日常的に生活する上でも、仕事の中でもやるべきことは沢山ある。

日常、ただ、それをこなして行く事は当然だが、どうせやるならば、やらなくてはならないのなら、

ほんの少しだけでもいい、自分なりの「質」を高めそれを継続してていくことが、自分を高め、より愉しい

ライフスタイルを送れていけると考えます。初めは些細なことからでいい。いや、些細な事が大切なのかもしれない。どんなことに対してもクオリティーを追求していくと、例え最初は楽にクリアしていけたとしても、必ずどこかで壁にぶつかるのが現実。自分の中でのそのハードルをほんの少しずつ上げていければ確実に自己成長に繋がっていける。意識はあっても継続がなかなか難しい。人間弱いものだ。(特に私は・・・)時に自分を追い詰める。

但し、ストレスフルになり、周囲に硬い顔を見せてしまうのは禁物。なるべく愉しく、創造性を高め、自分を叩く。


そんな言葉通りにいくのか??その答えは・・・


全ての答えは自分の内にある。自分の中には宇宙と同じくらい大きな可能性とパワーが潜んでいる。


全ての決定は自分。全てをやるのも自分。自己成長のポテンシャル、幸福のカギは誰にでも平等に与えられている。


全ては自分の内にある。


「自己責任」・・・この概念を常に持ちあわせて日々生活をしているつもりだが、これを完璧に

実施するには余程の経験と人間としての器を持ち合わせないと完全実現には至らない。

やっぱりどこかで、何か他のせいにしてしまったりすることが出てきてしまう。簡単に言ってしまうと、それは自分への甘えにしか過ぎない。

良い事も悪い事も全ては自分のため。

起きる事全ては自分への試練

そう思えば何のその・・・


しかし、実際は・・・


まだまだ、人間ができていない。。。


この先、まだまだ学びは続きます。


私は2児の父親ですが、最近まだまだ自分は若輩者と思う事ばかりです。

普段、子供たちに教育しているつもりが、多くは子供たちに教えて貰う事ばかり・・・。

まだ小さい子供たちは、毎日の様に部屋中をおもちゃで散らかし漸く飽きたのかな?と思いかたづけ始めると

またそれらの全てを撒き散らし再び遊び始める。

まぁよくある光景に過ぎないのだが・・・それを繰り返している内にフラストレーションもマックスに。

結局、「コラぁ~かたづけろ~!!!」と大声をあげてしまう。

その後に冷静さが戻り、いつも自己嫌悪に。。。

本当に自分の器の小ささを感じます。それぐらいのことで大声をあげてしまう自分のキャパシティーの無さに

情けなく思うこの頃です。まだまだ若輩者。。。大きなキャパシティーを持って子供たちに自由な発想を育ませて

あげたい。それには先ずは自己成長ありきです。

自分の弱さを認められないのはそれはプライドが邪魔しているのかもしれない。

仕事をする上ではプライドをも持つ事、時にプライドを捨てる事が重要。

仕事にプライドを持つ事は、自分の仕事であったり、日々自分の頑張っている事に

誇りを持つこと。自分のいる会社や自分の扱っている商品に誇りを持つことは

大切である。

しかし、自分のプライドとなるとそれを捨てるのは実際難しい。

しかし、あえて自分のプライドを捨て、弱さを認めそれを克服させる為の努力をすることは、必ず自分を成長

させてくれる。自分のプライドは時に自己成長を妨げる。

がむしゃらに、物事をきわめていけば、必ず知らない内に周囲が認めてくる。

嫌でも男の格好良さがついてくるもんだ。



最近TVなどで多くのパワースポットが紹介されている。

都内では、日枝神社(千代田区)や明治神宮(渋谷区)、皇居、高尾山などが有名である。

パワースポットと言う言葉がまだあまり浸透していなかった頃、物事が余り上手く進まなかったり

気持ちが減退をしているときに自分もよく神社に足を運んでいた。

実際にパワースポットと呼ばれてはいないが神社でも実際に訪れてみると

ととても安らぎを感じ実際にパワーを貰っていた気がした。

しかし、本当に実際、神社はパワーをくれているのか?

