突然、3,4年前の卒業生からメールがきた。

 「忘れておられるかもしれませんが…」

との書き出しで始まり、用件は友人がパソコンやビジネスマナーなどを勉強したいということだった。

 もちろん憶えていることと同時に、近く始まるコースを紹介したところ、また次のメールが届いた。

 「憶えていてもらってうれしいです」

 彼自身はもちろんのこと、会社では同じ期にいた人たちを思い出す作業が始まった。

 やはり授業をしていたので、私が一番覚えていたが、スタッフも大体は覚えていた。

 年間にかなりな人数が修了していくが、それぞれにやはりよく覚えている。

 特に、今回のK君などは、とてもよく覚えていた。就職活動にも熱心だったし、応募書類に関してもとても熱心に取り組んだ。

 就活には大変苦労したが、ある温泉のホテルに就職した。

 「えらくなったら招待しますね!」と、言っていたが、なしのつぶてで、それきり連絡がなく、どうしているだろうと気になっていた。(決して温泉への招待を待っていたわけではないが…)

 今は、熊本市のほうに帰ってきているということで、詳細はわからないが、近いうちに遊びに来ます、と結んであった。

 このクラスの人は、結婚をした人、卒業後当社にバイトに来ていた人、などなどがいて、とてもおもしろいクラスだった。

 結婚をした人など、子どもが生まれたときには見せに来てくれて、とても感動したものだった。

 修了式に彼らを見送るときに、「どうぞ、喜び多い、いい人生を!!」と、念じながら送り出す。

 厳しい社会に勇気をもって生きられるよう、願って…。

 バブルの頃のように浮かれなくてもいいから、せめてみんなが希望を持って仕事ができるよう、いい時代の到来を待っている。

 せめて関わりのあった人たちとは、笑顔で再会したい。

 

 昨年から考えていた法人がやっと設立にたどり着いた。

 なんとか人の手を借りず、自分の力で設立したかったので、たどたどしかったが、書類作成から自分でしてみた。

 株式会社のときもそうだったが、なかなか大変で、途中で法人の形態を変更したり、いろいろ大変だった。

 できてしまったら、達成感はひとしおのものだったが、客観的にみると単なる自己満足かも…。

 就労支援事業所で 「一般社団法人キャリア・カレッジ」

 長い間、障害のある人たちとコンサートをしてきた。その延長線上にこの事業を考え、ワードハウスの業務とボランティアでしていたものの集大成にしたいと考えた。

 7年前に「障害者自立支援法」ができて、障害をもった人たちを取り巻く環境もずい分と変わってきた。

 「自立して社会のなかで生活を」の一助にでもなれば、と考えた末の事業なのだが、果たしてあたためた理想どおりに運ぶかどうか…。

 得意のITの部分を取り入れ、社会生活に必要なマナー、ビジネスマナーや職場でのマナー、また新しい能力や個性の発見を試みるためのスペシャルコースを用意するなど、自分でやってみたいことをとりいれた。

 スペシャルコースは、音楽・カメラ・デザイン・書・介護やリラクゼーション・朗読などのコースで、選択ができる。

 音楽は、アドバイスを得て、オカリナを予定している。講師にももったいないほどのスペシャリストの協力を得て取り組むことができる。

 カメラもカメラマンやデジカメの講師が担当し、デザインもデザイナーが担当する。

 書も意外な人が協力を申し出てくれて、思わぬ展開になった。

 介護とリラクゼーションに関しては、前々から障害のある人と介護をどうにかして結び付けたいと思っていたので、スタッフで介護の経験がある人と組み立てを考えたいと思っている。

 障害のある人の就業はなかなか思うようにいかないところもあるが、仕事の開拓や創造なども行いたいと思っている。

 いろんなところで話すと、意外な協力者に恵まれ、思いは熱く持てば、どうも伝染するものらしい、と最近思いだした。

11月3日(木)コンサートが終わった。

今年のコンサートは大きな意味があった。

20周年をもって一旦幕をおろすという、一段落のコンサートだった。

一段落と言っても、次の開催は未定でかつ非常に困難なものであるということは重々承知で幕をおろしたのである。

今年のゲストはヴィエントと元H2Oの中沢堅司氏。

ヴィエントの吉川さんからはステージからしかられたような気がした。

あの独特の語り口で、

「こんなコンサートをやめたら、いかんですよ!!」

「ここに命がけの人がどれだけいると思いますか?!」

それも承知の”幕引き”であった。

私たちも”命がけ”とはいわないが、それは、それはエネルギーを費やした。

仕事で多忙なときも、コンサートを最優先させねばならなかったこともあった。

事務局はすべての窓口で、よいことも、悪いことも通過していく。

大いに楽しませてもらったし、傷も負った。

けれども、あのコンサートのライブ感は、体験した人でなければ分からない感動があるのである。

観客1100人、出演者540人、ボランティア160人、主催者の理事スタッフ10人、実行委員会20人と、毎年同じくらいの人たちが集う。

泣いたり、笑ったり、怒ったり、そして当日は、客席へ、ステージへ、受付へ、楽屋へ、走る、走る、走る、走る。

終わった後の快感、達成感は一緒に走った人でないと共有できないものがある。

では、なぜやめなければならないか。

スタッフの高齢化と資金集めと集客の困難さなどである。

後進が育たなかったのは大変残念なことであるが、若い人たちにはこんなコンサートを続けていける余裕が多分ないのだと思う。

ボランティアのあり方もいろいろあっていいと思うが、長く、続けていくということ、ひたすらコンサートのためにだけ…。

どこに魅力を見出すか、人それぞれの価値観にもよることと思うが…。

そのような感性だけで20数年…、よくよく続いたと思う。

一段落したら、次のことを考えてみよう。