■皆で渡るとむしろ危ない

各自が「正しい事」をすると、皆がヒドイ目に遭う事があります。これを「合成の誤謬」と呼びます。昔、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というギャグがありましたが、合成の誤謬は「青信号、皆で渡るとむしろ危ない」といった感じでしょうか。

 

劇場火災の際、各自にとって正しい行動は、非常口に向かって走ることですが、皆が同じ事をすると、非常口で押し合いになり、全員がヒドイ目に遭いかねません。劇場の管理人としては、観客に整列を呼びかけたい所ですが、観客としては整列するより自分が早く非常口から出る事を優先したいでしょうから、事態は深刻です。「整列の順番をくじ引きで決めよう」などと言っている時間的余裕は無いでしょうから(笑)。

 

銀行が倒産するという噂が流れた時、預金者個々人にとって正しい行動は、銀行に駆けつけて預金を全額引き出す事でしょうが、多くの預金者が同じ事をすれば、銀行の金庫は空になり、本当に銀行は倒産してしまうかも知れません。銀行にとっても政府にとっても預金者にとっても、取り付け騒ぎは大惨事なのですが、「ではどうすれば良いのか」と問われると、難しい問題です。

 

銀行の取り付け騒ぎの場合には、預金保険制度や日銀の「最後の貸し手」機能などが用意されていますが、それでも個々の預金者に「預金を引き出すな」という事は難しいでしょうね。

 

株価が暴落するという噂が流れると、人々は株式の買い注文をキャンセルし、売り注文を出します。そうなると売買が成立せず、全員が大損をする事になります。銀行の取り付け騒ぎの場合には、最初に銀行に到着した顧客が預金の引き出しに成功するだけマシですが、株価暴落の場合は、誰も助からないかも知れないわけです。

 

一人一人の行動を見ているだけでは、全員が同じ事をした時に何が起きるのかを予想する事が出来ません。合成の誤謬を予想するには、想像力が必要なのです。劇場であれば、設計の際に非常口の数を一定以上にする規則を定める事などが可能かも知れませんが、それでも数々の劇場火災の被害を経験してきて蓄積されたノウハウが必要なのでしょう。

 

たとえば東京一極集中で大災害の時に何が起きるのか。東日本大震災の時の東京の帰宅困難者の隊列は、事前に想像出来た人は少なかったでしょうし、当日も数カ所で火災が発生していたら大混乱が生じていたかも知れません。そうした事を事前に予測し、対策するのは非常に難しい事なのです。

 

■人々が勤勉に働いて倹約すると、皆が貧しくなるかも

人々が金持ちになろうとして勤勉に働くと、多くの物が作られます。人々が金持ちになろうとして倹約に努めると、人々が物を買わないため、物が売れ残ります。すると倒産する企業が続出して皆が貧しくなるかも知れません。

 

金持ちになりたい個々人が勤勉に働き、倹約に努める事は「正しい」事ですから、政府としては、それを止めるべきではありませんが、その結果として倒産する企業が増えて人々が貧しくなってしまうのは、皮肉としか言いようがありません。

 

ここからは筆者の少数説なのですが、バブル崩壊後の日本経済の長期低迷の主因は、日本人が勤勉で倹約家な事だと考えています。高度成長期までは、日本人が勤勉に働いて多くのものを作り、倹約して少ししか使わなかったので、企業が工場を建設する資材を確保する事ができました。資金の面でも、人々が倹約して銀行に預金したので、銀行が企業に工場建設資金を貸し出す事が出来たのです。

 

しかし、バブルが崩壊して工場を建てる企業が減ると、資材が余ります。企業は余った資材を輸出しましたが、今度は輸出企業が持ち帰って来たドルを銀行に売ったためにドル安円高になり、輸出が増やせなくなってしまいました。企業は仕方なく、国内で値下げ競争を繰り広げ、その結果としてデフレになり、デフレが更なる不況を招く「デフレスパイラル」に陥り、これが長期低迷を招いた、というわけです。

 

■バブル崩壊後の銀行の不良債権処理先送りは正しかった(私見かつ暴論)

バブル崩壊後、銀行には「借金が返せそうもない」という連絡が多数来ました。銀行は、「借金が返せないなら、担保の工場を競売する」と言うべきだったのかも知れませんが、言いませんでした。「景気が回復すれば借金が返せるだろうから、今の連絡は聞かなかった事にする」と言ったのです。

 

当時の銀行の決算は、幅広い裁量が認められていたので、これが「違法な粉飾決算」だったのか否かは定かではありませんが、「常識的には推奨出来ない対処方法」だとして多くの批判を浴びました。しかし、当時の大蔵省は、銀行を止めませんでした。これは、大変幸いなことでした。

 

バブル後に、借金が返せない借り手は非常に多いかったので、これらをすべて清算して担保の土地を競売したら、買い手がつかずに銀行は資金を回収出来なかったでしょう。そうなれば、多くの銀行が倒産して日本経済は壊滅的な被害を被ったはずです。合成の誤謬が起きていたはずなのです。

 

個々の借り手の状況だけを考えれば、清算して担保を競売するのが正しかったのかも知れませんが、全部の借り手の状況を総合的に考えると、それは望ましい結果をもたらさなかった筈だ、というわけです。

 

この点に関して、筆者が強調しておきたい事は、合成の誤謬は想像力の乏しい人には予測出来ない、という事です。したがって、今でも「銀行は担保不動産を競売すべきだったのに競売しなかったのはケシカラン」と批判している人が多いのです。当時の銀行を批判している人々は、筆者に言わせれば想像力が不足しているのですね。

 

大蔵省が合成の誤謬を予測して銀行行動を黙認していたのか否かは、わかりません。単に銀行が赤字になって破綻すると経済に多大な悪影響が及ぶので、それを避けようとしただけかも知れません。いずれにしても、合成の誤謬が現実のものとならずに済んだ事を、筆者は非常に幸運であったと考えています。

 

■銀行が担保の競売を急がなかった理由(経済学ではなく、銀行行動の説明)

ここからは余談ですが、個々の銀行がなぜ、担保不動産の競売を急がなかったのか、記しておきましょう。

 

一つには、銀行の決算を赤字にしたくなかったからでしょう。100円貸してある先が「90円しか返せない」と言って来た時、「そうですか」と言えば、銀行は直ちに10円の損失を計上することになります。多くの借り手から申し出があれば、銀行の損失は巨額にのぼり、銀行が赤字になってしまうかも知れません。

 

しかも、担保の不動産を競売すると、工場の機械がスクラップ業者に買いたたかれたりして50円しか回収出来ないかも知れません。そうなると、銀行が赤字になる可能性は高まるでしょう。

 

銀行が赤字になる事は、恥ずかしいことです。経営者が責任をとって辞任しなければならない可能性もあるでしょう。そして何より、銀行の自己資本が減り、貸し渋りをしなければならないかも知れません。銀行には自己資本比率規制という規制があるので、銀行は自己資本の12.5倍までしか貸出をしてはいけないのです。したがって、自己資本が減ると、貸出を減らさなければならないのです。

 

銀行が貸出を絞ることは、銀行自らの収益チャンスを逃すことであると同時に、取引先に多大な迷惑をかける事になりますから、これは何としても避けたい、と銀行は考えたはずです。

 

こうして銀行が不良債権処理を先送りした事が、結果として日本経済への壊滅的打撃を回避させたのだとすれば、幸運であったとしか言いようがありません。

 

 

 

今回は、以上です。なお、本稿は厳密性よりもわかりやすさを優先していますので、細部が不正確な場合があります。事情ご賢察いただければ幸いです。


 

 

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