自分の人生の操縦桿を離さない


と決めてから、

エネルギーがとても軽い。


これまで感情のケアに使われていた

膨大なエネルギーが、


自分を生きること、

自分を楽しむこと、

自分を表現すること


に使われ始めてる。



でもねー、

もうちょっといけるんだよな。

という感覚も、同時にあって。



昨日会ったパイセンからも、


もっといける!

もっと素になれる!

これまでの優等生の癖がまだ残ってるけど、

ラニちゃんはもっともっといける!

本当のラニちゃんはめっちゃラブリーだから、

もっと出してこう!


と、

背中を押され。



しかし、



もうちょっといける感じは分かるけど、

何をどう外せばいいのか、よく掴みきれない…



というところでもよもよしていた今日。



会った人に、



あのさあラニちゃん、

ラニちゃんの中の五歳児が素で、

普段の大人の喋り方が仮面なんだよね。



と言われて、

衝撃を受ける。




知ってる人は知ってるけど、

わたしの中にはまじで五歳児がいる。

インナーチャイルドでもなければ

多重人格的なことでもない。

ただ五歳のわたしが機嫌良く暮らしていて、

嬉しいときや楽しいとき、

テンションが上がったときに、

わたしと交代する。



頭おかしいと思われるので、

基本はとても気を許した人の前でしか

出てこない。

(彼女なりに気を遣ってくれている)





いやしかし、

五歳児はあくまで、

わたしの内側の別人格だと思っていたけれど、

そっちがメインですって???




ひとりのときか、

ほんとに気を許した人の前でだけ

出てくるうちの五歳児ちゃんは、

まじでハイテンションな子供の喋り方

(ピノコがめちゃくちゃ機嫌いいみたいな喋り方)なので、


40代後半の本体(ラニ)が普段の社会生活で出すには

そうとうヤバいんじゃないのか?としか

思えないけど、




会った人が口々に


いやそれで普段から行けばいいよ!

本当のラニちゃんに出会ったって感じする!


と言うもので、




ひるむ。笑笑



うーん。



でもそう言われてみれば彼女は、


とにかく楽しい

とにかく自分が大好き

とにかくいつも笑ってる

とにかく好きなものにまっすぐ


という、純度の高いキラキラな存在。



そうかあ。

ほんとに、わたしの中の純粋なものを守って

ずっと保存してくれてたんだな。



そして純粋なわたしって、

本質のわたしなんだな。




そう思うと、

「五歳児を社会生活で出してく」という

目眩のしそうなほどに

勇気がめちゃくちゃ必要な行動も、



いざやってみたら楽だった、的なことに

なるのかもな。




そして、

わたしはとても多面的なので、

五歳児以外にもいろんなモードがある。

それをそのまんま正直に出していくというのは、

以外と、思いのほか、

深く深く自由をくれるかもしれない。


だってただ正直にいるだけだもんね。

どんな自分にもOKを出して。




「こんな自分は世間からは理解されない」



っていう怖さと思い込みが、

意外と深く深く自分を包んでいたのかもしれない。



もっと、ただ自分を生きたい。

だってそれが一番美しい姿だから。




そう改めて思い直し。



怖さを越えて、

これからは自然に五歳児解禁してこうかな、と

思った今日です。