人生は思いがけない。


どんな明日が来るのか、全然わからない。


音楽で食っていきたかった二年くらい前は、何にも訪れなかったチャンス。


毎日音楽にかまっていられない今日この頃なのに、何かと音楽をやる機会が訪れる。


人生は意地悪だ。


欲しいものを垂涎しながら眺めているときは、目の前にぶらぶらニンジンを下げるように、絶対に手に入れることなんてできなかったのに、

時間がなくってかまってられない今になって、じゃチャンスをあげましょうかねって、望んでなくても目の前に欲しかったものが訪れてくる。


人生は意地悪だ。




忙しいとまだまだ己を保っていられなくなる私は、未熟としか言いようがない。


すごいやつになりたい。


でも、すごいやつとはどんな奴だろう。


カリスマ性があるとか、神がかり的な力を持っているということだろうか?


それがすごいやつなのだとしたら、私は一生そんな奴にはなれないだろう。


最近身を以てわかったことがある。


私は何物でもない。

すごくなんてない。

劣っているところ、至らないところなんて数えきれないほどあって、

人に少し誇れるところだって、自分の力で手に入れたんじゃなくて、

少し人よりラッキーだったり、それに携わる時間が長かったから人より少し慣れてるだけだったり。


自分がすごいんじゃない。


私はただの一個人だ。


私は特別になりたかった。


いつも特別な何かに飢えてた。


特別大事にしてほしかった。


ついでじゃなくて、一等大事な存在として受け入れられたかった。


この餓えた感情は、満たされない愛情に起因するのだろうか。


一等大事が欲しい。

唯一無二が欲しい。

こんな私をそういってくれる人がいたならば、私はすべてを捧げ、その人の幸せを願い、

初めて愛し、慈しみ、大切にし。

生まれたことに感謝するだろう。


私は、未だ一人だ。


この先、どんに一人でも、その感情を与えてくれる人に出会えたら、

もう何もいらないのに。


私は一人待ち焦がれている。


手相について本で知識を得て、自分の未来をのぞいてみる。


全然普通?


強運では全然ないし、特別な兆しなんてない。


私は努力しなきゃ何も手に入れれないのだ。


努力しなくては。


怠惰は勘違いはそろそろ辞めなくては。


現実を見なくては。


変化 進化 歯車は回る・・・・



お久、ブログです。


ご無沙汰いたしました。


人生いろいろ。


この何か月で今までに経験しなかったいろんな出来事がございました。

自分の至らなさを知ったり、別れを知ったり・・・・。


なんだかいろんなことがありすぎて、ここで全部を吐き出すことなんてできないけれど・・・、

まあ、一つ私も大人の階段のぼっちまったって感じでしょうか?


一つ勉強になって良かったです。


そして横道にそれたことで、益々、音楽がしたくなってきました!!


ということで、前々から構想を練っていた福岡で音楽ライブやっちまおうぜ、もちろん投げ銭★を企画していこうと思っております。


やはり人生何事も経験。


経験を積まないと何事も身につかないのではないかと私は思います。


どんなにかっこ悪いことも、何度も恥をかいて、そして一人前の何かになっていくのだと思います。


最近偶然見ていた音楽番組でフランスで活躍しているインディ・ザーラという歌手が紹介されていて、なんとなく、ほけっとみていたのですが、あまりのすごさに今ものすごくリスペクトしております。


私は彼女みたいな自分の音楽が見つけていけたらと思うし、貪欲に彼女のようなオーラが欲しい。


己の音楽ができるなら、悪魔との取引もやぶさかではないとメフィストのように考えてしまうのです。


貪欲に己に忠実に、音楽がしたい。

己の歌が歌いたい。すごい歌を歌いたい。

音楽の持つすごさを表現できるプレイヤーになりたいのです。


心からそう思うのです。


これからガツガツ音楽攻めていきたいと思います。


こうご期待&みんな音楽一緒にやりませう☆



恋は盲目・・・。




今年はみずがめ座の恋愛運が良いという、東京の大好きな姉さんから年明け早々、手紙が来た。


私は、半信半疑で、そうだったら良いね~っと手紙を読んだ。


すると、あら不思議。


今年は良くもてる。


今までにない感じが、何故か起こる。


人生、やはり思いがけないものなのだと、実感してしまった。



そして、今、いっぱしに恋愛について考えてみたりする。


付き合うってどういうことかしら?


