にっし~の世の中思ったこと考えたこと(西形公一のブログ)

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にっし~(Nissy)が世界のこと、社会のこと、政治のことや選挙のこと、そのほか広く世相のことについて感じたことを、小ネタ中心に書いていきます

Amebaでブログを始めよう!

またお久しぶりになってしまったが、このブログを本日から再起動し、Facebookのタイムラインへの書き込みなどとは違う角度から、ふたたび社会や政治に対する自分の考えや見方を提示していこうと思う。

再度よろしくお願いいたします。

 

さて一昨日、東京都議会議員選挙(以下「都議選」とする)が行われた。

結果は次のとおり(カッコ内は前回比。なお前回都議選の後、補欠選挙や党派移籍があったため選挙前比ではない)。

 

自民党 33(+10)

都民ファーストの会 31(-24)

公明党 23(±0)

共産党 19(±0)

立憲民主党 15(初参戦、なお参考に選挙前は8)

日本維新の会 1(±0)

生活者ネットワーク 1(±0)

国民民主党 0(初参戦、選挙前もゼロ)

れいわ新選組 0(初参戦、選挙前もゼロ)

無所属 4(前回ゼロ)

 

数字だけみれば自民と立憲が大きく増やし、「都民ファーストの会」がその分を減らしたことになる。

 

しかし4年前の前回と今回の都議選では、大きく状況が違う。

前回は小池都政誕生のインパクトで「都民ファーストの会」に猛烈な追い風が吹き、さらに公明党との選挙協力もあって、追加公認も含め55名の当選者を出した。いわば「風頼み」の大量当選であった。

いっぽう今回は「都民ファーストの会」に追い風はない。公明党の支援もない。肝心の小池知事は都議選告示直前に入院。惨敗の可能性がいわれたなかの戦いだった。正直、ひとケタしか取れず「都議選後に小池知事が自民党に行くから、そこで自民に半分、立憲に半分と割れて四散、空中分解だろう」という見方さえあったが、開票すると第1党もうかがえる議席を得、また7つの1人区のうち3つを獲得。「風」もない今回だったが、実質は大善戦で「後退戦」を上手く成功させたとみるべきだ。

逆に自民党は50議席台も…といわれ、公式にも「自民党と公明党で過半数(64議席、うち公明党は23議席だったので、41議席程度ということになる)が勝敗ライン」と表明していたところを、はるかに割り込む33議席(公明党との合計でも56議席)。これは公明党との選挙協力がなければ、20議席台も充分あり得た…ということ。つまり自民党は目標に遠く及ばず、議席を伸ばしたといっても本来の党勢回復にまでは至らず、実質大敗と考えたほうがよい。

なお立憲民主党と共産党の躍進を報じたメディアもあったが、よく見れば前者は第5党、後者も第4党に留まる。

これらの勢力の消長を踏まえて、他の各党派も含め、次のように整理してみた。

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1、小池知事を押し出した「都民ファーストの会」が僅差での第2党と後退しつつ勢力を守り抜き、地味ながら勝利した。公明党の支援なしでも単独政党として今後も継続できるかの真価を試されたが、東京都民は「都民ファーストの会」と小池都政に評価を認めた。ただし白紙委任ではないし、また勝ったゆえの責任も生じ、小池知事も軽々に自民党に戻れない足かせを付けられた。


2、自民党は第1党はギリギリ回復させたが、予想外の敗北を喫した。しかも公明党の協力があった上での結果なので、仮に前回のように公明党と決別したままなら更なる大惨敗だった。都議選を国政選挙、特に秋の衆議院総選挙の前哨戦と考えると、今後は国政での『菅おろし』に発展する可能性も残る。


3、立憲民主党は勝ったとしているが共産党との協力の結果で、中身を欠く。しかも獲得議席は第5党で協力相手の共産にも届いていないうえ、東京東部(主に下町)方面ではまるで取れず限界をみせた。


