皆さん、こんにちは。今日も引き続きタイネタです。
ここ数日の(タイ)国会審議の動向が気掛かり故のタイネタです。
(ご免なさい。少々長いです)

先ずはタイの徴兵制度が正にタイ的で面白く、紹介させて下さい。

タイ国民男子は成人すれば兵役の義務があります。
が、皆兵かと言うとそうではなく抽選制(くじ引き)です。

毎年4月5月の指定日に対象者は各県所定の懲役検査所に集合。
一人づつ箱に手を入れ中のボール(テニスボール大)を掴み出します。
赤いボールを掴めば兵役2年、黒いボールが出れば兵役免除。

(これでは、どうやって毎年新兵の員数管理が出来るのかと部外者
には不思議でなりませんが…)

更に、この懲役検査・兵役を免れる道が制度としてあります。
俗にロードーと呼ばれております。
ロードーとはタイ語でラクサーディンデーン、直訳すれば国防。

高校入学時に選択科目でロードーがあります。
ロードー選択者は3年間毎週一日終日の軍事訓練科目を受講します。
そして満了した者には伍長の階級が与えられ兵役が免除されます。
が、しかしながら、すは有事の際には真っ先に徴集されるそうです。

タイの(都市在住の)若者男子にとってはロードーを選ぶか抽選会に
賭けるかの選択が難しい所だと思えます。

さて、私の息子(タイ国籍)はロードーを選びました。
息子の学区は金曜日がロードーの日でその日は学校ではなく戦勝記念塔
そばの陸軍駐屯地にカーキ色の制服を着て通っておりました。
息子の話では座学もかなりあったようです。

そんなある日、息子が「今日教官が言うには武器庫から多量の火器が
払い出された。近々何かあるかも知れない」とまるで世間噺のように
笑いながらいいました。


翌月曜日、私は工場の方へ出社しました、その日午後『巡回VA』
と言う名の日系S社の工場訪問の予定がありましたので。
『巡回VA』とはS社恒例の値引き相談会でS社本社からも部長クラスが
訪タイし各サプライヤーを廻るというものです。

午前中は電話やメールで他のお客さんとの案件やり取り。
午後、数%の値引きを約束し新受注の目処も立ち『VA巡回』は無事終了。
夜は、S社各位とのバンコク某日本めし屋での親睦夕食会。
S社各位も値引き獲得で上機嫌、私も酒の話題で息子の教官話を披露。
その日は双方和気あいあい、win win気分で解散しました。

ところが、翌日2006年9月19日午後、突如、大事件が起こりました。

(反タクシン派)反乱軍ソンティ司令官号令の下、
国軍兵士が政府庁舎・放送局等を占拠。
が、反乱軍は国王の承認を得て革命軍に昇格。戒厳令発令。
後に言う『無血クーデター』の勃発です。

国連総会出席中のタクシン首相は帰国出来ず亡命流浪生活の始まりです。

クーデター翌日、私にS社のワタナベさんや沢山の人から電話があり
「クーデターの行く末は?」と質問されました。
私はただ息子の話を世間噺として伝えただけなのにクーデター俄評論家に
させられてしまいました。

もっとも1991年の『5月の悲劇』に比べ周りのタイ人に全く緊張感がなく
「大丈夫ですよ。すぐ終わりますよ」とさしたる根拠もないままに電話に
返答したものです。

また、後の新聞ではタクシン氏は渡米にあたり大型スーツケース80数個持参
とありましたので氏はクーデター情報を出発前、既に掴んでいたとの事です。
当然ですよね。民間人の私の息子でも知っていたのですから。


そして、クーデターの後、政権は3転。
その間、ご記憶の通り
黄色服(反タクシン派:既得権益層)の空港占拠事件や
赤服(タクシン派:新興勢力層と地方農民層)の市内占拠・放火事件が発生。

現在どうにか小康状態を保っている中、「やっぱりだな」と思える様に
現政権(タクシン派)が国家和解法案を国会に提出。

法案が可決されればタクシン氏はめでたく帰国が叶い、赤服バンバンザイ。
対して黄色服は猛反対、国会前で大規模デモ集会中です。
またもや嫌な予感がして来ています。

私は個人的にはタクシン氏を嫌いではないのですが、氏の帰国は赤色黄色
再衝突の引き金となる事、確実不可避です。
ましてやタイ国王陛下もお体が余り芳しくない状況です。
国家和解法案の廃案を心から望んでおります、ひたすらに。

