13年前の上海出張報告が出て来ました。
「エコノミストが海外出張をするメリット」といった部分が色あせていないのは当然としても、それ以外の所もほとんど色あせていない事に驚いたので、そのまま掲載します。

現在いろいろと言われている事は、13年前にも言われていたのですね。読み直した時の新鮮な驚きでした。
御笑覧いただければ幸いです。

(エコノミストは何故出張するのか)
 今回の出張は、短い滞在でしたが、多くの方々に御話をうかがったり、街の様子を観察したり、工場団地を見せていただいたりしました。
 結論を要約すれば、「上海の経済は間違いなく発展しており、今後も発展は続くだろう。しかし、中国経済が順風満帆だとは言えない。貧富の差は拡大しており、公害や汚職は深刻で、マクロコントロールにより経済がソフトランディングするか否かわからないし、上海では住宅バブルなども心配だ」といったところでしょうか。特に驚くようなものではなく、比較的平凡な結論だったと思います。
 もっとも、結論が平凡で落胆しているというよりは、安心したというべきでしょう。3泊4日の出張などで、仮に世の中に出回っている中国像と全く違う姿を見て来たとしても、それは中国という巨象の尾に触れただけで筆者の方が誤解している可能性が高いからです。
 「それならば、何故出張するのか」といえば、第一に「百聞は一見にしかず」という効果が期待できるからです。第二に、中国に住んでいる方々の感覚で見た中国は、日本にいる自分のフィルターを通して見た姿と異なって見える場合があるので、新しい発見があり得ます。今回も、それなりの発見は数多くありました。第三に、これは半分冗談ですが、講演をするときに「最近中国に行ってきたのですが」と前置きをすると聴衆の目つきが真剣になるという効果も期待できます。
 しかし、筆者にとって、本当に重要なことは、自分の想像力の不足を補うことだと思っています。筆者は下手な将棋指しで、いつも勝手読みをしてしまうのですが、対戦相手の離席中に相手の席に座ってみたところ、相手の目線で対局が見えて、好手が放てたという経験があります。出張もこれと同じで、上海の方々と話をしているうちに、上海から見た日本、北京、台湾、内陸といったイメージが沸いてくるわけです。
 これにより、北京の指令が全国に行き渡る程度や、中国人の反日感情が日本製消費財の輸入に与える影響や、G7による人民元切り上げ要求の持つ影響、といったことがイメージできるようになるとすれば、きわめて大きな収穫だと言えるでしょう。
 今ひとつ、出張のメリットがあります。出張の前後に当該国について勉強するインセンティブになることです。出張前に「あまり恥ずかしい質問をしないように」ということで、勉強してから出発する人は多いと思います。それ自体が大きなメリットだと言えるでしょう。「情報の価値は受け手の能力による」ので、勉強しておけば、出張先で得られる成果も大きいでしょう。加えて、帰国後のメリットも捨てたものではありません。今回も、出張前の勉強が足りずに、せっかくの情報が充分吸収できなかった面も多かったと思います。この反省をもとに、次回までには自己研鑽に励みたいというインセンティブが沸いたことは、逆説的ですし、面談してくださった方々には申し訳ないことですが、メリットであったと言えるでしょう 。

