
「ジョージさん、私、浮気(ウワキ)してもいい?」 「いいよ、なんて言える夫(オット)は、世界の何処(ドコ)を探(サガ)しても居(オ)りますまいが、はぁ? いったいどうしました? また酸欠(サンケツ)ですか?」 「私は本気(ホンキ)よ。」 「ん? 本気で浮気を考えるってか。それって矛盾(ムジュン)してませんか。浮気って、読んで字の如(ゴト)く浮わついた気持ちでするものでしょう。 ちょっとした出来心(デキゴコロ)とか、遊び慣(ナ)れた相手に心の隙(スキ)を突(ツ)かれるとか、要するにそんなので。そもそも夫の僕にそうやって打診(ダシン)すること自体(ジタイ)、もう浮気みたいな軽いノリじゃないでしょう。」 「だから、こうして言っちゃうくらい軽いとは考えられない?」 「考えられない。」 「どうして?」 「夫に浮気したいって告(ツ)げることは、自分を貶(オトシ)めることだからさ。妻としての自分の評価を自分で悪くする行為(コウイ)がどうして軽いなんて云(イ)える?」 「じゃあ今までの妻としての私の評価は?」 「悪くないよ。」 「そう…。凄(スゴ)くいいってわけじゃないんだ。」 「そんなこと言ったら人間誰(ダレ)だって図(ズ)に乗るだろう。それに、そもそも採点(サイテン)がまだ途中(トチュウ)だ。」 「あのね、奥さんが他(ホカ)の男性と致(イタ)しちゃうところを想像して興奮(コウフン)する旦那(ダンナ)さんとか居(イ)るみたいだけど、貴方はどうお? たとえばスワッピングとかもそういうアレでしょ?」 「君はそれを望むのかい?」 「貴方のことを聞いてるの。」 「僕ねぇ…。そうだな。 僕だって自惚れ(ウヌボレ)の塊(カタマリ)みたいな人間と呼ばれる生きものの、しかも牡(オス)という、より下劣(ゲレツ)な造(ツク)りのほうの1匹? 1頭? 1人?だからね。まぁ隅々(スミズミ)まで探(サガ)せば、本人も気付いていない種々雑多(シュジュ・ザッタ)な欲望(ヨクボウ)なり欲求(ヨッキュウ)なりが隠(カク)し持たれている公算(コウサン)は大(ダイ)かもしれんです。だが今こうして自分の妻の面前(メンゼン)という頗(スコブ)る理性(リセイ)の働きやすい状況下(ジョウキョウカ)にあっては、自覚(ジカク)してようとしてなかろうと、自分にとって不本意(フホンイ)と思われる欲望ないし欲求に対しては、これを自制(ジセイ)ないし抑圧(ヨクアツ)する方向で会話なり行動なりをまとめようとするでしょうね。」 「それって、自分の奥さんに対して自分が本当にしたいことや、してほしいことを我慢(ガマン)するってこと?」 「まぁザックリと云えば、当たらずしも遠からずでしょうか。そういう傾向(ケイコウ)にはあるだろうということでね。」 「きっと貴方みたいな人ね…」 「何が?」 「あんな真面目(マジメ)な人が、電車で女の子のお尻(オシリ)を触(サワ)って捕(ツカ)まっちゃうなんて…とか噂(ウワサ)されるタイプ。」 「それってさ、さも不真面目(フマジメ)そうで、如何(イカ)にもお尻を触りそうなタイプも居るってことになるのかな。 するとこの場合、その偏見(ヘンケン)こそが1番の問題じゃないか。だってそりゃああまりにかわいそうすぎるもの。生まれながらの強面(コワモテ)というならまだしも、 パッと見(ミ)、痴漢(チカン)しそうだなんて、同じ男としては当(マサ)に同情の極(キワ)みですよ。あんまりだ。」 「ハァ…。貴方と話すといつも理屈(リクツ)っぽくはぐらかされる。付き合い出した頃(コロ)からそう。勿論(モチロン)貴方がワザとそうしてるんじゃないことは解ってる。解ってるんだけど、最近はなんだかそれが焦(ジ)れったい。 7年も経(タ)ってから、急に焦れったい気がしてくるなんてどういうことかな。貴方が変わったから? それとも私が変わったから? 答えは明らかよね。私が変わったからだわ。正しくは駄目(ダメ)になったから。」 「駄目になった? 僕たちは7年前より駄目になったと思うわけ?」 「僕たちがじゃない、私が。」 「それはおかしい。 僕たちは夫婦(フウフ)だ。結婚して今日までずっといっしょに暮らしてきた。 つまり好むと好まざるとに関(カカ)わらず、僕たちはお互いに相手の影響を受けながら生きてきている。 そんな関係が良くなったり悪くなったりする場合、その変化の原因がすべてどっちか1人に帰(キ)するなんて、そんなことがあり得るわけがない。」 《続きます・(__)》
