昔の人って、今みたいに携帯とかもないし、娯楽もないから無駄な時間が少なかったんだろうな。
養老先生の本にもあったけど、昭和初期の頃は農家の人が多く、田畑を手掛けないと自分達が食えないから嫌でも自然と付き合わなければならなかったと。
必然的にそれが学びになったんだと。
だから基本的には自分達が食い繋いでいくために自分の肉体と時間を使って過ごしている印象を受けた。
一方で都市化した現代人は田舎に触れる機会が減り、食べ物は与えられる物、買える物という認識になってしまっているし
挙げ句の果てに映える食べ物という、味や背景などは一切度外視したことにもなっているからお手上げだ。
いつからこうなってしまったんだとか、そういう事を話ししてもしょうがないと思うし(根本的解決にならないから)少なからず自分はそうではないのだから、じゃあどうすれば良いのか、どういう世界線なら自分は満足なのか?というところを考えるべきであって、情弱になってしまっている人にやれさていちいち干渉する必要、労力もないのだ。
人はやがて死ぬ。必ず死ぬ。
だから人生は一度きりなのだから好きな事をしよう。という事はよく言われることだが、それを身勝手に解釈している人も多いのではないだろうか。
昔の人は地球を、自然を大切にしてきた。それが人間の生活を豊かにするもので、またそれが自然を豊かにする物だということが意識レベルで理解出来ていたからだ。
けれども現代人はそうではない。ありとあらゆる情報が蔓延り、ニュースは基本的には不安を煽り、明るい未来が待っているとはあまり想像も出来ないような世界になってしまっている為、じゃあせめて自分の中の世界だけでも幸せに、贅沢に好き放題生きようじゃないか。という結論になる。
これは一方では気持ちは理解できる部分はあるのだが、もう一方で、無責任だとも思う。なぜならそれでは次世代はどうなってしまうのだろうか?あなたが関係ないと思っていれば当然その子供だって関心を持たないままだろうし、じゃあその孫、そしてその先、これが続いていくのなら今のこの人間の在り方や価値観、自然との向き合い方がどんどん悪い方向にいくことは明白ではないだろうか。
現に生態系はどんどん悪くなっており、農作物が異常をきたしていることも随所に見受けられるし
挙句に国としての政策も卑劣で、自滅したいのかとも思わざるを得ないような受け入れ難い実情がある。
特に同世代の奴等には言いたいことが沢山ある
だけど、それにはやっぱりまずは自分がキチンとすべきだというところにかえってくる。
とはいえ発信しないという理由にはならないし、力が及ばないなりにも出来ることはあると思うから、微力だろうが何だろうが自分の思っていることは主張していくべきだと思う。
でないと何にも起こらないし、まずは走り出さないとゴールに辿りつけないのだから
走り方やルートはその都度身に付けていけばいい。
今はとにかく走ろう。
自分のできることから始めよう。