とーっくの昔に締め切られたブログネタ。
せっかく書いたからかまわずドローップ!
ブログネタ:苦手だった給食
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エッセイふう『苦手だった給食』
小さい頃の私は超、偏食だった。
野菜キラーイ!おー肉キラーイ!牛乳キラーイ!くだものをサラダに混ぜるなー!ごはん多すぎー!魚も骨があるのイヤーー!
って感じだ。
で、もちろん給食も食べられない。
だけど、小学校2年のときの先生は給食を残すのを許してくれない人で、
給食の時間が終わっても、全部食べるまで許してくれなかった。
食器は返さなきゃならないからビニールの上に残したものを移して食べさせられた。
みんなが遊んでても、掃除してても、下校しても食べ続けた。
今じゃ、そんなことしたらニュースになってしまうけど、当時は当たり前だった(のかな?)
だから、一番きらいな教科は?と聞かれると、迷わず”給食”と答えた。
はっきり言ってトラウマになったと思う。あれはよくない。
毎日、そうやって放課後も残って食べさせられているのは私だけではなかった。
私の他にもう一人いたのだ。
やはり私のように体の小さな男の子だった。
いつも二人で黙々と、時には泣きながら食べていた。
その男の子とは何にも話はしなかったけどお互いに同士だと思ってたに違いない。
そんな日が1年半ほど過ぎ(3年になってもクラス替えはなかったのだ!)
私は転校することになった。
転校する私へのプレゼントとして1枚の色紙が渡された。
色紙にはみんなからの寄せ書きが綴られていて、ありきたりなことが書かれていた。
他の子が書いてくれたことは全く覚えてないが、同士の男の子が『給食がんばって食べようね』と書いてくれたことだけは今でもよく覚えている。
ありがとう、同士よ!
おわり
おわり
後日談
転校してもあいかわらず給食は食べれませんでしたが、5,6年の時に給食委員にさせれられます。
給食委員は、各クラスの給食当番の列が上手に並んで給食室に来るかのチェックをしなければならなかったので、
すべての給食当番が給食をクラスへと運ぶまで給食室にいて、
今度は給食当番がお皿、鍋等を給食室に返しに来る前に給食室にいなければなりません。
私は食べるのがただでさえ遅いのに、みんなより遅く食べ始めて、みんなより早く食べ終わらなければないんですよ。
で、この時、なぜか、ものすごい責任感を感じてモーレツに給食が早くなりました。
今では普通に食べれます。
お肉大好きー!野菜大好きー!おさかな大好きー!です!!
でもどうしてもお肉の内臓系(モツやらレバーやら)は無理です!!