自分の枠がにじんできているなぁと思う。
以前ほど「頑なさ」がなくなった気がする。
前は見なかった邦画に惹かれたり。
(映画「悪人」が素晴らしすぎたのも要因。)
抽象画にも惹かれたり。
(荒井さんの絵がめちゃめちゃ好き。
前は「子供の絵みたいだなぁ」とおもったけど、
子供しか持ち得ない自由さ、勢い、パワー、明るさを大人になっても持ち続けられてるのがスゴい。そして単純に美しい。)
自分についても「私はこう!」って頑なさが薄れて、
さらに冷静に、客観的に見れるようになった気がする。
私について。
普段の一社会人で映画や海外ドラマやいろいろ考えることが好きな「私」と、
「人を支えたい」という産業カウンセラーの「私」は、
全くの別人格と思えるくらい開きがある。
普段の私は自分が大好きで、自分の好きなこと以外は興味があんまりない。
自分の思い通りにやらせてくれない先輩はキライだし。
キライというか、その先輩に怒られないか日々顔色気にしすぎて疲れつつある。
一人のクライエントとしての「私」。
産業カウンセラーとしての「私」は本当に別人格で、
どんなに心が疲れてても、目の前に話を聞きたい人が現れたらスッとそのモードに入る。
自動的に。
そればかりか今感じているストレスも、「これでクライエント理解が進む」と前向きに受け入れようとさえする。
先輩のことも一人の人間として冷静に理解できる。
一方からすると他方は「一体何者?」くらい違う。
昨年産業カウンセラーの講座を受けて、カウンセラーとしての「私」が大きくなったせいか、
ふと頑なだった側の自分の枠がにじむのを感じる。
今まで以上に、気づいたらいろんなものを受け入れられ始めている。
周囲のひとは、今まで以上に冷静に一人の人間として客観視できるようになっている。
でも冷静だからといって、思いがないわけではない。
むしろ思いしかない。
その人が一番活きるものは何か、活きる場所は何かを考えてる。
この「私」は一体何者なんだろう。
自分の一面ではあるけれど、我ながら謎。
そして完全にそちら側にはなれてない自分もいる。そっちの方が慣れ親しんでる「自分」な気がする。
これからもう一方が解放されてくんだろうなぁ。
嬉しいような。
恐ろしいような。
目の前に、支えたい人が居るのに、力が及ばず助けられない。
手を伸ばしても、届かない。
気持ちはあっても、力が足りない。
あたしには何もできない。
無力感に襲われる。
でも本当に無力なのか?
私にできることはないのか?
できないなら、できるようになるにはどうすればいい?
そう思って産業カウンセラーになった。
私は無力ではなくなった。
それでもまだまだ微力で、
支えたい人には、ほんの少し手が届かない。
「今は」できることがない。
まだ支えられない。力が足りない。
また無力感に襲われる。
「できることをしよう。」
いまは呪文のようにこの言葉を唱えよう。
「できることをしよう。」
もどかしさを活力にして、
もっともっと強くなれるように。
自分の弱さを支えにして。
「できることをしよう。」
手を伸ばしても、届かない。
気持ちはあっても、力が足りない。
あたしには何もできない。
無力感に襲われる。
でも本当に無力なのか?
私にできることはないのか?
できないなら、できるようになるにはどうすればいい?
そう思って産業カウンセラーになった。
私は無力ではなくなった。
それでもまだまだ微力で、
支えたい人には、ほんの少し手が届かない。
「今は」できることがない。
まだ支えられない。力が足りない。
また無力感に襲われる。
「できることをしよう。」
いまは呪文のようにこの言葉を唱えよう。
「できることをしよう。」
もどかしさを活力にして、
もっともっと強くなれるように。
自分の弱さを支えにして。
「できることをしよう。」
映画『オーストラリア』を観た。
想像以上に良かった。
女性の成長物語であり、
愛の物語だった。
ここまでは想定内。
でも男性の成長物語でもあり、
家族の話だった。
歴史の史実にも基づいてたし、民族の話でもあった。
盛りだくさんで、色んな面があって、映像も美しい。
特に良かったのは、
「自分だけの物語を持つことの大切さ」と、
「名前を呼べることの幸せ」
というメッセージ。
相手の名前を呼べること。
これって、確かに、幸せなこと。
私の今年のテーマは「今」を噛み砕くこと。
それって、「当たり前」がどれだけ幸せか、気づくことなのかもしれない。
「幸せ」の低次元化だな、と思う。
例えば彼と居るときは、
お互い実家にいるようなレベルで、和む(笑)
完全に気が抜けた状態でいれる。
やっぱりこれって、貴重な関係。
彼と、美味しいもの食べて、美味しいお酒飲んでる時が、一番幸せ。
「めっちゃ美味しい」って言い合えること。
帰り道で「今日のベスト」をお互いに言い合うこと。
理想の相手の条件に、
「イケメン」「背が高い」
「自分よりお給料が上」
とかではなく、
「しっかりしてる人」
「行動的な人」「趣味が合う人」
とかでもなく、
ただ、「一緒に美味しいもの食べたり飲んだりして、笑い合えること」、
それだけを重視する。
これが満たされるだけで、幸せ。
すごく、幸せ。
もともと気が合う二人だから、これが出来るのかもしれないな。
これは結果であり理由かもしれない。
先日参加した披露宴。
新郎が最後の挨拶で、
「彼女は世界でたった一人のパートナーです」
って言い切ってたのがすごく素敵だった。
運命の人ってきっといるんだなぁ。
生涯の伴侶は、運命と努力で絶対に手に入る。
一人ひとりの「物語」によって、相手も、出会い方も、絆の深め方も、きっと全く違うけれど、
それでもきっと手に入る。
幸せの尺度は、物語が進むにつれて、常に変化していくものなのかもしれない。
よりシンプルに。
より根源的に。
