気に成長していく様子をお見せするのは残酷なのではないかと思ったり、その子が好きだったものをお供えでお持ちしたりお誕生日にプレゼントを届けるのも、全て悲しみを増幅させてしまっているのではないか、という気がしていつも悩みます。
自分なら、プレゼントやお供えをもらってももう娘はいないのに、、、と暗い気持ちになってしまいそうな気もします。それでも早く旅立ったその子が皆から忘れられていくことの方が辛いのではとも思い、いつもすごく悩みながらおじゃまするのですが、弟さんを亡くされ、シングルファーザーさんのお話など伺われ、大事な人を亡くされた立場からはどう思われますか?
ご相談くださりありがとうございます!!
わたしの家族の場合ですが、
うちの両親はお友達が来ることをとても喜んでました。
月命日(毎月の故人が亡くなった日にちを指します)や命日、もちろん何もなくても彼女ができたり、結婚、自分の子どもが生まれたりとか、人生の節目があった友達がひょっこり我が家に来てくれることがありました。
悲しみから立ち直れず、家族の間で重苦しい空気が流れを変えてくれるのはいつも「訪問してくださる人」でした。
でも本当のところはどうだったんだろう…
ふと母にも当事者として本当はどうだったのかを聞いてみました。
我が家の場合は、やはり大きな癒しになっていたようです。
むしろ癒し以外何にもなかった。
家の中がぱあっと空気が変わりましたから。
家族だけでは変えられない空気ってあるんですよ。
でも、残酷な事なのではないかと考えたご相談者の気持ち、わたしはめっちゃくちゃわかります。
実は、今思い出してもどちらが正解だったのかわからない、とても苦い思い出がわたしにはあるのです。
それはまた、次回に描きますね!
いつもいいね&コメントをくださりありがとうございます!
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