村岡さんの著書、自分の変え方の冒頭で

自分のことだけを考えている人は抽象度、視座が低いと書いてあって

自分なりに解釈してみた。

確かに何気なく見ている風景にだって、物語があるわけで

それを個人レベルの視点でしか捉えていない場合、ただの木々としか感じない。せいぜい綺麗な木だな〜、立派な木だな〜とかだろう。

しかし抽象度をあげて視座を高くすると、この木々たちの状態はどうだろうか、どれくらい生きているのだろうか、どこから来たのか、など沢山の視点が生まれる。

相手や社会の為になりたいという思いや考えで日々の時間に取り組むことが出来れば、それこそ人生は劇的に変わっていくんだろうと容易に想像がつく。

ただ過ごしている時間、と思ってしまっているのは自分本意になっているからだろう。

その時間を少しでも相手の力になるように動かせば、もっと心だって動くはずだから、早くこの時間が過ぎて〜なんて怠惰な発想にならない。

自分さえ気持ちよければいい。自分がまず楽になる。幸せになる。というこの考えは生理的には普通の現象なのかもしれないが

一方でリスクを負いたくない、余計なエネルギーを使いたくない、新しい事をすると居心地が悪くなるからこのままでいいという現状維持バイアスが働いているんだろう。

常にこの自分の中に潜む光と闇を攻略しないと到底世界中で活躍するなど夢のまた夢の話だと思った。


常に前向きに人生を変えていける。

今まさにこの瞬間から良い方向に進むことができる。

いつでも進む方向は自分で選べる。


その為にはまず自分の人生、どこへ行きたいのか。

自分の人生、どのように過ごしたいのか


定期的にリマインドして、その都度現状と照らし合わせる必要があると思った。


いつもこんなこと言ってる 全く いいからやれよ 

もしくは何もやらずにキモいじじいみたいになって野垂れ死ぬか どっちがいいの?