これは誰にも解明ができないこと。

ただ、確実にいえることは、パワーとは自分自身が創りだしている事は間違いない。

全ては気の持ちよう。

パワーを無くすのもパワーを出すのも自分自身なのである。

ただ、実際どうしても抜けだせないストレスや時に何かの壁にぶつかった四面楚歌の時に神社に参拝すると、

とてもリラックスした気持ちになり、物事がクリアに見え出したりする。

恐らくこれらのパワースポットは、パワーを与えてくれるのではなく、邪念や極度のストレスか

ら開放してくれる手助けをしてくれるのではないか?そして自分を見つめなおすきっかけをしてくれているのではないだろうか?

例え本当にそうであったとしたら、実際それだけでもありがたい。

やはりパワーは与えて貰うものではなく自ら創り出していくもの。

全ては自分の内にある。



何だか日々を突っ走って、疲れ果て時に壁にぶつかり、やってられないと思ったときにふと、ささやかなHAPPYに出会い、また気持ちが上を向いて。。。

そんなHAPPYに出会うと・・・

「さあ、また頑張ってみるか。」

そんな気持ちになれる。

きっと日常ってそんな繰り返しだと思う。

ささやかな幸せを感じると何だかまた気分が上がりパワーもでる。

きっとその繰り返しがこれがこの先もずーっと続いていくんだろう。

やっぱりほんのちょっとでもいい。

ささやかな幸せとそれを見つけられる心の余裕。

どんなときでもいつまでも豊かな心をもった自分でいたい。

躊躇(チュウチョ)はよくないって思ったよ。

昔、若からし頃は、緊迫した時こそ躊躇したら負けと思ってた。

昔みたいな事ではないけども、今も仕事なんかのそれぞれの場面ではやっぱり同じ。

躊躇したって何も生まれないし、むしろ単にビビりになり自信喪失が始まるのが関の山。

瞬時に感じた直感を信じて、あとは後なんか振り返る必要なんかない。


直感と努力とマイペース 人は人 自分は自分

絶対、絶対いい事ある。実際に俺自身経験してる。

間違ったこと。曲がったこと。人を悲しませないこと。信念を貫くこと。周りの言う事に左右されないでいつでも自分を持ってる事。影で、人を思いやる事。笑って流せる事。それが例え無意味でもいいから、とにかくがむしゃらに何にでも一生懸命に生きる事。それを継続してれいば、例え救われなくたって、いい事無くたって。

最後には絶対幸せになれる。気持ちが豊かになれる。今が駄目だって。最終的に結果OKだったら、それでいいんだ。いやそれは何よりだ。

大切な言葉、美しい言葉。

失いたくないもの。沢山あります。真っ先に思い浮かぶのは愛。

信頼や誠実また正義・正直・友情などなど人それぞれに大事にしている言葉があると思います。

その中で一番大事なものを選ぶとしたら?
たった一つだけだとしたら、今の僕は親切を選びます。

愛情も勿論大切です。愛情は決まった人のみで時としては寂しさを呼ぶ時もあるから。

だけど、やさしさって色々な人のためになって、しかも邪魔にもならないもの。

他人を思いやって親切にすること。

たとえ心がこもってない形だけの親切でも、何だか、ぎすぎすしたこの世の中をもっと穏やかで平和にさせられるんじゃないかなって思います。

熱中すると時間を忘れ、ひたすらひとつのことに没頭してしまうことがある。

そこで自分自身について改めて思ったことは、やはり、好きなこと意外には興味は持てず逆に

敢えて興味が無いものに対して自分の尻を叩くことはしないし、それは継続にも繋がらない。

けれど少しでも自分が好きなもの興味をそそられるものへの探求心とチャレンジそして向上心は惜しまない。

惜しまないというか、自然と向上してしまう。

自分の好きなことやモノに出会えることへの在り難さ。

好きなことばかりに没頭することは自分の世界幅は狭まるかもしれないが、

自分は自分がやりたいことで進んでいく。

せっかくこの世に生を授かったのであれば、どうせ苦楽を共にするのなら。

何事にも納得した生き方を選びたい。