16年前に残したもの | きみどりいろのそら

きみどりいろのそら

何気ない今のこと、日々のこと。つれづれ。

1995年1月17日。

私は高校1年生でした。


5時46分に阪神・淡路大震災が起こった日。

関西から遠く離れたウチは、まったく揺れを感じることもなく

普通に学校へ行きました。


高速道路がぐにゃりと曲がった映像を見て、

「こりゃすごい地震が起こってしまったな…」と

対岸の火事としか感じていなかったんだと思います。



あのとき何もしなかったこと、ずっと後悔していました。

1月17日がきてニュースが流れるたび、

なにかで思い出すたび、後ろめたくてしょうがなかった。






今回の東日本大震災で動かなかったら、

同じ想いをふたつも抱えなければならないのかと

正直、恐怖だったんです。


募金、買い占めない、節電。

それでも結局なにをしたらいいのか。。。


ボランティアなんてしたこともなかったので、

震災直後は「行っても私にできることはないだろう」とか

「かえって足手まといになるかも」と、尻込みをしていました。






2カ月以上経って、各旅行会社がボランティアツアーを

企画していることを知りました。


締め切り続きで身動きとれなかった5月。

それすら言い訳だったのかもしれません。




最終的に私の背中を押してくれたのは、

TBSが深夜から早朝にかけて放送した「報道の魂」 という番組でした。


徹夜続きで昼夜逆転し、眠れなくてたまたま観た6月5日の放送

現地に入った記者たちがオムニバス形式で綴ったドキュメンタリー。


これを観て、とにかく行こうと決めました。

こんなこと書いたら語弊があるけど、

「自己満足のため」と自分でも割り切って申し込みをしました。






だけど、実際現地へ行って作業を始めると

「自己満足」とも「被災者のため」とも違い、

完全に“無心”でした。


今思い返しても、ちょっと不思議な感覚。


あえて書くなら富士山に似てるかも。

帰ってきたらまた行きたくなりました。

日本人の魂に訴えかける「何か」なんでしょうか。




いつになるか分からないけど、また行きます。

体力なら、まだまだその辺の若い女子にも

草食系男子にも負けるつもりはありませんよ。







ボランティアに行くことがすべてとは思いません。

それぞれができることをすればいいと思います。

そして、忘れないこと、想うこと。


でももし、参加したいけど踏み出せずにいるのなら、

行ってその目で見て、感じて、動いてくることをオススメします。