年末から、体調を壊していました。
トイレのお世話とか、できない日が、多々ありました。
ミーは、うちの2匹の猫の親猫のほうです。
毛布や、ビニールをなめるのが好きで、時々、それが、ぴーにとって、ストレスになったりしていました。
体調が悪いときは、うつ状態に入りやすく、毛布をなめられると、すごく嫌な気分になっていたので、お正月から、数日、ミーは、オリの中で、過ごすときもありました。
もちろんオリには、流水器も、小型のトイレも設置してありましたが、
部屋の隅にあるので、いつも、シングルベットの場所を取り合って、3人で寝てるのと違い、寒かったんじゃないかなぁ。。。
1月の31日、いつもは、餌を食べ過ぎて、餌を吐き出すんだけど、黄色い胃液と泡を吐いた。
それから、ゴロの分までいつも食べてたのに、餌をぜんぜん食べなかった。
2月1日、また餌を食べず、胃液と泡を吐く。
2月2日、餌を食べない。泡が、タンのように、粘液質。
2月3日、餌を食べない。顔は丸いけど、身体の肉が削げ落ちてやせてきているのがはっきりわかる。 泡を吐く。
餌を食べないので、ウンチもしない。
2月3日、ピンクに血が混じった泡を吐く。
2月4日、今度は、ピンクより濃い色が混じった泡を吐く。
2月5日、病院へ連れて行き、見てもらったけど、治療費がかかるため充分、処置してもらうことができず、つれて帰る。
2月6日、約一週間ぶりに、餌を食べた。
液状のオヤツを水で薄めて少量ずつ、回数を分けて与えた。
与えた分、完食してくれる。
体力がなくなっていて、トイレに行けなくなったので、粗相をするようになる。
2月7日、朝一番から、粗相をする。仕方がないので、オリにペットシーツを敷き詰め、どこで、粗相をしてもいいようにしてあげる。
食事は、液状のオヤツをまた、水で薄めて与える。
夜の餌を、半分残す。
2月8日、水だけは、流水器の水をごくごく飲んでいたのに、水も飲まなくなった。
もちろん、餌も口にしない。
夜になって、大声を出して、何か、訴えるように鳴くので、近寄ってみると、
自力で動けないくらい体力が弱っていた。
ベットの上に、2枚厚手のペットシーツを引いて、オリからミーを連れ出し、
ベットに横にしてあげて、身体をさすってあげ始めたら、鳴くのはやめて静かになった。
2月9日、AM4:00頃、
前夜から、一晩中、身体をさすってもらいながら、
静かに眠るように天国へ旅立った。
7歳だった。
飼い主が、4回も変わって、苦労をたくさんした猫だった。
うちに来る前は、飼い主が失踪したので、餌がなくて飢えそうな時もあったんだろう。
毎日、ご飯は、「最後の晩餐」のように、ガツガツ食べて、
ゴロの分まで盗み食いして、いつも吐いていた。
ぴーが外出したりして出かけると、台所のゴミをあさったり、手のかかる子で、
毎日、「ミー!」と、叱らない日がないほどだった。
でも、猫にとって飼い主が変わることって、とても大変なことだから、
不憫な思いをしてる子だから、仲良しのわが子のゴロと、
できるだけ長生きしてほしいと思っていた。
ミーとゴロは本当に中のいい親子猫で、いつも一緒だった。
たまに喧嘩したりしてたけど、ミーは、ゴロの身体をいつも毛づくろいしてあげてた。
ゴロも、ミーがいるから、楽しく暮らせたんだと思う。
ミーが逝ってしまって、ゴロは、ミーのオリのところに、クンクン臭いをかぎに行ってた。
きっと、動かないから、心配だったんだろう。
それもかわいそうだったので、ミーの顔をキレイにしてあげて、
箱に、ペットシートを引き、首輪をはずして、寝かせてあげた。
そうすることで、ゴロは、ミーの亡骸を見て、心配することはなかったが、
しばらくの間、ミーがどこに行ったのか探しているようだった。
ミーが逝った、2月9日は、とても寒かった。
ぴーも、何の気力もわかず、何も手につかず、一日、思い出しては泣いて暮らした。
埋葬は、9日の午前中、亡骸を引き取りに来てもらって、
区のペットメモリアルで合同埋葬を依頼した。
追加料金で、お塔婆を立ててもらえるし、
最近は、不安な業者もたくさんあるので、安心だと思って、区に相談した。
ゴロは、トイレに行くにもついてくる。
一人になりたくないんだろうって思う。
残されたゴロを、大切にして、生きていかなきゃいけないから、、、
2月10日、午後から、オリの中を片付けた。
ミーが使っていたものを処分したりした。
そして、夜、食事のときにお酒を飲んだ。
ゴロには、オヤツをあげて、ミーのお葬式をした。
まだ、胸に鉛が入っているような重い気持ちを抱えて暮らしているけど、
いつか、時間がミーのことも思い出にかえてくれるのだろう。
その日が来るまで、ゴロと2人、がんばって、生きよう。。。
さよなら、ミー。
そして、充分に治療もしてあげれなくてごめんね。
安らかに眠って。