アベマの切り抜き見て体罰は必要って言ってるおじいちゃんと対話でなんとかなるって言ってるお姉さんがいたんだけど、その会話自体お姉さんはかなり思慮浅くておじいさんからのあなたにとって善と悪は?っていう問いに答えれてなかった。
そこで思ったけど、この世の中の本来あるべき姿って善意も悪意もないんじゃないかなって。
なんでかって、善意があるってことはそれ相応もしくはそれに近いいい反応を期待してるわけじゃん。じゃあもしそうならない時に残念がるの?それは善意じゃないよね。それを善意だという人がいたら、その人たちはその残念な気持ちから派生された負に近い感情をどう発散させるのだろう。完全なる善意っていうのを持ってる人はかなり珍しいと思う。ほんで、悪意っていうのは善意の逆。切り抜きの話に合わせると、体罰っていうのは善意の要素。ただそれをやってる人は意識してないだろうね。感情的な行動だから。それがイラつきだとか負の感情によるものでも、教育として理にかなってる行為ではある。それで、ある程度悪い行動を抑制できるならそれは必要。それを悪意だという人はそもそも論外。まぁ叩きたくて叩いてるカスもいるかもしれないけど、それは別問題。動機関係なく体罰自体悪いだろって思う人は、体罰の必要性と効果を理解した方がいい。体罰はかなり合理的、動物だってやる、だから子供には本能的にモラルが教えられる。もちろん悪い影響もある。それは理不尽な時。それは治すべきとこ。ただ一概に悪いとは言えない。適材適所がある。極論、暴力を他の生徒たちに振るうやつには体罰じゃないとわからない可能性が高い。だから体罰を受けさせる側もちゃんと場をわきまえる必要がある。対話で解決できるだろうっていうのも、全てのシチュエーションに有効な訳ではない。これはわかる。だから一概に対話で解決しようとするのも無理がある。あほは何言ってもあほ。同じレベルの頭と話したほうがいい。もしくは理解のある人。要するに、どちらも必要。モラル的にとか言って一蹴してる気でいる奴がいるからSNSはそれに便乗する。だってそのほうが正しそうだから。SNSはテレビとか新聞とかよりも断然影響力が高い。だから一見正しそうな善そうな側面には賛成しやすい。これはシステムの問題。だからこそSNSの情報を鵜呑みしないでとかいう教育がある。結果自分では人前に立つことはしたくないけど、ちゃんと多面的に考えてる人をおしたいよね。
ちなみに個人的な意見としては、愛情があればいいと思ってる。愛情っていうのは善意も悪意もないから。愛っていうよくわからん力はものすごい。別に何も求めてないけどやってあげるとか、嫌がらせしてやろうとか思わん。愛があれば。でもこれは純粋な愛の形。愛の表現自体は歪みやすいから要注意。