4、公明党は議席および第3党の位置は死守したが、順位や得票はギリギリまで下がっている。今後は予測が難しい。


5、共産党の第4党という成果は選挙協力の結果が大きく、にもかかわらず前回並みに終わった今回の獲得議席が上限といえる。ただし今後はこの成果を大きく訴えて、立憲民主党や他の野党に影響を及ぼそうとするだろう。


6、日本維新の会は大田区で当選者を出したが東京での事実上の発祥の北区で落としたあたり、まだ安定しておらず、いまだ「大阪の党」から脱していない。系列の「あたらしい党」も広がりを欠いた。


7、生協母体の生活者ネットワークは90年代にあった新味をすでに失い後退局面。他党と今後、どういう協力関係を築けるか。


8、国民民主党は単独では都議会に足がかりをつかめず、今後は党の存在感を他党とのどのような協力でどうアピールできるか。


9、れいわ新選組は生活優先政策で、それなりに善戦したが浸透が足りず、山本太郎個人看板の限界もみせた。


10、無所属の当選者が4人出たが、中身は都民ファースト離脱者2名(江戸川、品川)、都民ファーストと旧民主系の連携候補1名(府中)、左派政党が共同して推す候補1名(小金井)と、まったくの新勢力として登場した当選者はいない。


11、嵐の党(旧N国)以下の諸派、独立無所属は問題外。国政選挙や都道府県レベルの選挙では政党との関係が必要不可欠だと、改めて証明された。
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そのほか、次のような現象もみられた。

 

●悪天候下で投票日を迎えたとはいえ、そもそも投票率が42.39%と非常に低かった(過去2番目の低投票率)。

●共同通信の出口調査によると、特定の支持政党をもたない、いわゆる「無党派層」の投票先は「都民ファーストの会」24.9%、共産党17.6%、立憲民主党15.3%、自民党14.5%、公明党6.2%の順となった。ここからまず「都民ファーストの会」、次いで共産・立憲の2党が無党派層の一定の受け皿となったことがうかがえる。

●ここ3回、都議選では1勢力が圧勝し、しかもそれが入れ替わる傾向が続いていたが、今回は勢力が分散する結果となった。自民党と「都民ファーストの会」の当選者合計でもギリギリ過半数となるが、両党のみでの連携は考えにくく、3党・会派以上の連携による都議会運営がほぼ必須となった。これは有権者が「二大政党制」でなく「穏健な多党制」(ジョバンニ・サルトーリが提唱した概念)を志向したとも考えられる。

 

いかがだろうか。少しでも皆さんの参考になれば、幸いである。

実に5年ぶりのブログへの書き込みです。

 

3月12日スタートさせた緊急共同声明です。きょう以降は賛同人を求めていきます。

ちなみに再度、書きますが日本での所属・支持政党は問いません。むろんアメリカで共和党・民主党のいずれを支持するかも問いません。日本と世界のためになる選挙をアメリカで行ってほしいという、切なる願いです。

 

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正々堂々のアメリカ大統領選挙を望む日本人の緊急共同声明

 

昨日、戦後未曾有の大災害となった東日本大震災の発生から、日本は9年目の節目の日を迎えた。その際のアメリカからの友好的にして力強い支援は、日本人として忘れ得ないものである。

そして大震災での支援に限らず、日本国と日本人にとって、アメリカ合衆国との関係は、政治面でも、経済面でも、いや文化や社会の面でも、死活的に重要であることは、言うまでもない事実である。

 

本年、2020年は東京オリンピック・パラリンピックの年であるが、同時にその後を追うように、アメリカの大統領選挙が実施される年でもあり、我々は、次のような観点から、正々堂々の議論がなされるアメリカ大統領選挙を望み、この声明を出すこととした。

 

まず、アメリカの大統領選挙はアメリカ一国の問題のみならず、日米関係はもちろん、世界の平和と安全保障にとっても大きな分岐点となること。

アメリカの内政に関する動向は、世界各国の内政にも大きく影響すること。

アメリカのデモクラシーは、全世界の民主主義と人権・自由にとって、計り知れない影響があること。

 