と改めて考えてみる。



何も変わらないようで、でも、大きく変わる何か。


変化は嬉しい気持ちと、恐ろしい気持ちとの半々だ。



そして、恋をすると詩人になる。


恥ずかしい言葉を、臆面も無く、相手に伝えたい気持ちになる。


ふっと我に返ると、赤面モノだけれど・・・。


でも、考えてみて、納得した。


私って、子どもの頃は詩人だったわと。


臆面も無く、恥ずかしい詩を作って。


よせば良いのにクラスの中で発表してしまい。


それを同級生に「鈴木さんの詩が良いと思いま~す」


なんて選ばれてしまい、


恥ずかし詩をみなの前で声を出して読まされた。



詩は白い紙面の上だと一つの芸術としてそこにあるけれど。


声に出してしまう、ましてや作った本人がそれを読んでしまったのなら、


赤裸々な告白をみなの目の前でパンツ一丁さらしながら読み上げるのと、同じくらいの威力がある。



私は今でも、「鈴木さんの詩がいいと思いま~す」なんていった、あやつを忘れはしない。



それはさておき、悔しいことに今、私は「ある人」のことが、とても好きなのです。


凄く好き。


それが凄く悔しい。


はあ、なんで恋とかあるのかしら?


私は、どうなっていくんだろう?


そんなことを熱に浮かれたように気がつくと考えている自分が重症すぎて、また恥ずかしくなってくる。


恋とは情けなくなることなのかもしれない。。。


最近の私は勘違い野郎な気がする。


何をわかったつもりになっているのさ。


何もわかってないくせに。


世界の皆さん、すいません。


謙虚な気持ちで、心を入れ替え、勘違いしちゃっているところを抹殺して、聖人君子のように素直な気持ちで、日々を全うしたい。


でも、でも、でも!!!


勘違いしちゃうよね。色々ね。


後から、いきがってる自分が恥ずかしくなるよね。


ああ、穴があったら入りたい。



最近、自分が自分でわからない。

嫌、わかるときなんて実際こないんじゃないのかな?


自分が女であることも忘れてしまう。


性別なんて無かったら、良かったのに。


でも、そしたら音楽なんて生まれなかったかも。


でも、自分に先見的に見えてしまう未来におびえてしまうことも、女でなければ少なかったのではないか。


女とは何ぞや?たおやかで、しなやかで、美しく、時にあつかましく、ふてぶてしい。


男とは何ぞや?


・・・。


それは、やはり男ではないから、はっきりとはわからない。


男とはわからないものだ。


う~~~ん。


どうしちゃったんだろう、私。


何だか、ここ最近、?の飛び交う毎日です。


今の自分の状況が把握できない。


私、どうしちゃったんだろう。


とりあえず、胸の辺りがムズムズします。


花粉の季節かしら?  ・・・。   なんて。



ああ~~~~!!!(絶叫)


年が明けてしまいました。

仕事も始まってしまったなりよ・・・


何か、かんか、遊びまわっていたから、体力があまり戻らなかったな~


さて、2012年。

始まりました!


今年はどんな一年になるのでしょう?


エリリン、ゆっこちゃんと行った天満宮で引いたおみくじは小吉。


嫌、別に小吉でも、私は気にしないぜ~

なんてすましていたら、とんでもなかった。


書いてあること悪!!

もう、余裕なんて消し飛んで、思わず悪霊退散!!と叫びたかった


絶対あれは凶に近いんだ(涙)


それぐらい書いてある内容が落ち込みたくなる感じでした↓


でも、幸先いいことに、長年会いたいなと思っていた人とも正月に会えたし、

そこでの気付きはこれからの私にはきっと大きな気付きor解放になるのではないかな~

なんて思う。


あまりに、でかいショックでもあったから、若干、まだ消化不慮ではあるが、整理の付かない部分は、追々、折り合いをつけていかなきゃね。


でも、一気に私の中の変な人モードのスイッチが入ってしまっていて、

仕事が現在いかに金を稼ぐかを真剣に考えなくてはならない仕事内容なため、

この現実モードとの兼ね合いが難しい。


精神分裂病の人とかの感覚ってこれがもっと、船酔いになるように、ぐらんぐらんと、こんがらがった感じなのかな?


