人が何かを決断するとき、決定する時、または人生の中で問題が発生した時、必ず相談する人がいる。それは、原理・非原理圏共通で『親』と言えるだろう。しかし、その相談の形態は人それぞれである。例えば、両親同時にする人、父親だけにする人、母親だけにする人、父親に話した後母親に話す人、母親に話した後父親に話す人、または両親どちらかに話し、その話がもう一方の親に伝わる場合、など様々である。あなたはどれに当てはまるだろうか?
僕はたぶん、些細なことであれば基本的に母親に話すだけで特に父親には話さない。なぜなら、母親に話したことは、自然に父親に伝わるからである。逆に、何か重要な決断をした時やする時は父親に先に話し、その後、自ら母親に話すか、父親から母親に伝わるかのどちらかである。
それにも理由がある。これは我が家だけかもしれないが、
基本的に、重要なことを話す時、母親はとても感情的で不安な心になる。もちろんそれは、ただ情緒不安定な感情なのではなく、子どものことを思い心配する偉大なる母の心情なのだと思う。しかし時として、話をすべて聞く前にそのような感情が溢れ出て、まともに話ができないことがある。一方父親は、まずどのような内容だとしてもしっかりと話を聞いてくれる。そして話をすべて聞いた後で、父親自身の意見や僕の意見を総合した上でアドバイスをくれたり、承諾してくれる。
こう書くと、父親だけに相談した方が良いように聞こえるが、実はそうでもない。
母親は心配の部分で感情的になるが、その問題あるいは決断を一度受けとめれば、後は瞬時にかつひたすらサポートしてくれる。しかし、父親は長期的な視点でアドバイスをくれるものの実質的なサポートはあまりしない。『後は一人で頑張れ!』というスタンスに近い気がする。
ここまでずらずら書いてきたが、何を言いたいかというと、タイトルに書いたように夫婦は二人で一つ、お互いに補い合い一つになるところに、神様の実体対象として、また神様と同じ父母の立場に立つことができるということ。つまり、父と子、母と子、の関係も大切だが、神様の愛と夫婦の愛で一つとなった真の愛=父母の愛と子どもの関係が更に重要だということが言える。
だから、子どもにとって父と母は絶対に必要だ。それが例え里親や養子縁組先の親だったとしても…。逆も言える、父母にとっても必ず子どもが必要だ。例え、実子ではなく養子だったとしても…。
結論は、男性という性質の父と女性という性質の母がいるからこそ、子どもは成長し、その二つの異なった性質が一つなった夫婦の愛と神様の愛がさらに一つになり、深い深い真の愛を感じ、受けることができるということである。
つまり、父と母両方の存在が私達には必要なのである。。
兄弟がなぜ存在するのでしょうか。兄弟がなぜ必要なのかというと、男の人には妹や姉を見ながら、「うちのお母さんがこんなにして育ったんだなあ!」ということが分かり、また、女の人にはお兄さんや弟の意地悪な姿を見ながら、お父さんが育った過程が分かるようになるからです。それが兄弟愛というものです。ですから、兄弟を愛さなければなりません。
そして、父母を愛するように、兄弟を愛することを学ばなければなりません。学ばなくては、愛することができないのです。ですから、兄弟たちをお母さんとお父さんが育ったその時の姿だと思って、愛することによって、あの世に行っても、いつでもお母さんとお父さんを愛することができるのです。恥ずかしがらずに愛することのできる主人になるために兄弟が必要なのです。
では、兄弟たちが、お母さんとお父さんを愛するよりも彼ら兄弟同士がもっと愛し合うのがいいでしょうか、愛し合わないのがいいでしょうか。もっと愛し合うのがいいのです。なぜでしょうか。子女にお母さんとお父さんの育つ時の姿を見せてあげ、彼らを愛することによって、生まれてから死ぬ時までお母さんとお父さんを愛したという立場を立てるための、愛を中心として因縁づけられたそのような兄弟たちなので、そのように考えるのです。
それから、父母においては、子女が多ければ多いほど、お母さんが思うに、男の子たちがあのように意地悪く育つのを見ながら、「ああ、うちの夫はああして育ったんだなあ」と分かるようになるのです。ですから、子供たちを愛することは夫に会う前の夫を愛する立場になるのです。また、男性は「ああ、あの女の子を見ると、お母さんがああだったんだなあ! 幼い時のお母さんを見せてくれているんだなあ」と、学ぶのです。彼らを愛することによって、今までのお母さんの全体を愛したという条件が成立するのです。
父母は「おい! 男の赤ん坊だけかわいがって、女の赤ん坊はかわいがるな」とはいいません。父母は子女を同じように愛するのです。区別なく愛するのです。ですから、このように兄弟をもつのは家庭に美しい愛の円和、丸い球形を形づくるためなのです。
父母は、兄弟たちが、父母に対するのと同じように、互いに接してくれることを願います。すべての父母がそうです。ですから、兄弟を憎むことはお母さんを憎むことよりも大きな罪です。これが家庭教育において第一条です。今まで、皆さん、兄弟同士争い、仲が悪くなっているなら、行って、宴会をして、満足させてあげ、許してくれといいながら、うちのお母さんとお父さんを愛するように愛し合おうといわなければなりません。
兄弟がお母さんとお父さんの身代わりなので、残されたお母さんとお父さんに侍ろうといって、兄弟が貧しければ自分が助けてあげ、お母さんのためにしてあげたように、してあげるなら、それより美しいことがないのです。そこから天国が始まるのです。
~真の家庭~