静まりかえった保健所(ホケンジョ)の裏庭(ウラニワ)、その植木(ウエキ)のソテツの葉陰(ハカゲ)で用心深く一息(ヒトイキ)入れた3匹は、ちょっとした確認事項(カクニン・ジコウ)だけで、これからの具体的(グタイテキ)な行動を即決(ソッケツ)した。もう一ヵ所だけ立ち寄ってみる。もしそこに野良(ノラ)たちが集められていたら、とにかく逃(ニ)がす努力をする。但し(タダシ)陽が昇(ノボ)る前にはそこを立ち去る。逃がすことができてもできなくてもだ。 その場所とは、街外(ハズ)れにある動物救護(キュウゴ)センター。 麒竜(キリュウ)たちの飼い主のオバサンが話していたのは動物愛護(アイゴ)センター。行くと決めた場所は救護センター。名称は1字違いだが、内容は天と地ほども違う。『愛護』のほうはあのオバサンの説明にあった通り。そしてオバサンのお話の延長線上に、この救護センターがある。つまり、貰い手(モライテ)のなかった動物が最後に行き着く場所である。救護センターには、動物の種類によって滞在(タイザイ)できる日数(ニッスウ)が決まっている。犬と猫の場合は最長(サイチョウ)で三日(ミッカ)。 この三日というのは、有り体(アリテイ)に云(イ)えば、この世界に留(トド)まっていられる最後の日とその前の日とそのまた前の日の三日間ということだ。 白太(ハクタ)が金子(カネコ)さんに尋(タズ)ねた。 「四日目はどうなるの?」 「ん?…フン。そいつは、お前さんが今までオレにした中で1等(イットウ)くだらねぇ質問だな。」 「あぁ。やっぱり聞くのは止(ヤ)めます。」
て感じかしら? ちょっぴりジェラスィー…愛の言葉は、ジェラスィー…♪」 それからオバサンは車で来た人間たちに挟(ハサ)まれて、またアンタかとか、これは犯罪なんだよとか、なんかそんなことをいろいろ言われながら、車に乗せられていた。その時、ハンニバルがいっしょに乗るのをマルミたちは見たけれど、麒竜のほうは確認できなかった。 マルミたちは塀の上に居て、これらの騒動(ソウドウ)をまったく呆気(アッケ)に取られながら、まるで天使(テンシ)か妖精(ヨウセイ)にでもなった気分(キブン)で、遠い下界(ゲカイ)の出来事(デキゴト)として見つめていた。 
空が白(シラ)みかけていた。3匹は眠(ネム)くて、しかも空腹(クウフク)だった。その上、マルミには後悔(コウカイ)の念(ネン)もプラスされている。 あのレアー何とかを一口(ヒトクチ)も食べなかったことが今になって堪(コタ)えて来たのだ。でも他(ホカ)は全部納得(ナットク)していた。 マルミは思う。普通に猫をしていれば、眠気も空腹もいつか満たされるものだ。野良をやっていると、夜が来るまでに何か口にしないと、自分には明日の朝は来ないかもしれないと真剣に思い詰めることが何度もある。そしてそんな思いを繰り返すうちに、それでも命の灯火(トモシビ)はそう簡単には消えないものなんだということを認めざるを得(エ)なくなる。生きものは、簡単に見えても実は簡単には死なない。死ねない。これは一見(イッケン)喜ぶべきことのようだが、死ぬのも一苦労(ヒト・クロウ)だと思うと、むしろ生きる上での拠り所を1つなくしたような気がするのは自分だけだろうか。 マルミはそう思った。3匹は西へ西へと歩き続けた。解放された野良の何匹かには事情を説明し、今の棲みかに戻ることの危険性を説(ト)いて聞かせたが、結局誰(ダレ)もいっしょに行こうとはしなかった。 何処(ドコ)に行くのかと尋(タズ)ねられて、何処とも答えることはできなかった。今より食べることができるのかと聞かれて、解らないと返すしかなかった。そうなると確かに云えることは、野垂れ死ぬ(ノタレ・ジヌ)危険だけだった。いったいそんな旅に誰がついて来ようか…。だが3匹は知っていた。もし地元の安心感と旅の危険度を単純に天秤(テンビン)にかけ、そのイメージに囚(トラ)われるままに自分たちも留(トド)まることを選んだとしたら、かの地の野良は滅(ホロ)ぶだろう。きっと根絶やしにされる。それだけはよく解っていた。 だからこの旅は、野良という最(モット)も自然体(シゼンタイ)の、云わば猫族(ネコゾク)の本流(ホンリュウ)が枯(カ)れるか枯れないか、その瀬戸際(セトギワ)を行く旅なのである。猫が普通に猫である世界が、ノーマルな普通の世界なのだということを印象付けるためにも、自分たちは存在していなければならない。生きなければならないのだ。 しかし、眠気(ネムケ)こそ安全な木陰(コカゲ)で、見張りを交代(コウタイ)しながら取ることでそれなりに解消(カイショウ)できたものの、空腹は如何(イカン)ともし難(ガタ)く、3匹の歩みはガクンとペース・ダウンした。 