具体的には、アメリカ大統領選挙において、共和党は現職であるトランプ大統領のノミネートが確実であるが、民主党は本日の時点で、バイデン前副大統領と、サンダース上院議員の、二者によるノミネート争いに絞られている。

 

ここで敢えて、我々は民主党の大統領選挙候補者にサンダース上院議員を推し、共和党トランプ大統領と民主党サンダース氏による、真っ正面からの大統領選挙を、実現していただきたい。

実業家出身のトランプ大統領と、草の根デモクラシーを背景とするサンダース氏は、両者ともアメリカン・ドリームの体現者であり、

またアメリカでの格差社会化の深刻さに対し、真っ正面からアメリカの伝統に基づく自助努力による事態の打開を推進するトランプ大統領と、アメリカ人を信頼し国民皆保険の実現や学生ローンの棒引き、公立大学の拡充などの公助による事態の打開を希求するサンダース氏は政策的に正反対にしてがっぷり四つの深い政策討論を望むことができ、

同時に両者とも、他国の内政における人権侵害に厳しい姿勢を有するなど、社会正義の精神を共有し、

最後に両者とも、アメリカ社会の躍動性を象徴しているからである。

 

なお我々がバイデン前副大統領を支持しない理由は、バイデン氏がリベラル層を支持基盤とする民主党に属しながらニューヨークのウォール街から好意的に見られるなど、前回の大統領選挙においてヒラリー・クリントン元国務長官を擁立した際に明らかとなった、民主党の矛盾と欠陥に対し、態度を鮮明にしていないからである。特にオバマ政権の副大統領として貧困層の多い黒人の支持を手厚く受けながら、国民皆保険制度の導入に慎重であることは、この政策を支持するか否かにかかわらず、バイデン氏のダブルスタンダード性を象徴的に示していると、我々は考える。我々が求めるのは停滞の政治ではなく、前進の政治であり、そのためにはシンプルかつ明瞭にして、深い民主政治に基づく政策討論を望むからである。

 

加えてアメリカ大統領選挙における州ごとの選挙人システムについても、簡明に意見を述べる。

前回大統領選挙において、トランプ現大統領よりも、ヒラリー・クリントン元国務長官のほうが総得票数において上回っていた。にもかかわらず、トランプ大統領が当選したのは、各州において1票でも多い陣営がその州に割り当てられた選挙人を総取りする、いわば勝者総取りの、現在の選挙人システムの故である。このシステムはアメリカ合衆国憲法に定められており、その改憲は容易ではない。しかしながら、州単位でも選挙人選出システムを改善することができ、これには改憲を必要としない。実際にメーン州など、勝者総取りではない州もいくつか存在する。

我々はアメリカ新大統領、連邦議会および各州、そしてアメリカの有権者に、小さな州に過大に有利であり、特にカリフォルニア、ニューヨークといった大州において死票が膨大にのぼり、有権者の1票を大統領の選出に結び付けることから遠ざける、kこの勝者総取りに基づく選挙人システムの改善を求めることも、併せて要望したい。

 

最後に我々は日本人として、また民主主義を守りたい世界の一員として、今回、この声明を公表する次第である。アメリカ大統領選挙に関心を有し、またアメリカ政治の動向を日本国の外交・安全保障のみならず、内政や福祉・教育の面においてもフィードバックさせること、ならびに民主政治および自由社会が前提とする多様な多元性の堅持に関心を有する、多くの日本人の賛同を望む。

 

令和2年(2020年)3月12日

 

呼びかけ人

西形公一(元民社ゆーす事務局長、池袋ロマンス通り商店会副会長、東京)

奥村克行(現代哲学を広める会、精神科医、東京)

川端幸夫(集広舎代表取締役、福岡)

