もう、あの日から13年も経つのですね

過ぎてしまえば早いものです。

振り返ると。あの日は、仕事中で。

青空が広がる空の中に

見た事は無いような形の雲が浮いてて、

近道をしようといなかの田んぼ道を爆走してた時に、

変にハンドルが取られるので、

車を停めたら。グラグラ揺れてて、

大丈夫かと家に電話をしました。

電話に出たので安心して、

その後、仕事を続け、配り物を置きに仕事関係の人の家を廻ったのですが、地震の後に

停電なったとは聞いたけど、

まさか隣の県が津波であんな事が起ってた

なんて思いもしませんでした。

廻り終えて、事務所に戻ると、停電の中、

携帯のワンセグで

テレビを診ていた人の近くに行き

テレビを見たら、見覚えのある場所の

川を逆流している映像で

どデカイ地震があったと報じていました。

県内は停電しているとの、ニュースもあり

信号消えてるなら、どのルートで帰ろうか

考えてた覚えがあります。

帰宅時間になり、とりあえず、ルートも決めて、運転していき、車内のテレビでバンバンニュースをしてるのを見ながら帰ってて、食うものを買わなきゃと、思い、途中のコンビニに寄りカップ麺やレトルトの物を普段買わない位の量を買って、

アパートに向かいました。

帰ると、飼ってた猫(菊次郎)が

ニャーニャー騒いでて、

とりあえず、とうしようと思い、アパートはプロパンガスだだったからか、ガスは使えたので、お湯を沸かして買ってきたカップ麺を食べで、風呂に入って、停電でテレビが見れないく、情報が入らないので、猫と車に乗り、車内で暖を取りながら、テレビを観ていました。緊急地震速報が、バンバン耳に残るくらい鳴って、隣の県の知り合いは大丈夫かと電話したけど、スマホは使えず通じなかったので不安なまま車内で一夜を過ごしました。

その後、一晩中エンジンをかけてたのを一時だけ後悔するんですけどね。

普通にいつもの朝になり、何が起こったのが、ニュースでようやくハッキリと理解し、近くのスーパーに向かい!色々と買い込んだ覚えがあります。その後実家に行ったら、発電機を回して、普通に電気をも使ってて、皆、普通にしてたので、安心して猫とアパートに戻って

揺れで荒れた部屋の中を戻してました。

電話は通じないし、知り合いが心配でいて、

翌日に仕事に、向かい、

職場の建物の点検をし

職場の売店に向かい、

カセットコンロとカセットガスとカップ麺を買えるだけ買って、宮城の知り合いの場所に向かいました。変わり果てた光景と道路わきの死体を観て、唖然としたけど、知り合いが、経営しているガレージ着いたら、そこに知り合いが居たので、

積んできた荷物を降ろし、

とりあえず戻ってきたけど、

もうこの世の終わりかなとか思うような光景で、

それを目の当たりにした時の

光景は今も忘れられず

ハッキリと今も覚えています。

車のガソリンは、ある先輩の゙口利きで心配無く

いつでも満タン給油できていましたが

あの緊急地震速報の音と、ジャロのCMの連発は

もう要らないですね

北陸が年始に地震にやられたり

千葉で頻繁に地震があったり

と日本はいまだに、地震が、多いですが

もう地震等の天災はたくさんです


今の居住地域は内陸だから、そんな心配はしてないけど、体の動きに制限があるので、何かあった時に、迷惑をかけず避難できるのかとか、
心配してしまう自分が居て、
心配したり、ガッカリしたりしてしまうけど
特に今々心配する事でも無いと思うようにしてますが、
あの光景は、もう2度と見たくないので、
災害は起こってほしく無いですね。
北陸の方は今も大変だと思いますが、
ファイトです!
最近は、「頑張ろう東北」のステッカーを見なくなってきたけど
まだまだ復興は終わったわけでは無いと思うので、もっと続けってて欲しいです。
当時の仕事の関係で、宮城に行った時に、田んぼが、何もされてない場所頑張ろうあって、「なぜ?」と、一緒に居た仕事の関係の奴に聞いたら田んぼに水が入ったのを見ると津波が来たのを思い出してしまう人がいるから、水田作業が、できなくなった人が多くいると聞いて、建物とか道路は新たに完成しても、被災した人は、まだまだ戻れないんだなぁって思った覚えがあります。
やっぱり、色々経験しても、心の底から本気で笑えたり楽しめるようにならないと復興は終わりじゃないのかもしれないですよね
私の場合は、被災した地域の知り合いは皆、今も体は元気でいるので良いですが、見た目は元気でも心の中場合見えないので、今後、どこかで会う機会があったら、色々と話したいなと思います。
まだ避難されてる方が、早く地元に戻れる事を願います。