(6)公共投資は景気対策として有効か

ケインズは、景気が悪い時は穴を掘れ、と言いました。失業者に給料を払って穴を掘らせれば、給料をもらった元失業者が消費を増やすので、景気が良くなる、というのです。もちろん、穴を掘らせるよりは、必要な道路や橋を作らせるべきですが。

 

これに対しては、批判的な論者も多くいます。代表は、失業や不況を気にしない新古典派の人々です。失業は価格メカニズム(神の見えざる手)が解決するので、政府は手出しすべきではない、というわけです(第2項参照)。

 

今少し具体的な批判としては、公共投資は効果が一時的である一方で負の副作用が大きいと、といったものがあります。公共投資を永遠に続けるわけにはいかず、やめれば景気押し上げ効果も消えるので、カンフル剤の役割しか期待できない一方で、負の遺産として財政赤字が残る、というわけです。他にも、地域開発が公共投資頼みになってしまいかねない、といった指摘もあります。

 

教科書には、クラウディングアウトが載っています。公共投資のために政府が借金をすると、資金需要の増加から長期金利が上昇して民間投資が「押しのけられてしまう」というのです。昨今の日本では、長期金利の上昇は考えにくいですが、似たような悪影響としては、建設労働者の不足を深刻化させて、民間の建設事業を「押しのけてしまう」可能性はあるでしょう。

 

バブル崩壊前と後とを比べて、乗数効果が落ちている、という研究結果も発表されています。公共投資で失業者を雇っても、雇われた元失業者が将来不安(年金破綻や大増税)から消費をしないので、景気があまり良くならない、という事なら問題です。グローバル化の影響で元失業者が輸入品を買ってしまうのであれば、やはり問題です。

 

しかし、景気の予想屋である筆者は、景気が悪い時は、公共投資で雇われた元失業者が工事終了後の失業を恐れて消費を控えるから乗数効果が小さくなるのだ、と考えています。そうだとすれば、「景気が悪いから乗数効果が小さい。だから公共投資は無駄だ」というのではなく、「そういう時だからこそ公共投資を大量に行う必要があるのだ」と考えるべきでしょう。

 

ちなみに、カンフル剤だ、という批判については、筆者は「マッチだ」と考えています。マッチでは部屋は温まりませんが、マッチでストーブに点火できれば(景気の自律的な回復が始まれば)充分だ、というわけです。

 

 

(7)金融緩和政策は有効か

金融政策の基本は、日銀が市場と国債を売買して代金を市場に供給したり市場から吸い上げたりする事です。景気が過熱していてインフレが懸念される時には、金融の引き締めが行なわれます。これは効果抜群です。市場から資金を吸い上げて市場の金利を上げれば、借金で工場を建てる企業が減り、景気が悪化し、インフレが納まるからです。

 

しかし一方で、不況期に金融緩和で景気を回復させる効果については、諸説あります。懐疑派は、金融政策はヒモであるから、引く事は出来ても押すことは出来ない、というわけです。ケインズは「流動性の罠」という理論で説明していますが、景気予想屋の筆者としては、「景気が悪くて工場の稼働率が低い時には、低金利でも借金をして新工場を建てる会社は少ないはず」と理解しています。

 

一方、リフレ派と呼ばれる人々は、ゼロ金利時の金融緩和にも効果があるとしています。金融緩和で世の中に資金が出回れば、世の中の資金と物の量の比率が変わる。相対的に希少なものの価値は上がるから、物価が上がる。物価が上がれば、実質金利が下がるから、景気は回復する、というのです。実質金利とは、金利-予想物価上昇率の事です。これが低ければ借金をして設備投資や買い急ぎをする人が増えるだろう、というわけです。

 

リフレ派の主張どおり、ゼロ金利下で大胆な金融緩和を実施したのがアベノミクスです。しかし、リフレ派の予想と異なり、資金は世の中に出て行きませんでした。日銀が銀行から国債を購入したため、代金が日銀から銀行に移りましたが、銀行がその資金を貸出に使わずに日銀への預金に使ってしまったからです。

 

そもそも銀行が国債を持っていたのは、貸出先が乏しいからです。従って、受け取った資金が世の中に出回らずに日銀に戻って来たのは、元銀行員の筆者から見れば、自然な事だったのです。

 