藤原興(名も無き市民の会事務局長、東京)

 

賛同人(現在も 募集中です)

太賀麻郎(手コキ研究会名誉顧問、東京)

今賀はる(セックスワーカー、AV女優、東京)

アーリー有山(米農家、埼玉)

村上善道(店舗経営プロデュース、東京)

輝野洪瑞(大学院生、反緊縮行動、兵庫)

早阿紗(アフィリエイテッド・ファイナンシャル・プランナー、東京)

 

#補足

この声明は「日本人」による声明ですが、日本国籍保持者に限らず、日本に在住し日本と世界平和を愛する在留外国人の参加も歓迎します。また参加いただく際は、本名には限らずペンネームでの参加も歓迎しますが、ネット空間のみでお使いになっている匿名もしくはハンドルネームでの賛同はご遠慮いただき、あくまで実社会で使用しているお名前、ならびに肩書きでの参加を、お願いします。

いやはや、このブログもなかば放置して、約2年が経過してしまった。
その間にいろいろとあったのだが…。

いま少し大きな仕事をしていて、それが終了したらこちらも再開の予定なので、お待ちあれ。

このブログの関係では、16日に『GIGAZINE』で、このブログの「全国一区の比例代表制の意外な盲点」が取り上げられたのが大きかった。アクセス数は当然ながら急上昇。みなさん学んでいただけただろうか。

ではクリスマスも過ぎて今年最初で最後の書き込みで、皆さん、よいお歳を。

西形公一
かつては政治思想に関係する用語として、

「イデオロギー」という語が、よく使われた。

ところが現在の日本では、

この語が肯定的な意味で使われることは

正直なところ、激減してしまった。

今日はこのことを考えてみたい。

 

「イデオロギー」という用語は、もともと論争的で、

マルクス主義的な左翼陣営では肯定的に使われ、

いっぽう保守思想界では対抗する形で、

拒否的に使われる傾向が、日本では強かった。

そして冷戦終結後、マルクス主義に対して

それまでのドグマ(宗教における教義)的な

解釈や実際の政治的主張からの離反が急速に進み、

そのために「独断・偏見・排他的な説や意見」、

あるいは「教条主義」を指すような、

保守思想界からの見方が急速に強まった。

 

こうした経緯に疑問を感じる向きがあることは、

筆者自身、たとえば「民主社会主義/社会民主主義」、

あるいは「コミュニタリアニズム」(共同体主義)など、

政治思想や政治哲学に関わってきただけに、よくわかる。

 

だが、ここに「イデオロギー」という語が、

外来語であることの性格が、強く表れているようにも思う。

 

日本語は「やまとことば」「漢語」「欧米系外来語」という、

三層の構造を、その単語に持っている。

ちなみに外国語ではこういった三層の単語の構造を

有している言語は、そう多くない。

欧米語ではラテン語の成句などがよく使われるが、

二層構造であることが多い(欧米の高校にあたる学校では、

日本で古文・漢文に相当するのがラテン語という話を、

科目としての同語への苦手意識とともに、よく聞く)。

筆者が経験した範囲では、北インドなどは

「サンスクリット系ヒンディー語」

(例えばインドのことは「バーラト」という)

「イスラム系(アラビア語またはペルシャ語)ウルドゥー語」

(同じくインドは「ヒンドゥスタン」)

「欧米系英語」

(よく知られるようにインドは「インディア」)

…の、三層構造であったが、

それ故に同じような意味の語彙でも多彩な表現が可能で、

これがインドの哲学や文学を支えていた面があった。

しかし、そういう言語は世界でも例外的、という一例である

(上の例も印パ分離独立以降、偏りが生じたという)。

なかにはマレー語、インドネシア語のように「高級語彙」を、

ほとんど外来語から借用している言語も存在する。

(マレー語やインドネシア語はそれだけに学習が容易である。

特にインドネシア語は「学習が容易なように」マレー語をもとに

戦後に作られた、人工言語である)

