外見は無言のメッセージ
外見を磨けば自ずから内面も磨かれていく。
モデル生活30年木村公一です。
上手は下手の手本なり、下手は上手の見本なり
この言葉は能の大成者世阿弥の言葉です。
下手くそが上手な人を手本にして自分の技を磨く、
これはわかる。
でも上手は下手から何を学ぶのか?
実は学ぶ事は何もないのだがそこが問題。
演劇世界では、上手くそとはミスがなくテクニックが先行する当たり前の演技。
ベテランと言われる人たちに多い。
力の抜けたスムーズな演技は素晴らしいが、
そんなスムーズ演技もステレオタイプで当たり前すぎては
エネルギーもオーラも感じられない。
うまく見られたい、演出家に叱られたくないと思って稽古をしてきたのだろう。
守るだけで小手先の技では相手を魅了する事は出来ない。
下手くそはまだ良い、伸びしろを感じるから、
上手くそには伸びしろはなく無難にこなす駒になっていく。
本気は技を超える
何事も上手いに越した事はないが、
下手はあがいていれば良いと思う。
もっと言えば必死にあがいている人は魅了的だ。
自己満足の上手くそは自分自身が相手に届いていない事に気付いていない。
私はこれでいいという、おごり、自惚れ、思い上がりの油断が人の退化につながる。
下手くそはいい、上手くそになるな。
和服を現代服に近づけるため、あらゆる実験的舞台をしていたころの舞台「舞衣夢」
この写真は私、能を現代的に表現できないか?
久保田一竹先生と関わらせて頂けた事は私の財産。
もうお亡くなりになりましたが先生の言葉で忘れられないものがあります。
「真心を込めてあきらめなければ、どんな事も必ず叶う」