暖かいし、いいやと思い
葛西臨海公園へ独り散歩
しかし、風が強くて
観覧車は止まってるし
自分は風であおられて
止まっているのが難しい。
実は、マトリョーシカの写真を
撮ろうかと企んだのですが
飛ばされて無理だということに
気づいて
寒い思いをしました。
今は、名詞がとても日本語の中で多いと思いますが、
これは、たぶん近代の話で
江戸時代より以前は、名詞は少なかったのだと思います。
それが、明治に入って
外国のものを翻訳しないといけなくなり
それで、急激に多くの名詞を作ることになったのだと
思います。
なかなかの良いアイデアで作られた名詞もあれば
ちょっと意味が違うかも的なものまでいろいろです。
しかし、いったん言葉ができてしまうと
今度はその言葉に意味がつられて
本来の意味からずれていってどちらが本当か
わからなくなったりもします。
たとえば、集中という言葉は
日本人の持っている集中観と
外国の人の集中観は
真逆だったのだと思いますが
今では、同じになりました。
あれ?
どうして、そうなった?
言葉とは不思議なものです。
それで、実は、こうした言葉で
江戸のことを説明しようとすると
言葉の意味をまず
確認しないと話が通じないことが
分かってくるんです。
これって、けっこうたいへんな話ですよ。
日本語なのに、日本語を説明しないと
いけなくなるのです
役者がなも残さない芸術だとするならば、
物質主義からの脱却を試みるべきだろう。
かといって精神論に逃げるのは、もっと悪い
だって、精神こそが物質主義の生みの親だから。