(経済状況雑感)
 上海は間違いなく発展しています。政権の中枢にいた上海閥が地元のインフラ整備を積極的に推し進めたことなどもあり、投資を引き付けていることが発展の原動力となっているようです。この結果、上海地区の経済成長率は高く、所得水準も高くなっています。成長のモメンタムが働いているので、中期的にも高成長が続くと見られていて「上海の成長率を7%台(全国平均の中期的な成長率という意味)にまで落とすことは、相当の不況感をもたらすので難しいだろう。したがって、地域間の貧富の格差を縮めようという政策には限度がある」という発言も聞かれました。
 広東省が内陸部からの出稼ぎ労働者を大量に受け入れて「労働力の安さ」で発展してきたことと比べて、上海は出稼ぎ労働者を制限してきたようで、相対的には賃金水準が高く、高付加価値な産業が多いようです。外国からの投資に関する政策としても、労働集約的な産業については、歓迎するのではなく抑制的に対応しているということのようでした。
 広東省では労働力不足問題が言われていますが、上海ではあまり問題とされていないようです。そもそも労働力が絶対的に不足しているはずはなく、「広東省では、従来のような劣悪な条件で労働者を募集しても人が集まらなくなった」というだけで、「広東省でも労働条件を改善すれば人はいくらでも集まるはず」ということのようです。そもそも広東省の主要な労働力は「食べるために出稼ぎにきて劣悪な条件で働かされている人々」であって、彼らが今年は(農村部で飢えた人が少ないのか、上海地域の方が労働条件がよいことに気付いて広東省を敬遠したのか)出て来ていないということが問題とされているので、上海には関係ないということなのでしょう。
 ちなみに、日系企業を誘致している工業団地で出稼ぎ労働者用の宿舎を見せてもらったのですが、塀で囲まれていて入り口には警察官が常駐していて、中庭には草木が植えられているなど、(部屋の中は見せてもらえませんでしたが)、「女工哀史」のイメージとは随分かけはなれた施設であるとの印象を受けました。おそらく広東省の同種の設備よりも相当まともなのではないでしょうか。
 不動産バブルについては、さまざまな見方がされていますが、何人かにうかがった印象としては「質の高いオフィスビルは足りないので、バブル的に乱立しているというわけではない。住宅は若干高いかもしれず、特に高級住宅についてはバブル的な現象が見られる。もっとも、地方の成り金などが手がねで投機をしているというケースが多いので、バブルが崩壊したとしても影響は深刻ではないだろう」というところでしょうか。一般の住宅については、価格が二桁で上昇したとしても、名目GDPが二桁で伸びている(一人当たりの所得もおおむね同様と考えてよい)中にあっては、それほど気にすることはなく、仮に多少割高であったとしても、何年かすれば所得が伸びて住宅価格に追いつくということなのでしょうか。今の中国経済は日本のバブル期ではなく高度成長期に似ているということだとすれば、バブルの印象が強い日本人の視点で見ると、悲観的に見すぎるのかもしれません。
 今回の出張でもっとも頻繁に聞いた言葉は「貧富の格差が拡大していて問題だ」です。「沿岸部と内陸部の格差のみならず、上海の中でも貧富の格差が拡大している」ということですが、短期間の滞在では問題点は実感できませんでした。ホームレスもスラム街も目にはつきませんでしたし、街もきれいでした。香港の方が所得水準ははるかに高いのですが、街の感じは上海の方が清潔なように見えたほどです。
 金持ちが急速に豊かになり、庶民が徐々に豊かになるということが貧富の差として不満につながっているということはあるのかもしれませんが、「貧しい人が一層貧しくなる」ということではないように思います。
 不満は何時の世にもあるものです。高度成長期の日本でも、給料が二桁上がっている中で物価が数%上がったことをもって「物価上昇は深刻な問題だ」という人が多かったわけです。「政治的には問題だが、経済発展という観点からは特段の問題とは思われない」という意味では、上海の貧富の格差も、これと似たようなものかもしれません。
 公害はひどいようですが、高度成長期の日本にも公害はありました。政治体制が民主政治ではないと言われますが、日本の高度成長期も政治は三流だと言われていました。市場メカニズムが働かないと言われますが、日本の高度成長期にも働いていませんでした(そもそも発展途中の経済に市場メカニズムが最適なのか否かにも議論があります)。国有企業の問題が指摘されますが、日本にも国鉄などの問題がありました。労働者のレベルは高度成長期の日本と比べて見劣りするようですが、改善しつつあるようです。汚職の問題など、日本と比べてはるかに深刻な問題もあるようですが、全体としてみると、それほど悲観的に考える必要はないようにも思われます 。

(象の尾に触れる)
 短期の出張で中国を見てくることは、巨象の尾に触れてくるに等しい危険があります。そこで、見聞きしたことは慎重にフィルターにかける必要があります。
第一に、「上海は中国の中で圧倒的に豊かであるのみならず、景気もよいので、上海だけを見て中国経済を語るのは危険だ」と言うことです。これは多くの人に指摘されました。

ヒアリング先としては、主に日本人にお願いしました。言葉の問題もあるのですが、何よりも短期間の出張で幅広い情報を仕入れるためには、「日本人の聞きたいことを知った上で日本人の理解しやすいような話をしてくださる方、日本と中国を対比して話してくださる方」が有難かったからです。現地に住んでいる日本人の方々が日常の中国人との接触で感じておられることをうかがえば、自分で何人もの中国人の方々に御話をうかがったのと似たような成果が得られるということもあります。中国の方々から直接は伺いにくい本音の部分も住んでおられる方々は何となく察しておられるというメリットもあるでしょう。
 もっとも、これによって、日本人のバイアスがはいってしまうということは否めませんので注意が必要です。バイアスには二通りあって、「日本人の感性でモノを理解してしまい、中国人の行動パターンを誤解する」といったことのほか、「日本語の媒体に載っている情報が刷り込まれているので、日本語の媒体の誤りや不足部分については筆者と同じ誤りや不足をおかしている」といった可能性もあるわけです。

 バブルなどについても、気をつける必要があります。バブルが発生しているところでは、ユーフォリアが支配していて、それと気付かないことがあるからです。ITバブル期の米国経済については、米国にいる米国人がもっとも強気で、米国にいる日本人が次に強気で、日本にいる日本人が最も弱気でした。結果としてみれば、もっとも冷静だった「日本にいる日本人」が傍目八目で当たったわけですから、「出張しない方がよかった」ということになりかねなかったわけです。今次出張に際して、現在の中国経済がバブルであるという印象は受けませんでしたが、こうした印象自体がバイアスかもしれませんので、慎重に判断する必要があるでしょう。

サンプルにも気をつける必要があります。たとえば今回はデパートを見たのですが、その日時が中国人のデパートでの買い物という観点でどういう日なのかを把握しないと、とんでもない誤解をすることになります。外国人が東京に短期出張して、どんな誤解をするだろうかと考えてみればよいわけで、ボーナスサンデーの御歳暮商戦の時のデパートなど、見ない方がよいということもあるでしょう。今回は、上海在住の日本人の方に、そういうことはないはずだと確認しましたので「デパートは混み合っていて、活気がある」という印象はそれほど誤ってはいないと思いますが 。

