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ばあちゃんが永眠しました
父が亡くなったのが1月21日の朝
祖母はが亡くなったのが2月21日の夜
嫌でも覚えてしまうちょうど1ヶ月後のことでした
動脈瘤破裂で病院に運ばれて意識はあり
最期まで会話はできたそうです
父とは違い安らかな顔をしていたのが救いです
ばあちゃんと最後に会ったのは今月10日
父の七日ごとの法要に一緒に拝んでくれました
認知症もあったけれど 自分より先に逝くなんて親不孝だといっぱい泣いてくれました
父が亡くなってからも父の携帯にはばあちゃんからの着信
記憶が曖昧になるのかな
つらかったけど、とれませんでした
心配になって次の日ばあちゃんちに行ってそんときも一緒に泣いて悲しんでくれて
寂しくなるねと励まし合いましたばあちゃんは感情をそのまま出してくれるから私も我慢せずいっぱい泣けました
父が亡くなっても父のことを一番知っているばあちゃんが生きていてくれているから
という気持ちでこの1ヶ月過ごしてきました
ばあちゃんにとっては父のことでしんどい思いさせてしまったな
ばあちゃんの子どもは父含め4人
孫は私含め9人
ひ孫は13人
すごいなあ
毎週のように叔父叔母たちと想い出づくりに
色んなところへ出掛けていました
新宮に行ってきたとこで また来ないかんね
と話してたようです
デイサービスも変わらず行っていて楽しく過ごしていました
ばあちゃんは精神的には参ってたけど
しっかり歩いてよく話してくれたから
こんなことになるなんて想像できなかったよ
ばあちゃんちに行くといつもお茶でも飲みいうて一緒に他愛のない話をするのが常
いつまでも話題は尽きず
ゆっくり時間が流れでいきます
ばあちゃんのお茶は渋いけど美味しかったです
ばあちゃんちの近所に私の同級生の友達の家があるのですが
ばあちゃんも話し好きなので
よく話してたそうです
ニコニコしながら水やりしてる姿が忘れられないよと
想像できるなあ
ばあちゃんちには花がいっぱい
父さんとじいちゃんに会えるね
寂しくないよ
いつでも会えると思っていたから
ばあちゃんちまで送るんで父の法要があった日の帰り
おうち入ってお茶でも飲もうと誘ってくれたのだけど今日は帰るよと断ってしまいました
でもやっぱし気になって帰ってからばあちゃんに電話するもとりません
ばあちゃんは補聴器をつけていたので
かけることは出来てもとるのは気づかないときもあるとあとから聞きました
父のお通夜のときにばあちゃんが飴でも食べんかいと言うてくれて黒飴も貰ったのだけど
父さんの後飾りに供えてたところでした
しばらく食べられないな
ばあちゃんがお父さんにと買ってくれた苺は家族でいただきました
いつも優しかったばあちゃん
忘れないよ
ありがとう
どうか安らかに
先月 父が永眠しました
胃癌がわかったのは去年の8月
転移もあり、手術はできず化学療法で様子見でした
それでも毎食ご飯は食べられたから
何かの間違いじゃないかと思う日々
入院退院を繰り返す中、12月中旬にはみるみる体調が悪くなり人相も変わってきたように思っていました
生きてる間に大事な話したかったけど
泣いてしまうのが嫌でずっと避けてました
余命なんてあてにならないし、あと1回は自宅に帰れると言われてたので
実家もベッド移動の大掃除しながら
お見舞いに行ってました
食べれなくなって点滴もしてたのだけど
しんどい検査もして余計体調が悪くなり
トイレ介助ばかりしてたように思います
父は涙もろい性格でした
しかし病気がわかっても涙一つ見せません
前向きに頑張りますと医者に言う父に私は泣いてばかりでした
終活しましょうと言われた父
毎年私が絵を描いて色塗りと文章は父が書いてる年賀状
来年は一緒に書くことはないのだと思うとつらくてたまりませんでした
病気のこと書かんのん?と聞いても
父は皆様にご多幸をお祈りいたしますとしか書きません
身体が熱くなるほど一生懸命書いてくれました
お正月に姉ちゃん家族も含めご飯会
記念に写真いっぱい撮ろうねと言うてたけど
体調悪いのが見てもわかる父の顔にカメラは向けられず
1月9日また入院
この日は母の誕生日でした
病室で食べたケーキ
父の誕生日の9月も病室でケーキを食べました
父の遺影は実家で誕生日ケーキを持ってるときのものです
お父さん
痛いときもあったろうに、私の前では痛いとか言わなかった
父が泣かなかったから私も目の前では泣けなかったよ
母は病室で涙をためて寝ている父の姿や
がんばってもダメなんだろと弱音を吐いてる姿を見ています
私が実家に行くとしんどそうにはしてるけど
元気なふり
最期まで孫は見せられなかったね
ごめんね
姉ちゃんの息子を特にかわいがってた父
私達は男兄弟がいないので
男同士わかるものがあるのでしょう
甥も私や母より父が好きでした
遊びにくるとまず父のもとへ行きます
小学生の面会はダメだったけど
8歳の孫に会いたいと父が看護師さんに訴えていた日
婦長さんに確認したら大丈夫ですよと
また家帰れるやね、そんときまでと思ってました
それから数日後に父の容体が急変して
朝電話が鳴り病室へ飛んで行きましたが
間に合いませんでした
まだ温かい父の手は一生忘れません
父が亡くなる前日は体調が悪くてお見舞いに行けませんでした
朝起きて吐いてその日は仕事から帰っても吐いて
助けを求めてたのかい
メッセージだったのかい