「人間に食べ物を貰(モラ)いに行こう。」 とマルミが言った。 「うん。じゃあ弟と2匹で行って来い。」 「ボスは?」 「オレは、腹はまだそんなに減(ヘ)ってない。」 姉弟(キョウダイ)は出掛け、金子さんは残った。しかし2匹の姿が見えなくなるや金子さんは歩き出した。 金子さんは思った。‥人間を頼(タノ)まなければ野良もやれねぇってか…フッ。そういうんじゃない明日(アシタ)であってほしいよなぁ実際(ジッサイ)。 姉弟の前から金子さんが姿を消した。 旅を始めたその日のことである。 それから2匹の旅は5日間続き、六日目(ムイカ・メ)に海辺(ウミベ)に出たところで、弟のほうが動けなくなった。 草や虫を主食として、そこまでやって来ていた。弟は、姉に独りで旅を続けてくれと言った。それに対して姉は、自分ももう動けないと言った。そこで2匹は、どうやったら自分たちの亡骸(ナキガラ)を隠(カク)せるかについて話し合った。 するとこの海辺は、その目的のためにはあまりに不都合(フツゴウ)ということになった。 そこでテレビでいろいろ知識を得(エ)ている弟が提案(テイアン)した。海に入(ハイ)るのはどうだろう。引き潮に乗って沖(オキ)に出てしまえば、次の満ち潮で浜に打ち上げられる前に何もかも済(ス)んでいるはずだと。姉はその提案を受け入れた。2匹は海からそれほど遠くない砂山(スナヤマ)を見つけて、その頂(イタダ)きに並んで座(スワ)った。 そうやって夕暮れ近くまで待って、それから再び海の近くに行った。大きな夕日が2匹を照らした。 2匹はいつか空腹を忘れて、その巨大なオレンジ色の火の玉を見つめた。 ふと耳を打つ足音がした。音のほうを見ると、海岸線の砂地(スナジ)を黒い一団がこちらへ向かって駆(カ)けて来る。 やがてそれは犬の群れだと知れた。2匹は顔を見合せ、お互いの心を読もうとした。だがすぐに諦(アキラ)めた。どちらの心も空っぽだったからだ。それくらい衰弱(スイジャク)していたのだ。 多少プランとは違うけれど、終われるのなら、終わり方にはこの際(サイ)拘(コダワ)らない。 今やそんな心境になっていた。 強(シ)いて云えば、これは野良らしい最期(サイゴ)なのかどうかというところが少し気になった。でもあくまでも少しだ。 犬たちが、その顔付きが判るくらいまで近付いた。するとその群れの真ん中よりちょっと上に突然人間の顔が見えた。 「お姉ちゃん、あれは橇(ソリ)だよ。」 「ソリ…」 「うん。犬に曳(ヒ)かせているから犬橇(イヌゾリ)だ。」 橇は2匹の横に来て停まった。 手綱(タヅナ)を握(ニギ)っている人間は男でまだ若かった。彼は2匹に笑いかけながら言った。 「途中金子さんを見つけるのに手間取って遅くなったんだ、ごめんね。 さぁ後ろに乗ってくれたまえ。」 2匹は橇の後ろに回ってみて驚いた。金子さんが横たわっていて、しかもそばに麒竜が付き添っていたからだ。 麒竜は屈託のない笑いを見せて言った。 「橇を曳いている犬たちのリーダーと知り合いでね、アンタたちの話をしたら動いてくれた。」 「アタシらのボスは大丈夫なの?」 「あぁ大丈夫だ。安心したら余計(ヨケイ)に疲れが出たんだろう。よく眠ってる。そうだ、食べ物も積(ツ)んであるんだ。腹が減ってるだろう。さぁ、早く乗れよ。そして食べな。」 姉弟は橇に乗り込み、そして食事にありついた。 やがて若者のハイヨーという掛け声が響き、犬たちの閧の聲(トキノコエ)がそれに応(コタ)えた。橇が動き出した。 海の上のオレンジ色の火の玉が紅(クレナイ)に色を深め、いっそう燃え盛サカ)るようだった。 なんと美しい夕日だろう、と白太は声に出さずにはいられなかった。 「だったらそれは君のせいさ。」 と麒竜が言った。 「えっ? どうしてそう思うの?」 「今の君や君のお姉さんやボスの前では、お日様だって何だって、競(キソ)って美しく見せようとするだろうからね。」 前で手綱を操(アヤツ)る若者が、聞こえていたらしくその麒竜の後に続けた。 「美しい生き方には、世界も美しさで応(コタ)え、命懸けの生き方には、世界も命懸けで応える。 当たり前のことさ。」 「これから何処に行くの?」 「それは君が決めることだ。」 「じゃあ、あんな夕日をいつも見ることができる世界に行きたい。」 「ということはそういう生き方が君は好きなんだね?」 「うん。ボクは美しい生き方が好きです。」 「そうか。だからあの夕日にそんなに感動できるんだね。」 橇は、やがて夕日に向かって走り始めた。 ハイヨー