 

そもそも「イデオロギー」という語は、

日本の欧米系外来語の主流を占めている、

英語に由来する単語ではなく、ドイツ語に由来する。

日本語でドイツ語に由来する単語は、

医学用語以外では哲学用語が多い。

つまり「日本語において」「イデオロギー」とは、

最初から哲学体系としてのマルクス主義と、

切っても切り離せない単語になってしまったのである。

特にマルクス・エンゲルスの主著のひとつに

『ドイツ・イデオロギー』があることは示唆的であり、

実際に「イデオロギー」を支配階級の道具と位置づけ、

「階級闘争」と「イデオロギー」の語を結んだのは、

何を隠そうマルクスその人である。

 

確かに英語において "ideology"(アイデオロジー)は、

哲学的もしくは政治的な理念もしくは主義主張、

くらいの意味あいで、そう特殊な用語ではない。

ドイツ語における "Ideologie"(イデオロギー)も同様である。

だが「日本語における外来語としての」「イデオロギー」は、

それとは違うニュアンスを含む単語に進化してしまった。

さらに冷戦後、マルクス主義の相対化が進むと、

ほとんど「ドグマ」「教条」と変わらないようになった、

これが21世紀初頭の日本での実情であろう。

 

ちなみに、いまも共産主義を維持している(ことになっている)

中国では、"Ideologie" の現代中国語訳は、

「意識形態」あるいは「世界観」だそうである

(なお音訳の「意締牢結」もあるとのこと)。

 

また哲学においても、すでに冷戦終結以前から、

科学主義と目的合理性からハーバーマスの提起した議論や、

フーコーはじめ構造主義の「ディスクール」論があった。

これらは日本語でなされた議論ではもちろんないが、

もともとの原語においてさえも、

この単語が何重にも検証されていることは、重要であろう。

特に(一般的な語ではないが)「ディスクール」(フランス語で

「言説」「論述」などの意味)という語において、

「排他性」が浮き彫りにされたように思う。

 

結論をいうと、筆者は日本語において「イデオロギー」は、

いまや使うたびに懇切丁寧な説明が必要になるような、

慎重な扱いが必要な語になっていると思う。

そうした語は哲学の世界ではなお有効だが、

実際の政治の現場においては、マルクス主義との関連や

「排他性」などの「偏見」を内包すること(保守思想界が

「偏向」という表現を多用することは偶然ではない)などを考え、

単語の選択に要注意と意識的な扱いが要るのではないか。

さらにいえば単語に三層構造を有する日本語のこと、

この文章でも「(政治)理念」「主義主張」あるいは

「意識形態」「世界観」などと漢語で表現したのだから、

(やまとことば、ならば「まつりごとのことわり」(政事の理)とか、

「よのなかのみかた」(世の中の観方)とかになるのだろうか)

原則としては、そうした言い換えで対応できるのならば、

マルクス主義者以外は、それを選ぶべきではないのか。

さもなくば「イデオロギー」という語を使うことで、最初から

「マルクス主義」「排他的」「教条的」という先入観(それ自体が

ひとつの「イデオロギー」なのだが)を持たれてしまっては、

時間と手間暇がかかるし、最初から意識的に

そうした主張をするつもりがないのならば、単に損だと思う。

 

