Ⅳ.灰色の安息


白は息苦しく、黒は重すぎた。

私はそのどちらにも居場所を見つけられず、

ずっとその狭間で立ち尽くしていた。


灰色は、どちらでもない。

けれど、どちらの痛みも知っている。

正しくなくてもいい。間違いでもいい。

ただ、そこに在ることを赦された色。


灰色の中では、何かを証明しなくていい。

善でも悪でもなく、ただの私として息をしていい。

それは妥協ではなく、選択だった。

全ての極端から降りるという選択。


曇り空の下で、

世界が静かに揺れている。

私はただ、その揺れに身を委ねる。

白を恐れ、黒に憧れ、

ようやく灰色に還る。


灰色は、安息の色。

過去を断ち切らず、未来を急がず、

今この瞬間に溶けていく色。


私はようやく、

“生きている”という音のない実感を掴んだ。

呼吸が深くなり、心臓が静かに拍を刻む。

未だ慣れず、不安定な中でも。


灰色の安息の中で、

私はようやく、私を取り戻しはじめている。





Ⅴ.沈黙の祈り


言葉が尽きたあとに、祈りが生まれる。

声を失っても、祈りは息の中にある。


かつて私は、祈ることを恥じていた。

誰に届くのかわからない願いを、空へ投げるのが怖かった。

それでも、静寂の中に立つとき、

胸の奥から確かに響く音がある。


それは言葉ではなく、意志でもない。

ただ、「生きている」という鼓動のようなもの。


世界は私を見ていない。

神も、答えを返すとは限らない。

けれど私は、それでも手を合わせる。

誰かに見せるためではなく、

自分を取り戻すために。


祈りとは、願うことではない。

沈黙の中で、

「それでも生きたい」と自分に告げること。


白を恐れ、黒に傷つき、灰に還った私が、

ようやく辿り着いたのは“音のない聖域”だった。

誰にも見えない、誰にも踏み荒らされない場所。

そこに、私の祈りがある。


今日もまた、猫が隣で眠っている。

世界は何も変わらない。

それでも、私の中に静かな光が灯っている。


沈黙の祈り。

それは、生きることの最も静かな形。

私の心がようやく、ひとりで立てる場所。




終章.猫のいる部屋で


朝の光が、カーテンの隙間からこぼれている。

猫が、その光を追いかけるように尻尾を揺らす。

静かな部屋。時計の針の音が、まるで世界の鼓動のようだ。


私は、もう誰かのために正しく生きようとは思わない。

正しさはいつも他人の数だけあったし、

どれも私を救ってはくれなかったから。


でも、猫のためなら、生きようと思える。

この小さな命の呼吸が、部屋を満たしている。

その温もりがある限り、世界はまだやさしい。


猫は、私を裁かない。

働けなくても、笑えなくても、泣いていても。

ただ、そこにいる。

私も、そこにいる。

それだけで、充分だと教えてくれる。


窓の外を風が渡る。

秋の匂いが少しだけ入り込んで、

猫がくしゃみをひとつした。


この瞬間だけで、生きる理由は足りている。

過去の私が何を失おうと、

未来の私がどこへ行こうと、

今ここで、猫が息をしている。

それが、私の世界のすべてだ。


猫のいる部屋。

私の祈りは、もう沈黙の中にはない。

それは、確かに“今”の中に息づいている。