なんて思うくらい、少しくらくらするから、これはヒーリングに頼るしかないかしら?


中村さん、お願いします~

ってか?


でも、私よりも「おかしな感じの人」と最近仲良くなって、その人とコンタクトを取ることはとても楽しい♪

し、私のはるか上、斜め45度の死角から思わぬことを言ってくるものだから、本当に面白い。

気が楽になる。


変な人は、実際、まれにしかいないのだな~っと最近思う。


どんな人も変人になれる性質を持っているのだと思っていたのだけれど、

そうではないのだというのが今の見解。


でも、変人は基本隠れて生息しているから、見つけるのは結構大変なのではないかと思う。


私は、さて、どうなんだろう?

おかしな人かといわれたら、そこまで変人ではないかもしれない。

それは、私の親が全うな普通と言うとこの人だから、というのはあるだろう。


でも、でも、どっかが何だかおかしいのは、持って生まれた性質としかいいようが無いんだろうな?


私は兎に角、自己分析が好きみたい。

ナルシストのように自分の変な行動に興味があるし、私の中に沸き起こる感情とか、それがなぜそんな風に沸き起こるのか?何がそこまでの衝動を生み出すのか?凄く興味がある。


自己解析し、エベレストのように基から高慢に高いプライドを自分でけちょんけちょんに落とし込んで、新たな自分を発見できることも好きだし。

凄くきついし、泣くし、何とも言葉に表せない、恐らく羨望、嫉妬、自己陶酔、嫌悪や・・・・

ホント、言葉と言う形では言い表せないぐちゃぐちゃな感情を見つめることが好きと言ってるんだから、物好きとしかいいようが無いかもしれない。

でも、この紐解いていくプロセスに凄く興味がある。


はて、でも、これも、おかしなことなのだろうか?


こういうことを人に話すと、人からは凄いね!とか、その年でそんな事考えるの?とか

反応は色々。


逆に私にしたら、みんな、そういったこと考えたりしないのかな?

とびっくりなんですけどね。


でも、そういったことで、なるほどと思うエピソードが今日ありました。


その、最近仲良くなった面白い人がお正月の御年賀挨拶メールに、

「雪が降らないかな~って凄く思うよ」

と書いていました。

そしたら2日の日。見事、雪が降り、外は粉雪が。

私はその人に「雪が降りましたね~」とメールを送ってみました。


そしたらその人、「嬉しくなって、プールにいそいそと行ってきましたよ」と言う内容の返信をしてきたのです。


私は「えっ!?プール???この寒いのに?」と思いました。

雪が降って、嬉しくて、で、そこで何故プールに行く?

やっぱりこの人、変な人だわと思ったのです。


そしたら何てこと無い。


その後のメールでわかったことには、その人は週三回くらいプールに行くのが習慣なことなんだそうです。


文面にしたら、雪降って、嬉しくって、だからプールに行くっていう。この字だけを読んだら、なんて奇天烈な思考回路だ。


って思うけれど、でも、よくよく知ってみると、雪降って、嬉しいなと思いながら、習慣であるプールに今日も行って来たという話なのです。


つまり、変人も、受け取り方しだい、ってことが言いたいのです。


よくよく知ってみれば、(自分の中のプール=夏の暑い日、というような固定観念の中に身をおくことをしなければ)、見えてくる景色と言うものもまた違うと言うことです。


常識という枠組みは、いわば固定観念の中ということでもあるのです。


嫌だな、とか興味ないという、態度で接することでは見えてこず、

かえってもったいないことが沢山あると言うことなのではないでしょうか?


何だか、そういうことを、思ったりするのです。


変人に惑わされない、自分と言うものを持っていれば、案外、

いろんなことがぶれずに、自分をはっきり保てるのだと思います。


そういう人が増えていったら、世の中、もっと楽しいだろうなと私は思うのです。


はて、2012年はそういった方々と沢山の出会いを果たして行きたいです♪

未来は考えようで楽しき楽園なり・・・