「何を」着るかより「どう着るか」が大事 | 恋愛も仕事も外見を変えて成就させる。

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度胸の女服・色気の男服、メンズモデル木村公一ブログ

外見は無言のメッセージ

外見を磨けば自ずから内面も磨かれていく。

 

モデル生活30年木村公一のリメンズブログ。

 

 

「何を」着るかより「どう着るか」が大事

 

特にスーツスタイルのコーディネートで

大切なのは「何を」着るかではなく

常に「どう着るか」が大事だと思う。

 

学生服のようにあらかじめ「何を」を制限されれば

「どう着よう」の部分で考えるしかなくなる。

 

女子高生のルーズソックスはまさに「何」制服を

「どう」着るかで生まれたコーディネート。

 

個人的にルーズソックスのシルエットは

可愛くスタイルのあまり良くない日本人にマッチしていた。

 

しかしショップでスーツを購入する際は

「何を」着ようが優先し「どう」着ようが後回しになる。

 

「何を」が先行される限りスーツすべてが対象になり

選択は無限に広がってしまう。

 

だが「どう」着ようかを優先させれば、スーツが前提として

存在するので選択肢は狭まりコーディネートがシンプルになる。

 

そしてシンプルになるがゆえに素材そのもの、

素材同士の相性までを考えることが出来るようになる。

 

紺のブレザーのコーディネートも、

ウールのタイをニットに変えれば、

目の粗いオックスフォード地のシャツが必要になって来る。

 

無駄な買い物や下手なコーディネートの原因は

この「どう」がないからと、「何を」着るかもわからず

挙げ句の果てにはブランドに走るということになる。

 

ブランドが悪いわけではないが上から下まで

そのブランドで固めている人を見ると

まんまと嵌っているなと思えてくる。

 

欧米では子供の頃から教会やパーティーの場で

男親に「どう」着るかを教えられる。

 

紺のブレザーにグレーのパンツを履き、

濃紺のタイを教会で締める。

そして濃紺のタイは厳粛なものであることを体感する。

 

同様のジャケットとパンツに縞のタイを締めパーティーに出席する。

 

紺ジャケットとグレーパンツは応用が利くスタイルであることと、

縞のタイに対する理解がそこで生まれる。

 

「どう」着るとはそういう意味なのである。

 

「何」を「どう」着るかはその人の生き方、ライフスタイルを持ち続けて

はじめて自分のスタイルになり洗練されていく。

 

 

TPOを考える。

「何を」「どう」着ていくかを考えると

自ずからコーディネートが変わる。