いずれにしても、そうした先入観を持たれるに至った

「イデオロギー」というドイツ語由来の外来語は、

日本において不幸な単語になってしまったものだと感じる。

外来語が元の意味から外れることはよくあるとはいえ、

ここまで残念な例は、そう多くないのでは、と思うのだ。

衆議院総選挙の最中ではあるが、

参議院の話題をすることをお許しいただきたい。



かつて参議院選挙の比例区には「ミニ政党」が大量に立候補した。

まじめな主張を掲げたものも多かったが、なかには

「UFO」「霊」「酢を愛す」「エイズ撲滅」(エイズはともかく

「撲滅」は穏当でない)など、常識的とは言えない主張をしている

政党も多かった。

また、こうした政党のほとんどが活動を参議院選挙のみに絞り、

衆議院総選挙や地方選挙にはほとんど候補者を擁立しなかったのも

特徴であった。



しかし95年参院選を最後に、こうしたミニ政党は急に少なくなり、

活動は影を潜めてしまう。そして98年には二院クラブが当選者を

出せなかったため、ついにミニ政党は参議院から姿を消してしまう。

なぜだろうか。



それは95年から導入された、参院選に立候補した政党が新聞に出せる

公費広告への、1%条項導入のためである。

つまり95年から、総得票の1%を獲得できなかった政党は新聞に出した

広告費用(億単位の巨額である)の自己負担を迫られたのである。

当時、参議院比例区の定数は50で、計算上は2%近く

(だいたい100万票だった)を獲得すれば当選者を出せたが、

ほかに当選者を出せないにしても、

その半分の1%(約50万票になる)というのはなかなか高いハードルで、

まじめな主張をしていると見られたミニ政党でも

越えられない党が多かった。そうしたミニ政党は巨額の負債を抱え、

以後は参院選に立候補できなくなった。



だが、それだけが理由ではない。

実はミニ政党の多くは、広告代理店が政治活動家に供託金を提供し、

その代わり参院選比例区の公費広告を請け負うことで、

資金を回収していたのである。つまり奇矯ともいえる主張を展開した

ミニ政党の多くは当選を度外視した、

単なる広告代理店を「代理」する党だった、ということなのだ。

そして広告代理店は1%条項導入で投じた資金(ほぼすべて供託金。

全候補者を比例区に立てれば当時は4千万円)が

回収できる見通しがなくなれば、

商売としての「うまみ」がまったくなくなり、

ゆえに「支援」を打ち切って、さっさと撤退してしまったのである。



実際、こうした政党は選挙広告と政見放送以外の選挙運動を

一切しない政党が多かった。

また供託金節約のため一部候補者を都道府県選挙区に立てたミニ政党は、

公営掲示板にほとんどポスターを貼らなかった(その結果、大都市部では

ガラ空きの巨大な公営掲示板がよく見られた)。公費広告さえ取れれば、

選挙運動など資金の無駄というわけである。



そのような税金の詐欺的な垂れ流しを防ぐためにできた1%条項だが、

今度はまじめなミニ政党から機会を奪っている。

筆者はこれを改善するため、1%から少なくとも

半分の0.5%(約25万票)か、

できれば0.25%(約13万票)程度に引き下げることを提唱したい。

参議院比例区においても、まじめに選挙運動を展開した政党は、

それに近い得票をしている。このくらいが適切ではないかと思うのである。



また選挙時に限られる公費広告だけでなく、政党への公費助成もこれに合わせ、

基準を引き下げること、地域政党にも配慮して一定数の都道府県議員を

擁していれば要件を満たせることも併せて提唱したい。

ただし総額(現行300億円以上)は削減すべきだろう。

半額の150億円程度にしてもよいかもしれない。また機会均等のため、

政党助成金の10分の1(約15億円ということになる)は

要件を満たした政党間で均等に配分することにしてもいいだろう

(残り10分の9は現行どおり政党の勢力比とする)。

さらに政党にシンクタンクの設置を義務づけ、助成金の一部は

シンクタンクの維持費用とすること、一定の額は週刊以上の党機関紙(新聞)、

月刊以上の党機関誌(雑誌)に使うこと(ネット化、電子化には逆行するが)、

その他広報メディアに使うこと、なども規定してよいと思う。



いずれにしても政党に何らかの公費補助をする以上は、

その活動内容や使途についても政党の活動を実質化させ支援する方向で、

金銭面に限り何らかの制約を設けてもよいと思う。

政党の活動が社会において見えやすくなることは、

人と人のつながりに基づく民主主義を深化させることに

つながると思うからである。