金融緩和といえば、最近マイナス金利が導入されました。これについては、銀行の貸出金利を下げる効果はありますが、それが貸出を増やして景気を回復させる効果と、銀行の決算を悪化させて景気を悪化させる効果が見込まれ、現段階では評価は難しいようです。

 

(8)アベノミクスをどう評価するか

アベノミクスは、金融緩和、積極財政という需要増加策と、成長戦略という供給側強化策を両方盛り込んであるため、多くの論者にとって、一つは賛成できる点を含んでいます。したがって、当初は比較的幅広い支持を集めていました。最近になり、目標としていたインフレ率2%が達成されないなど、批判も増えてきていますが。

 

金融緩和は、世の中に資金を出回らせる事が出来なかったので、狙いは外れたわけですが、意外な効果がありました。「金融緩和によりドル高株高になるだろう」と考えた投資家がドルや株を買ったので、実際にドル高、株高になり、これが景気を回復させたのです。医学の世界では、患者に小麦粉を渡して「良い薬だ」と言うと、病気が治る場合があり、「偽薬効果」と呼ばれていますが、同様の事が金融緩和によって起こったわけです。しかし最近では、小麦粉である事が投資家に理解されてしまい、あまり効果をあげていない一方、日銀が巨額の国債を抱え込んでいるため、将来金利が上がった時に日銀が巨額の損失を被るのでは、という懸念(および批判)も高まりつつあります。

 

積極財政による公共投資は、当初は景気回復に効果がありましたが、途中から建設労働者不足となったため、追加された公共投資は余り効果を発揮していないようです

 

成長戦略は、供給側を強化するもので、短期的な景気を回復させる力はありませんが、重要です。小泉構造改革と発想は似ているのですが、少子高齢化で労働力不足が深刻化し始めたタイミングなので、大いに効果が期待される、というわけです。更に力強い対策が採られることを期待しています。

 

最近の経済成長率は決して高くありませんが、それでも労働力不足になっているので、「もう日本経済は成長出来ない」という悲観論も聞かれるようになっています。そうした時に重要なのは、供給側の強化です。たとえば保育園を整備して子育て中の女性が働けるようになれば、日本全体として生産力が高まりますから、経済が成長出来るわけです。需要不足の時に保育園を整備した場合よりも遥かに効果があるのです。

 

 

(9)経済学の常識は世間の非常識

経済学の話を初めて聞いた時、非常識だと思った読者も多いと思います。筆者も、そうでした

 

現実の経済は複雑なので、発展途上である経済学は全部を分析することが出来ません。そこで、仮定を置くわけですが、その仮定が非常識なのです。「経済活動をしている人間は、万能である。全ての事を知った上で、合理的に行動する」というわけです。経済学者だって世界中で一番安い魚屋を知らないでしょうし、衝動買いをするでしょうに(笑)。

 

もちろん、少しずつ修正はなされています。筆者が一番期待しているのは行動経済学という分野で、心理学とのコラボにより、人間は合理的に行動しないという研究をしているものです。こうした様々な努力が実を結べば、経済学の常識と世間の常識は次第に近づいていくでしょう。

 

アベノミクスによる大胆な金融緩和の根拠となった貨幣数量説(物価は貨幣すなわち資金の量で決まる)も、世間では非常識です。「貨幣の流通速度が一定であるとすれば、物価は貨幣の量で決まる」ことは誰でも理解できますが、問題は「貨幣の流通速度が一定である」という仮定を置く事の合理性です。経済全体の生産量や消費量に変化がなく、世の中に出回る貨幣の量が2倍になったとして、物価が2倍になるよりも貨幣の流通速度が半分になる可能性の方が高いように景気の予想屋である筆者は感じています。そもそも今回は、日銀が銀行に資金を提供しても、それが日銀に戻ってきてしまい、世の中の貨幣量が増えなかったので、貨幣数量説の当否を議論する必要も無かったわけですが(笑)。

 

このように、発展途上で使い物にならない(失礼)経済学ですが、若いうちに経済学を学ぶことは有益です。理論的に精緻な学問なので、理論的に物を考える訓練になるからです。もちろん、部分的には役に立つ知識も得られるでしょう。そして、経済学者の言っている事が理解できるようになります。納得しなくても良いですが、理解できることは重要です。

 

拙稿を御読みいただいた読者が、経済学に興味を持ち、学ぼうと思っていただけるなら、筆者として光栄です。

以上

 

P.S.

最後に宣伝です(笑)