(中国人の対日意識)
 今次出張では、別に靖国問題を論じるつもりもありませんでしたし、反日感情に腹を立てて反中国的な言動をしてきたわけでもありません。しかし、経済を考える上で、避けて通れない話題の一つであったことは確かです。そこで、この点については、いくつかの論点から議論してみました。
 第一は、「中国経済は外資系企業を受け入れることで発展している面が強いが、中国経済を外資に支配されてしまうという拒絶反応はないのか」ということです。中華思想の国で、経済ナショナリズム的な国民感情が盛り上がらないことに疑問を呈してみたわけです。これに対しては、自分が豊かになれるのならば、外資だろうと国内資本だろうと関係ないという意識が優先するということのようでした。
 第二は、一歩進んで反日感情が日系企業の営業や採用などに影響していないかを尋ねましたが、民衆のレベルでは「日本は嫌いだが、日本企業は給料が高いから勤め先としては望ましいし、日本製品は品質がよいので愛用している」という実利優先の人が多いようで、ビジネスの現場では、それほど深刻には捉えられていないようです(当然ですが、全く問題がないというわけではないので、念のため)。
 もっとも、政府にからんだ部分では影響が心配されるということで、政府の資材調達や許認可などに際しては、日本企業が不利な立場に立たされることは否定できないということでした。
 一例として、知人の紹介で食事につきあってくださった中国人との会話を御紹介します。日系企業に勤めている技術者の方で、日本語は大変流暢でした。現在勤めている日系企業を近々辞めて、日本にある日本の会社に転職するのだそうです。「現在の待遇には不満はないが、販売会社の技術者は故障の修理だけで発展性がないから」ということでした。「中国人は給料だけではなく、将来への夢を持って働いているので、総合的な待遇も考える必要」という話を日本人の方からも聞いていましたので、妙に納得しました。
 若干驚いたのは、初対面の筆者に食事の場で靖国神社について議論を投げかけてきたことです。「お互いに合意はできなくても、相手が何を考えているのかを理解するようにしていかないといけない」という結論で終わったわけですが、興味深かったのは、「政治と経済とは別であり、自分は日本企業に勤め、日本に行って働く予定である」というスタンスです。政治的に反日感情はあるが、それが日本製品の売上や日系企業の採用難などに結びつくものではないということのようです 。

(上海にて東京を思う)
 外国に来ると、日本にいた時には不思議に思わなかったことが急に不思議に思えることがあります。これも海外出張の成果の一つと言えるかもしれません。
 第一は、東京の「発展」です。5年ぶりの上海で、高層ビルが増えていたことは確かですが、その間の東京の変化を考えると、それ以前の東京では考えられなかった量の高層ビルが建っています。東京駅周辺のオフィスビルが一斉に高層化されたのみならず、品川にも六本木にも高層ビル郡が出現していますし、いたるところに高層マンションも林立しています。5年ぶりに東京を訪れた外国人が見れば「デフレだと言うが、東京の経済は上海に劣らず急速に発展している」と思うかもしれません。「どうして5年前まで東京に高層ビルが少なかったのか?何故急に増えたのか?」と聞かれたら、何と答えればよいのでしょう?
 第二は、上海の街が意外ときれいで、ゴミもあまり落ちていなかったことです。中国在住の日本人によると、「以前より街が清潔になった。衣食足りて礼節を知るということでしょうか」とのことでした。東京では(路上喫煙が禁止されている場所を除いて)吸殻が散らかっているわけで、礼節を知っているはずの日本人として、やや不思議な感じがしました。更に不思議なのは、単に吸殻のポイ捨てといった問題ではなく、はるかに根本的な問題として、「日本人は衣食が足りるにつれて礼節を忘れてきた」ように思われることです。筆者は教育や文化の専門家ではありませんのでよくわかりませんが、不思議というより困ったことだという思いを新たにした次第です。
 第三は、面談してくださった方が別れ際におっしゃった言葉に唖然としたことです。「私に面談を申し込む人の多くは、観光出張に来ていて、出張報告書を書くための参考資料が入手できればよいと考えている人です。したがって、あまり質問する人はいないのです。」ということは、日本経済にはまだまだ省くべきムダがあるということのようです。
 中国人がハングリー精神で真面目に勉強して真剣に働いていて衣食足りて礼節を知るようになっている一方で、日本人がハングリー精神を失って勉強にも仕事にもかつてほどの真剣さが見られないようになり、衣食足りて礼節を忘れつつあるということだとすると、日本経済が中国経済に追い抜かれても仕方ないかもしれません。せめて私が生きている間だけでも日本経済が元気でいてくれないと、ただでさえも少子高齢化で支給が危ぶまれている年金が、ますます期待できないものとなってしまいそうです。そうならないことを切に願う次第です 。

以上です。最後までお読みいただき、有難うございました。


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