ちゃんとお留守番できましたよ
昨日 仙台
「これ、スマートホン。ツイッターもスカイプも入れてあるから」
「ツイッター・・・。これが『ささやき』っていうやつね」
「いや、『つぶやき』だよね」
「あら~、指紋がつくわね~(ふきふき
)」
「・・・。(おかんのかけてる老眼鏡
のほうが指紋ついてるなぁ)」
「おとうさん。ホラ見て!」
「おかあさん、使い方明日忘れちゃうんじゃないか~?」
「ねぇ!ちょっと電話をかけてみてよ!」
「・・・。もしもし~聞こえますか~?お母さんです~」
「聞こえますよ~。まっち(妹)ですよ~」
「どうもこんばんは~。今は8時15分です~」
「こんばんは~。そうですか~」
「・・・。」
仙台から帰ってきました。
仙台は1週間前に行った時より、道路は修復され、
ガソリンも並ぶけど買えて、お店もぽつぽつ営業再開しています。
家は古いので、部屋やお風呂の壁にヒビ、柱のズレ、
開かずの扉、閉まらずの扉、雨漏り・・・
オカンは「ごくろうさん、がんばってるね、家!」と家に声をかけています。
昨日ガスの点検が来たそうなので、まもなくガスも使えそう。
仙台で会った人に「ご家族はご無事ですか?」と聞いて、
答えが返ってきませんでした。
浜の方に住んでいる別な方は、家族の安否が分からず
「自衛隊の方が丁寧に探してくれたけどダメ。もう重機を入れるしかないね」
と話してくれました。
今回帰って、無事だと思っていた親戚の悲しい知らせを聞きました。
私が話した人は家族も含め、みんな泣いていませんでした。
1週間前は悲しみに蓋をして今を生きることに懸命だったけど、
時間が経って、蓋だけでは溢れ出しそうな想いを
上から押さえ込んでるような、ひりひりした感じを受けます。
帰りの高速バスの中、静かに泣いている人が何人もいました。
殆どが首都圏で暮らしている東北縁の人たちだと思います。
バスに乗る前も、降りた後も、前を向いて今を生きなきゃならない。
バスの中だけ、泣くことを許されたみたい。
でも、
被災地で暮らす人たちは、心がひりひりしたまま、まだ泣けない。
いとこのお姉ちゃん、その場所に花を手向けられないけど、
うちでお花を飾るよ。
一人でも多くの人の無事と、一日も早い復興を祈って。
おしまい