私は日本で基礎教育を受けました。でも、自分は日本では生きていけないな、と、小さい頃から思っていたので、日本の外へ出る準備をし、必要なことを学び終え、20歳そこそこで日本を出ました。
そして、メキシコに移り住み、そこで学んだことは、
“Desaprender”
"des"は、 離れる、切り離す、等の意味が加わる、その後に来る言葉の反対を表す接頭辞です。
"aprender"は、 学ぶという意味の動詞です。
つまり、メキシコで学んだことは、「今まで学んだことを手放す」ということでした。
私が日本の学校で、私の人生の基礎となるべく学んだ一番大きいものは、「日本で生きて行く為の処世術」でした。最近の言葉で言うと、「空気を読む」みたいな感じのことですかね。如何に出た杭になって打たれて潰されてしまわない様にするのか、と言う。。。
そして、その「処世術」を身に着ける過程で、沢山の能力を身に着けました。
・周りや相手の人がどんな人なのかを感じ取る能力。
・そして、その人達に最適な言葉を受け返す能力。
・立場や権力が理由で、我慢をし、従い、その状況に耐えうる能力。 等々。。。
能力とは言えないものでは、
・沢山の義務
・競争
・自分は出来ないという思い込み
・恐怖
等々。。。
そして、そう言う、「今までの自分の人生の基礎だった常識」、これを
メキシコでたっっっっっっくさん、たっっっくさん手放しました。
そして、私の中に密かに気付かれない様に持っていた、
爆発しそうな(時々小さく爆発させていましたが)想い、
「自由に生きたい」
を、爆発ではなく、少しづつ解放させていきました。
幼稚園から大学まで、計り知れない時間を費やして学んだことを、
また沢山の時間をかけて手放していかなければなりませんでした。
「なんという無駄!、そして大変!」
でも、「本当の自由」のために、長い時間をかけてやりました。
確かに、私が日本の学校で学んだことの半分位は今の人生で役に立っている知識かもしれません。しかし、その知識を実際に人生に役に立たせようとする時に基礎となる概念の部分でとても多くの無駄なもの(私にとってですが)を学ばされたな、と言うのが正直な感想です。
日本は、先進国であり、学習レベルも高いとされていますし、独自の精神性を持った国なので、素晴らしい学びもあります。でもそれ以上に、その学んだことを、実際の人生で私なりに役に立てられるのか、がすごく疑問でした。日本では試していないので分かりませんが、想像するに、メキシコで出来た様には行かなかっただろうと思います。
具体的なエピソードをひとつご紹介します。
私はメキシコの大学で日本語を教えていたのですが、「良い教材が無い」と常々思っていて、更には学生にまでそのことについて愚痴をこぼしていました。その度に多くの学生達から「じゃあ先生が作ったらいいじゃないですか」と言われて、「そんなこと出来ないよ」と思い、そう答えていました。
そして、何度も何度もそんなやり取りを繰り返し、最終的には、自分の教え子でもあり、初級のクラスを手伝ってくれていた子が、私や、同じく教え子で初級レベルを手伝ってくれていた同僚達に向かって、「自分たちで良い教科書を作りませんか。」と言ってくれた時に完全に気付いたのです。
私は今まで、本を書いたり教科書を作ったりするのは、大学の教授とか偉い人とかしかしてはいけない、と思っていたことに。
無意識のレベルで、
「自分にできない」よりも、
「してはいけない」と、思い込んでいました。
そしてメキシコ人にdesaprenderしてもらったのは、
常識、義務、無価値観、劣等感、向き・不向き、先入観、恥、周りの目、等々。
そして、そういう様々なものが複雑に周りに絡みついていたけど、最終的に残ったのは「無いなら自分で作る」と言う、本当に純粋な、簡単なことでした。
" Simple is the Best"
これは、もう本当に今の自分の座右の銘と言って良い位の概念です。
そして、その、本当に純粋な、簡単な価値観は、メキシコ人だけが持っているものでもなんでもなくて、私の中にもきちんとあったものでした。だから、その周りに複雑に絡み合いながらくっついていた沢山のものを私は日本で基礎教育を受けました。でも、自分は日本では生きていけないな、と、小さい頃から思っていたので、日本の外へ出る準備をし、必要なことを学び終え、20歳そこそこで日本を出ました。
そして、メキシコに移り住み、そこで学んだことは、