おわり



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皆さん、こんにちは。
最近、何故かブログ更新出来ずこのままでは忘れられてしまうのではと言う
危機感から『在タイ記』を更新します(決してお茶を濁す訳ではありません)。

さて、表題は(誠にローカルな話で恐縮ですが)、バンコクで(あるいはタイの
地方都市も含めて)迷子になり西も東も分からなくなってしまった場合の
解決方法の話です。

手順として
1)先ずは落ち着く
2)回りの建物を見渡し赤いパラボラアンテナを探す。
3)アナログ時計を頭に思い浮かべる。←蛇足ですがデジタル時計は不可。
4)パラボラアンテナの向いている方向を文字盤8時の位置とする。
5)結果、12時の方向が北となります。

理由は衛星放送用の衛星がインド洋上にあるからです。
8時はバンコクの場合です。南部や北部では多少ずれるはずですが、まだ
現地調査出来ておりません。分かり次第更新報告します。

尚、回りに人家がない所に行く場合、それは余程の田舎か山奥ですので
予め必要と思われるモノ(地図やコンパス)は自己責任で持参して下さい。
「パラボラが見付からず遭難してしまった」などと言うモンスターペア
レント的おかど違いの苦情には一切責任を負いかねます。悪しからず。




=おわり=

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英語耳をもじった私の造語です。

これは特別にタイ語に限った話ではなく何か外国語を習得しようと努力し続けた時に誰もが恐らくは必ずや通過(経験) するであろう劇的な瞬間の話です。

それが私の場合、たまたまタイ語であっただけ。ピリピリ語でもウルドゥー語でも何語でも経験するはずですまた、タイ語脳といってもタイ語環境といっても同じ事だと思います。

かれこれ20年近くの昔の話ですが今でもその瞬間を覚えています。

当時の私のタイ語はまだ語彙も少なくビギナー程度。

その頃、私がいた会社は日系にも関わらず社内連絡会議はタイ語がメインでして私には内容もよく分からず相手の質問の意味を隣の日本人に聞いて頭の中で日本語をタイ語に翻訳して相手に答えるのが常でした。

私のせいで相手側に時間を浪費させたであろうと済まなく思っておりました。が、平行して独学ですがタイ語の勉強はかなりしておりました。元来、新しい言葉の勉強は好きでしたもので。

さて、その会社には決まりで月に5日程、回り持ちで夜勤がありました。夜勤仕事の内容はタイ人オペレーターが業務で問題があった時、夜勤担当者は専用回線で日本本社へ内容を連絡し、日本からの指示をオペレーターに伝えるというものです。

が、その頃は殆ど問題も起こらずただいれば良いという非常に楽な夜勤でした。
そんな某日の夜勤の日、劇的瞬間との遭遇があろうとは微塵の予感だになく何時もの気持ちで現場へ入りました。

作業部屋は防湿のため寒い位に冷房が効いておりオペレーター達もラジオを聞きながら静かに作業を続けておりました。挨拶の後、問題無しを確認し私は隣の仮眠室でドアを半開きにしベッドで横になり何する事もなくぼんやりと・・・、否、待機しておりました。

ウトウト感の中、ラジオのDJが何か言っているのが聞こえて来ました。話の内容までは覚えておりませんが、「ん!?」突然、何か違和感を体全体で覚えました。

何と!! DJのタイ語がダイレクトに頭に入って来ておりました。

それまではタイ語を聞くと知っている単語を頭の中で該当する日本語に置き換えて理解する工程でしたが、今はタイ語を直接理解しておりました。

当然、知らない単語は知らないままスキップしてタイ語の音の流れを直接 全体で理解しておりました。

冒頭のタイ語耳になった瞬間でした。

少しづつ分かる様になるのではなく、ある日突然、全体が分かる様になった事にすこぶる感動した正に劇的瞬間でした。

もし、私がかの星飛馬ならシコを踏み拳を握りしめ胸をはり涙を滝の如く流しながら「今、分かったぞ~!!」と腹の底から叫んだはずです。

それほど迄に感激した一瞬でした。

思うに「何とか語」耳とは頭の中で日本語環境から「何とか語」環境へ無意識にスィッチを切り替え出来る境地(レベル)に達した事をいうのではないでしょうか。




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