教会生活をしながら、神様が私たちをどのように見つめておられるのか、何となく感ずることがあります。
今日もふとしたことから、ある兄弟姉妹の話を聞いてあげたい、理解してあげたいという気持ちがふっと湧いてきて、自分の気持ちではなく、神様がその人の心を訪ねてあげたいのだなと感じました。
正に与えたい神様ですね。普段私たちが愛を受ける立場では感ずることはできないのですが、主体に立って何かをしようとする時に、天からの想いが来るような気がします。
私たちが、素直に心を開いていくならば多くの恵みとか喜びに溢れているはずです。けれども、かたくなである私たちの心が神様の愛を受け入れられないようにしている気がします。
今年の年頭標語にもある「清心」という言葉が、今日の礼拝の説教でも取り上げられました。文先生のお孫様が、先生のことを「成熟した赤ちゃんの様です」とおっしゃったそうです。
まさに先生御自身が、天の前に幼子の様な心情を90歳を越えた今に至るまで、持ち続けてきたことの証しですね。
私自身も、幼子の様な清い心で、天を慕う心情を貴く思って、育む生活を実践する1年でありたいと思います。
「よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。(ルカ18章17節)
ブログの記事も、知識や本から得た内容も大切ですが、日々の生活の中で出会った神様や日々の恩恵を記した時に、自分自身の復興があり、読んだ方にも恵みがあることを発見しました。信仰生活をしながら、その様な出会いが出来るように努めていきたいと思います。
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