“Desaprender”
"des"は、 離れる、切り離す、等の意味が加わる、その後に来る言葉の反対を表す接頭辞です。
"aprender"は、 学ぶという意味の動詞です。
つまり、メキシコで学んだことは、「今まで学んだことを手放す」ということでした。
私が日本の学校で、私の人生の基礎となるべく学んだ一番大きいものは、「日本で生きて行く為の処世術」でした。最近の言葉で言うと、「空気を読む」みたいな感じのことですかね。如何に出た杭になって打たれて潰されてしまわない様にするのか、と言う。。。
そして、その「処世術」を身に着ける過程で、沢山の能力を身に着けました。
・周りや相手の人がどんな人なのかを感じ取る能力。
・そして、その人達に最適な言葉を受け返す能力。
・立場や権力が理由で、我慢をし、従い、その状況に耐えうる能力。 等々。。。
能力とは言えないものでは、
・沢山の義務
・競争
・自分は出来ないという思い込み
・恐怖
等々。。。
そして、そう言う、「今までの自分の人生の基礎だった常識」、これを
メキシコでたっっっっっっくさん、たっっっくさん手放しました。
そして、私の中に密かに気付かれない様に持っていた、
爆発しそうな(時々小さく爆発させていましたが)想い、
「自由に生きたい」
を、爆発ではなく、少しづつ解放させていきました。
幼稚園から大学まで、計り知れない時間を費やして学んだことを、
また沢山の時間をかけて手放していかなければなりませんでした。
「なんという無駄!、そして大変!」
でも、「本当の自由」のために、長い時間をかけてやりました。
確かに、私が日本の学校で学んだことの半分位は今の人生で役に立っている知識かもしれません。しかし、その知識を実際に人生に役に立たせようとする時に基礎となる概念の部分でとても多くの無駄なもの(私にとってですが)を学ばされたな、と言うのが正直な感想です。
日本は、先進国であり、学習レベルも高いとされていますし、独自の精神性を持った国なので、素晴らしい学びもあります。でもそれ以上に、その学んだことを、実際の人生で私なりに役に立てられるのか、がすごく疑問でした。日本では試していないので分かりませんが、想像するに、メキシコで出来た様には行かなかっただろうと思います。
具体的なエピソードをひとつご紹介します。
私はメキシコの大学で日本語を教えていたのですが、「良い教材が無い」と常々思っていて、更には学生にまでそのことについて愚痴をこぼしていました。その度に多くの学生達から「じゃあ先生が作ったらいいじゃないですか」と言われて、「そんなこと出来ないよ」と思い、そう答えていました。
そして、何度も何度もそんなやり取りを繰り返し、最終的には、自分の教え子でもあり、初級のクラスを手伝ってくれていた子が、私や、同じく教え子で初級レベルを手伝ってくれていた同僚達に向かって、「自分たちで良い教科書を作りませんか。」と言ってくれた時に完全に気付いたのです。
私は今まで、本を書いたり教科書を作ったりするのは、大学の教授とか偉い人とかしかしてはいけない、と思っていたことに。
無意識のレベルで、
「自分にできない」よりも、
「してはいけない」と、思い込んでいました。
そしてメキシコ人にdesaprenderしてもらったのは、
常識、義務、無価値観、劣等感、向き・不向き、先入観、恥、周りの目、等々。
そして、そういう様々なものが複雑に周りに絡みついていたけど、最終的に残ったのは「無いなら自分で作る」と言う、本当に純粋な、簡単なことでした。
" Simple is the Best"
これは、もう本当に今の自分の座右の銘と言って良い位の概念です。
そして、その、本当に純粋な、簡単な価値観は、メキシコ人だけが持っているものでもなんでもなくて、私の中にもきちんとあったものでした。だから、その周りに複雑に絡み合いながらくっついていた沢山のものを"desaprender"した「だけ」で、使えるようになりました。その、純粋で簡単なものを基礎に、沢山の可能性が見え、行動に移せるようになりました。
20歳位の頃、自分の人生では何がしたいかは具体的には見えてこないけど、とにかく自由に生きたい、と思っていました。
さて、その通りになっていきました。
"desaprender"を"aprender"したので。(ここダジャレですよ。笑うとこです。
)
関連したお話を、また別の側面から書きたいな、と思います。
