■はじめに

私は、日本の財政は破綻しないと思っています。しかし、市場参加者が財政は破綻すると考えた場合、国債の相場が暴落することは充分に考えられます。その時、どのような事態に陥り、それがどのように収束するのか、頭の体操をしてみました。

 

5回の連載を予定しています。初回の「日銀の債務超過」に続き、今回は2回めです。

 

■少子高齢化による労働力不足で、日本経済は黄金時代

2020年代、日本経済は、黄金時代を迎えていた。高度成長期やバブル期のように経済が発展するわけではないが、バブル崩壊後の長期停滞期に日本経済を悩ませていた数々の問題が、少子高齢化による労働力不足によって、自然と解決していったのである。

 

長期停滞期の最大の問題は、失業であった。しかし、少子高齢化により現役世代の人口が減り、総人口に占める現役世代の比率が下がったことにより、労働力不足の時代となったため、失業問題は基本的に解決した。

 

子育て中の女性や、高齢者など、1日4時間しか働けないような人でも、労働力不足であるから仕事にありつく事が可能となった。まさに、働く意欲と能力がある人は誰でも活き活きと仕事が出来る世の中になったのである。

 

非正規労働者の待遇は、労働力需給の引き締まりにより格段に改善した。正社員になれずに非正規労働で生計を立てざるを得ない「ワーキング・プア」たちも、マトモな生活が送れ、結婚も出産も出来るようになったのである。

 

ブラック企業も淘汰された。以前は、ブラック企業の社員が退職しようとしても、失業が待っていたので、仕方なくブラック企業にしがみついていたが、労働力不足の時代になると、ブラック企業を辞めてもすぐに次の仕事が見つかるので、ブラック企業の社員が次々と退職していったからである。

 

日本経済の供給サイドも強化された。まず、失業対策が不要になり、労働生産性の低い公共事業が縮小した。各企業は省力化投資を進めた。それから、賃金が上昇したことにより、高い賃金を支払えない非効率な企業から高い賃金の払える効率的な企業へ労働力が移動した。まさに、小泉構造改革やアベノミクスの成長戦略が目指したものが、労働力不足によって自動的に実現したのである。

 

■コンパクトシティ化で財政負担が軽減

過疎地からの人の移動も進み始めた。数名の高齢者だけが住む離島があったとすると、離島の住人が対岸に引っ越すようになったのである。きっかけは、離島の住民を対岸に移住させようとした知事の登場であった。

 

知事の趣旨は、以下の様なものであった。「これまで、離島の方々を病院に運ぶために船を運航して来た。離島の道路や港湾の整備も行ってきた。水道も下水道も提供してきた。これらは、離島の方々のためでもあったが、失業対策でもあったため、税金を投入してきたのだ。」

 

「しかし、今や失業対策は不要なので、彼らに対岸への引っ越しをお願いする」「今後、離島への船の運行は行わない。一方で、引っ越してくれた方々には県から特別年金をお支払いする」「船の運行に携わってきた職員には、今後は介護の仕事をお願いする」。

 

知事に対しては、「生まれ育った島で暮らしたい高齢者には、そうさせてやるべき」といった反対論もあったが、都会人の支持は得られなかった。都会には、高度成長期に農村から移住して来た人々、その子であるが結婚と同時に親とは離れて住み始めた人々、転勤族、等々が多く暮らしていたからである。

 

そして、地方に於いてもある時から反対論は急に消え失せた。ある住民がインタビューに対し、「自分たちは離島に住む権利があるのだから、国民の税金で船を出したり港湾を整備したりするのは当然だ。財政が赤字だとか介護の労働者が足りないだとか、自分には関係ないことだ」と回答したからである。

 

回答の内容も問題であったが、その際の話し方がいかにも全国の納税者を敵に回すような表情と声色だったのである。これを機に、一気にインターネット上で「過疎地バッシング」が沸き起こり、全国的に「離島や山間部の住人には引っ越してもらおう」というムードが広がった。

 

これにより、全国的に「コンパクト・シティ」化が進み、行政も効率化し、労働力の有効利用と財政負担の軽減が大きく進展したのである。

 

■財政赤字は小幅に縮小

高齢化により、財政支出には増加の圧力が強まった。医療費や年金支給額が増加を続けたからである。しかし、一方で財政赤字が縮小する力も働いたため、財政赤字はむしろ小幅ながら縮小した。

 

まず、医療の進歩などもあり、高齢者が元気で過ごせるようになったため、「定年を70歳にして、年金支給開始も70歳にする」ようになった。企業としても労働力不足なので、社員が70歳まで働いてくれる事は喜ばしく、社員としても「元気な間は働きたい」と考えている人が多いので、総じてハッピーであり、年金財政としても当然に支払額が減ってハッピーであった。

 

医療費についても、延命のためだけに莫大な医療費を使うことに対する疑問から、延命治療が制限されるようになり、伸びが抑制された。従来は、患者が「延命治療を望まない」と申告した場合以外は、原則として延命治療を行なっていたが、患者または家族が「延命治療を望む」と申告しない限り、延命治療は行わない事になったのである。

 

更に影響が大きかったのは、失業が少ないので、増税が容易になった事である。現在の財政赤字が巨額に上っている背景としては、政治家が人気取りのために歳出削減や増税を避ける事に加え、「増税をすると景気が悪化して失業者が増える。失業対策が必要になり、結局財政赤字は縮小しない」という事情があるわけだが、労働力不足の時代になると、「増税して景気が悪化しても失業者が増えない」ので、「気楽に」増税が出来るようになるのである。

 

税法の改正も大きかった。「被相続人に配偶者も子供もいない場合には、遺産の半分を相続税とする」と定められたため、相続税収が著増したのである。日本人の高齢者は、平均すれば比較的多額の資産を持っている。100歳まで長生きをしても困らないように、備えをしているわけであるが、実際には100歳になる前に他界するため、その半分が税収になることの影響は大きいのである。これは素晴らしい改正であった。相続税は、痛税関が少なく、景気への下押し効果も小さいからである。

 

税務署が徴税を強化した事も、税収の増加に大きく寄与した。マイナンバーの普及等々により、人々の財産状況や収入などが正確に把握できるようになった事から、税の徴収漏れが激減したのである。

 

こうして、財政赤字はむしろ小幅ながら縮小した。毎年の赤字が累積していくため、政府の借金が増え続けていったことは当然であるが、毎年の赤字が縮小している事もあり、財政が破綻するといった懸念は、漠然と人々の頭の中にはあったものの、差し迫った問題として意識されることは無かった。

 

20年代の実体経済は黄金時代を謳歌していたが、財政を巡る諸状況は、さほど素晴らしいものではなかった。かと言って特に問題が顕在化するわけでもなく、小康状態だったのである。

 

 P.S.

最後に宣伝です。

本シリーズの結論部分(第5回)は、拙著『経済暴論』の229ページを原作としたものです。

ご笑覧いただければ幸いです(笑)。

 

 

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